第273話


 ここでの三族は、従兄弟らに、その妻らの父親、そして自らの妻の父や兄らだ。ようは近しい親族、姻族をさしている。文聘は別の部屋から少し覗いてみたが、二十代から四十代の美男が多かった。一部違うなとおもったのは、きっと姻族の父親当たりだろうと唸る。


 荀悦が状況を説明し、荀彧が避難先を明かし希望を募った。特に陳紀らも呼ばれていて、拒否すると思っていたが「ではまたお邪魔するとしよう」と気軽に応じたせいで場がざわつく。あの陳紀がまさかそう言うとは思ってもみなかったのだ。


「私も暫し郷を離れ避難する。答えは今出さずとも構わないが、明日の昼過ぎには潁陰を離れるので行くならば間に合うように準備をするように」


 残るだろうと思っていた荀悦までもがそのようなことを言うので、ざわめきが大きくなった。とはいえ十日、二十日とかけて移動するのは不安しかない。そんなことをした経験がある人物は殆ど居ない。


「文若よ、小黄までの道程はいかようか」


「東へ逃れるため許から扶溝へと入り、そこより北へ陳留県を通過し小黄に向かうつもりです」


 東には董卓軍は居ない、何と無くではあるが納得できる。だが心配は尽きない。


「文若殿、東の山地に寄れば賊徒が出る可能性が高い。そうなればあべこべに危険に飛び込むようなものでは?」


 東の賊徒、黄巾賊の名残で各地に散っている奴らの事だ。潁川はそいつらのたまり場だった、今でも千人単位であちこちで略奪をして回っている。


「仰る通りに御座います。ですが我が君より兵を預かっており、二人の部将も付けて貰っておりますのでご心配には及びません」


「兵と言ってもどうせ百かそこらなのであろう? それでは賊を防ぐことは難しいが」


 ふむ、と一呼吸おいて傍の下僕に文聘と典偉を呼んで来させる。文聘は二十三歳と若すぎるが、典偉は三十六歳で信頼出来そうな見た目もしていた。


「典偉殿にお尋ねします。麾下の軍勢をお教えください」


「恭荻将軍島介より預かりし重装騎兵五百騎、いつでも戦闘可能です」


 重装騎兵五百と耳にして賊など相手にならないとどよめきが起きた。そして恭荻将軍が陳留の孫羽将軍の遺産を継いだのを聞き及んでいるので、行った先で困ることは少なそうだと見通しもつく。すると別の者が口にする。


「行くのは吝かではないが、足腰が悪くとてもではないが長旅は無理だ」


「それもご心配なく。三日歩いていただければ扶溝に辿り着きます、そこからは船をご用意致しますので陳留から半日でつく見込みです」


 そんな準備はしていないが、開封に孟津からの船を寄せたのはつい先日だ。それを流用すれば充分乗せることが出来ると請け負う。まさかこの時の為に船を買い上げたわけでもないだろうが、何とも考えさせられることになってしまう。


「そのくらいならば何とか歩けるな」


 行く手段とその後の保証があるならば、決断するだけ。それ以上の質問が上がらなかったのでお開きになる。全てを使うかどうかはわからないが、船の準備だけはすべきだと伝令を出しておくのも忘れない。一族だけなら扶溝で船を借り上げれば良いかと思っていたが、どうやら不足しそうなのでまとめて呼び寄せる。


 川沿いに遡上していくならば、軍勢とは別行動とも考えたが、ある程度分割して途中途中上陸して宿泊を重ねて行くべきだなどと実務を想像した。


 翌日昼間になると、驚くことに二百人もの数が集まった。近隣で避難に同道したいという住民もあった、それを快く受け入れると午後になり許へと向かった。ここは歩いて二時間程の距離なので、朝に出るならば素通りしたが、一泊することにする。同時に必需品があれば買い込む為にも寄っている。


 ぞろぞろと移動をし途中少数の賊と対峙するも、黒兵の威嚇であっという間に逃げて行ったので、これといった被害もなく陳留へと到着した。ここでも無理せずに一泊し、ようやく翌日の昼間に小黄へとやって来る。山屋敷へ招くかどうかはこの数を鑑みて保留とし、まずは街の屋敷で代表らと顔合わせをするようにと手配をする。


 広間に主要な人物を集めると、右手に幕下の者らを、左手に避難者を寄せた。その中央に荀彧や荀彧、そして荀攸が立っている。実は荀攸は洛陽で拘禁されている状態だったが、ある時混乱に乗じて逃げ出した。その際に山間に伏せていた島介の兵に守られ潁川に戻ることが出来ていた。上座に武官服の島介がやって来ると、皆が礼を交わす。


「恭荻将軍の島介です。よくぞ参られました、私は皆さまを歓迎いたします」


 遜ったかのような態度に若干の不信感が芽生える。一体何の得があってそうするのか、彼等一般の避難者には理解出来ない。


「いやこの度もまたよろしくお願いしよう」


「陳紀殿、どうぞご安心を。また教えを説いていただけると嬉しい限り、陳葦殿らも。案内は趙厳をつけましょう」


 幕下の部将に同郷の若者が居たと知らしめるための一つの演技ともとれるし、実務的なこととも思える。少なくとも動機の一端であるのは理解出来たようだ。


「去る動乱の際は某をお助け頂き改めて感謝の意を示させて頂きます。荀公達、望まれるならば微力を尽くしましょう」


 島介は段上から降りると目の前に歩んでいき「未熟者をどうかお助け下さい」頭を下げた。立場が上の者がそのような態度をとるのは面子が傷つくと避ける者が殆どだ、学者肌が多い荀氏としては師事でもされない限りは滅多にないので驚いている。


 避難者の集団から一歩進み出る。どこか荀彧に似ている、深みがある雰囲気に自然と興味を持つ。


「お初にお目にかかります。潁川潁陰が荀氏の棟梁、荀悦、字を仲豫と申します。此度は一族郎党の安全を担保して頂き感謝の言葉も御座いません。我等一同、可能な限り力を尽くさせて頂きます」


 決して甘い顔はしない、真剣に多くの者の未来を背負った指導者の表情をしている。


「私は私を頼る者を決して見捨てはしません。全力でその期待に応えるでしょう」


 一度面倒を見ると言った以上は、何があろうとそうすると心に決めた。それが良いか悪いかなど最後の最後までわかりはしないが、島介はそうやって今まで生きて来た。


「郷を後にして何が出来るわけでもありませんが、どうかご容赦を」


「一つやって頂きたいことがあります」


「なんでしょうか」


 これを断ることは出来ない、どれだけ厳しい条件が出てくるか緊張が大きくなる。もし実行が不能な話を突き付けてくるようならば、潁川に戻ることすら考えなければならない。


「小黄で読み書きや簡単な学問を教える教師になっていただきたい」


「それは……島将軍の子弟らのでしょうか?」


 子弟を高名な人物に師事させる、それは一つのこの時代のステータスなので納得いくところだ。筋が悪い人物でも付き合う位は我慢も出来た。


「一般の住民らにです。読み書きが出来れば一生食うにも困らずに過ごせる、それに計算や多少の学識を得るまで出来れば未来も明るい。これからは民も賢く生きる権利を持つべきだと思いましてね」


「一般の者に読み書きをですと? それは……それは面白い! 確かに読み書きが出来れば役所に勤めることが出来ます、口伝で失われる様々な事柄も記し残すことが出来ます。なんと素晴らしい申し出でしょうか!」


 荀悦がはっとして荀彧を見ると、笑顔で頷いている。ここはそういう場所なのだとどれだけ伝えたかったか。


「ではよろしくお願いします。詳しくは荀彧と相談を。暫くは街にある屋敷に寝泊まりを、直ぐに郊外に家を揃えるのでそれまでは辛抱ください」


「島殿、無論友若にも御用をいただけますかな」


 盛り上がっているところへ冗談交じりに申し出る。世では五荀のうち一人でも従えることが出来れば大成すると言われているが、そのうち四人が友誼を結び、一人は我が君と呼んですら居る。今はまだ小さな勢力でしかないが、あまりに大きな変化が訪れていた。

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