第271話


 あまりな呼びかけに兄としてたしなめた。主君ではあるが、どうしても身内だとの感覚が先に来てしまう。


「はははは、構わん構わん。俺は帰るから置き土産をくれてやる、酒と肉を渡すから取りに来い」


「おおっ! さすが旦那だ、わかるじゃねぇか。よし任せろ!」


「そういうわけでちょっと張飛を借りるよ」


 目線でもう一度叱った後に「度々のお気遣い感謝いたします」と頭を下げる。劉備にしても補給は止まったまま、数こそ少ないがそれでも兵士を喰わせていかなければならない。こういった申し出は心底有り難い。


 連合軍撤収。この報は各地を駆け巡ることになる、盟主袁紹が現地に留まりそれを否定するが、半数以上が散ってしまい見通しは決して明るくはない。これを転機に董卓の反攻が始まることとなった。


 長安に入り朝廷を再び直接監視下に収めることとなった董卓、そこへ孫堅軍敗退、連合軍撤兵、などの方が相次いでもたらされた。中央の高座に腰を掛け、満足そうに聞きいっている。朝臣らもいる場だったので、連合軍に期待をしていただろ奴らの顔色を窺うのも忘れていない。


「――冤州刺史の劉岱が、仲間割れをして東郡太守橋瑁を殺害したとのこと」


 側近の楊定が周筆の後釜としてその位置についた。良い報告をする際には気楽であるが、これが逆ならとばっちりを受けるかも知れないので、決して羨ましいポジションとは思われていない。


「その劉岱より、後任の太守に王絋を推挙してきております」


 賈翅が上奏文について触れた。本来は尚書が選別を行うのだが、当たり前の顔で共にその役目にあたっている。本来ならば許しがたい行為だが、相国の許可を得ているとの金言で全てが認められた。法律的な根拠など無い、もし董卓に反抗したらどうなるかと恐れて抗議されていないだけだ。


「ふん、何をすべきかすら見えずに争うとはな。よい、追認してやれ」


 連合軍が勝手に割れるならば、これ以上の朗報はない。王絋が何者かは全く調べていないが、別にそんなことはどうでも良かった。


「畏まりました。孫堅を打ち破った胡軫殿より、荊州へ取り逃がしたとの謝罪が上がっております」


「やることをやったのだ、何を謝ることがある。何か褒美をくれてやろう、うーむ……陳郡太守が空いていたな、それに任命しろ」


 陳郡は陳留の南、潁川の東で近隣の地域だ。現在の勢力範囲からは外れているので名誉的な意味合いでしかないが、潁川を下せばすぐそこで胡軫の任地は潁川の隣、やる気があれば実現できるし、そうしろとの命令が含まれている。


「連合軍の本営が成睾から修武へと移りました。これにより包囲も解け虎牢関の守備兵のみを残して近隣より姿を消します」


 華雄は守り切った、あれだけの大軍を前にして洛陽への大量侵出を防いだのは充分な功績にあたる。非常に満足いく結果だ、ふむ、とあごひげに手をやって少し考えた。


「では華雄に馬五十匹を与え督軍校尉に任命し、一帯への指揮権を与えよ」


「御意」


 軍人にとり馬を与えられるのは単純に嬉しいこと、より多くの兵を指揮出来るのも同様だ。このあたり董卓は上手い、褒美をケチらないのだから一部からは支持が厚いのも頷けた。有能ならば支持されるわけではない、なにせ相手は須らく人間なのだから。


「楊彪は何かあるか」


 司徒の楊彪、清流派を代表する人物で名ばかりとは言え三公についたのは希望と言えたが、政務能力がどうなのかと言われたらそれは別の話だ。学者肌なのだ、それゆえに直言が過ぎる部分が見受けられる。


「盧豹はかつて余人の役を軽んじ、世を乱しました。何卒ご考慮の程を」


 折角董卓の機嫌が良かったというのに、あっという間に曇りから雨になってしまう。度々このように先例を出しては非難をするのを繰り返してきた、そこに代案などがあればまだ検討も出来るがそこへ至るまでの能力ではないのだ。結果として軋轢以外何も産み出さずにこの場にあった。そこへ荀爽が進み出た。


「相国へ申し上げます。先般より反旗を翻しているものが、冀州、冤州、荊州、豫州に御座います。兵糧が足らずに陣をさげましたが春の終わりにはまた盛り返してくるでしょう。そこで、それら地域の民に恩徳を与え減税を布告されてはいかがでしょうか?」


 考える材料を与えて気を逸らす、問われては答えないわけにはいかないので董卓も内容を吟味した。実際そこからの税収が都に納められるわけではない、こちらの命令を聞くはずもない。だが減税を布告することは可能で、住民が耳にするのを止めることも出来ない。


 では何が起こり得るかと言うと、皇帝への感謝とそれを布告した相国への歓迎。実施しなければ太守等らは非難され支持を失い、実施すれば連合軍の兵糧が満たされない。なるほどこれは名案のように思えた。


「それは良い考えだな司空殿。さすれば全土へそのように布告すべきであろう、皇帝の恩徳は天下へ平等に与えられるべきものであるからな」


 瓢箪から駒とはこれだ、別途地域にまでそういった言いつけがあれば、涼州や益州、揚州なども従わざるを得ない。悪政が目立つ政権ではあっても、これが実行されるならば清流派としても一先ず良しとするところ。


「相国のご英断に、臣民は皆が歓喜することでありましょう」


 狼藉に目を瞑り、傍で仕えることにより漢へ良い影響を少しでも残したい。そのように考え己を捨てて国家を憂える荀爽は平然とその他の悪を見逃した。真意を知る者は他にも居るが、決して公の場で親しく言葉を交わすことはしない。最近卿の位についた、やはり学者で荀爽らと同じ清流派の韓融が進み出た。


「一部の諸侯が道を外れ世が乱れております。これを説得し、再び善導すべきは為政者の務めでありましょう。さすれば使者を送り、個別に説いて回らせてはいかがでありましょうか」


 これには複数の意味合いがあった。一つの勝負所とも言えるので、朝廷に電流が走ったかのように空気が緊張する。


「ほう、大鴻臚殿に伺いたい、詳細を」


 典客とも呼ばれていたことがある大鴻臚は、外交責任者という役割がある。中華は一つの国とすれば、外交先は異民族らなので、客を典するといったところ。とはいえ今は国内事情についての進言をしている。


「一部引き返せぬ程の罪を犯した者は別として、場所柄そうしたもの、周囲の者らに同調してしまった者、野望を持って進んで挙兵したもの、理由は複数ありましょう。それらのうち免罪可能な諸侯を説き伏せるのです。特に河内太守王匡殿は致し方なくと見て宜しいでしょう」


 河内は諸侯らの領地と洛陽の間、挙兵に反対すれば最初に攻め殺されてしまう場所だ、勢いがあった初期に同調しなければならない差し迫った事情と言われればその通り。一旦は任地を離れはしたが、その後また戻り領地を必死に統治しているのは確かに酌量出来る部分が大きい。


 もしこれで靡けばそれはそれで良いし、ダメでも交渉の余地があるという姿勢を見せることが出来た。問題はこれを元にして長安から抜け出してしまう人物がいるかも知れないことだ。あちこちに派遣するならば、人物を多数巡らせなければならない。


 また内容が内容だけに、下手な人物を出すわけにもいかない。官職が低くてもやはり適任ではない。安全な奴らだけを使うでは全く人材が足らないのだ。さりとて捨てるには確かに惜しい提案だった。


「賈翅、どうか」


 やってはみたいが上手く行くかの判断が非常に難しい、しくじった際の欠点も見えづらい。ところが一部でも成功することがあれば見返りが多大、これをやらずして大事をなしとげることも出来ない。


「さすればまず河内太守王匡殿を説得されることに注力なさってはいかがでしょうか。執金吾の胡毋班殿は王匡殿の娘婿でありますれば、これに適任と愚考致します」


 きらびやかな軍装をしている執金吾、これは都の治安を預かる官職であり、警視総監のようなもの。若者に大人気の官服で、かつての皇帝ですら若い時には「職につくなら執金吾、妻を娶らば陰麗華」などと言葉を残している。王匡にとっては誇らしい娘婿だ、確かにこれ以上の人材はいないと頷ける。


「良かろう。だが大鴻臚殿も意中の人物があり進言したのであろう、それに少府殿らも乗り気な様子。まずは三名に手本を示していただくとしようではないか」


 長安に家族を残して単身で行かされるのは目に見えているが、それでもどこかへ逃げるならば後への見せしめに使える。これにもう二人を加えて実行するよう賈翅に調整手配をさせる。これにて朝議は終了と場を去った。すすすと傍により賈翅が続ける。


「無事に説得されればよいのですが、やはり幾つかのことが考えられます」


 歩きながら懸念があるとの部分を指摘する。董卓とて解っているが、それは織り込み済みではないかとの表情を見せた。


「無論逃亡する者もおりましょうが、それだけではなく、己の道を潔白だと示し使者を殺害するものとておりましょう」

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