第270話


「……父上ならばきっと無事に退くと信じている。生きていればまた会える日が来る、悔しいが今は耐えよう」


「おお若君のご決断、公覆は感服致します」


 無念の表情を滲ませて孫策は張遼の後ろについていく。馬首を北へ向けて、来た道を引き返した。暗くなっても進む、その方が安全だろうし距離感もあったので兵も文句を言わない。真夜中になったが孟津へたどり着くと、さっそく主要なものらが集まった。


「島将軍、洛陽で奇襲を受けた孫堅殿が南へ撤退していたので引き返して参りました」


 孫策を伴っているのを確認すると「そうか」とだけ言って帰着を承認する。荀彧が想定した最悪の予言が、いともあっさりと実現してしまう、なるほど様々考えておくと言うのは必要なことだと皆が痛感する。


「無駄足を踏ませてしまい、重ね重ね申し訳ありませんでした」


「謝ることなど一つもない。孫策はよくぞ引き返すと言う判断を成し遂げた、それでこそ将だ」


 気落ちしているのか反応も小さく謝辞を述べて終わる。今は仕方ない、今後についてを考えるべきだと視線を周りにやる。


「こうなっては我が君だけが突出していることになりますので、速やかに増援を求めるか、さもなくば引き下がるかのいずれかを選択すべきです」


「今さらだ、連合軍本営へ戻るぞ。そしてその後に拠点へ帰る、細かいやりとりについては任せる」


「それではそのように致しましょう。孟津はいかがいたしましょう?」


 折角占領したのに放棄する、勿体ないとも思えるがずっと居座るわけにもいかない。交代でやって来る諸侯がいるならば受け渡し位は手配するつもりはあった。


「開封まで買い上げた船を運ぶように船頭には命じておけ。もしそのまま向こうで暮らすつもりがあるなら、俺が面倒を見てやる。引き払う際に民に狼藉を働くのは一切許さん、それを徹底しろよ。明日の朝にここを離れる」


「そのように致します」


 これといった反対はなかった、船を買い集めたという部分だけが特殊で、他は不思議もない。半々で略奪をして引き上げるような将軍がいるが、どちらでもいわば普通の行動と言えた。自発的な引っ越しは制限がかかっているので、支配者が誰になるかは領主ガチャとでも言われそうなものなのだ。


 一行が整然と軍を整えて出て行くと、住民は少しばかり残念そうな表情で見送る者が多かった。二日かけて引き返した。未だに成睾は陥落せずに包囲をされていたが、後方の本営に入ると様子がおかしかい。野営の準備を保留させ大休止のみさせて諸侯が集まる場へと入る。左右を見ても欠けている席が幾つもあった。


「島介戻りました」


 そういって訝し気に一礼すると、袁紹が「おお島介殿、よくぞ戻ってくれた!」妙な歓迎をされてしまう。それはそれとしてまずは自身の席に着く。


「数名姿が無いようですが?」


 一直線尋ねると袁紹は俯いて語らない。それでは解らんとばかりに隣に居る劉備の方を向いたが、難しい顔で前を向いたままだった。うーん、と唸っていると曹操が歩み寄って来て「少し歩こう」誘いをかけて来る。この場では話しづらい何かが起こっているのだとの示唆。幕を少し離れて警護兵の背を見ながら立場話をすることになった。


「……先日だが、劉岱殿が橋瑁殿を攻め殺した」


「え、何故そのようなことを?」


 冤州刺史劉岱、橋瑁は同じ州の太守で仲間だ。多少のソリが合わないことはあっても、いきなりそれは流石におかしい。


「原因は食糧にある。知っての通り各地からやってきている連合軍だ、策源地より遠い諸侯や元より携えて来たものが少ない者もいる。かくいう私もそうだが、兵が腹を空かせている。動くべきだと主張した橋瑁殿と、慎重にすべきだとの劉岱殿が衝突したのだ。冀州の韓馥が次の収穫まで補給が遅れるとの通知があってな、これでは持たないだろう」


「だとしても殺すまでせずとも良いのでは」


 人の命は軽い、今の時代の不文律だ。特に名声がある諸侯らはそれらから外れてはいるが、比較の問題でしかない。


「はぁ。ああっ。今となっては原因などどうでも良い。張超殿も孔抽殿も、許楊殿も撤兵してしまった、領地まで遠いのでまだ食糧が多少なりとも残っているうちにとな」


「では連合は――」


「解散はせんが、私や袁紹殿は河内に拠点を移し、冀州からの補給を待つことになるな。青州で盗賊の勢いが増し、連合に賛同していた刺史焦和殿らもそれどころではなくなったとの連絡もあった。残る者は少ない」


 盟主や副盟主はやめるわけには行かない、曹操に至っては陣から離れては逆に食糧を手に入れる方法がないのだ。王匡も地域柄辞めたとは言えない、となるとどちらになるか不明なのは陳留太守張貌と、済北相鮑信だけ。期せずして島介は陣を離れることが出来そうだと思ってしまう。


「洛陽で孫堅殿が胡軫の奇襲を受け敗戦、荊州方面へ撤兵している。ここらが潮時なのかも知れないな」


 その情報はまだだったようで、曹操が「仕方ないのであろうな」流れが離れていることを悟る。


「だが董卓の治世など長く続かんさ、無理をするのは今じゃない。私も一旦戻ることにするが、またすぐに再会することになりそうだ」


「島介殿がそのように言うならば心強い。一年かそこらの辛抱であろう」


 時世が悪い、自身の展望を持っているからこそ納得することが出来た。だがそんな曹操ですらやや意外な反応。


「半年もかからないはずだ、そのうち上へ下への大騒ぎが起こるさ。そこを境に時代は加速する」


 じっと島介の瞳を覗き込むと「天下に英雄は君と私しかいないと思っている」お得意の発言をした。曹操が誰かを褒める時には、必ず自分をセットにして言う。そういった戦略のようなものだ、お互いに売り込んでいこうと言う。


 挨拶はわざわざしなくてもいいだろうと、幕には戻らずに陣営へと足を向けた。留まらずにさっさと抜けようとしていると劉備が関羽、張飛を伴い姿を現す。平静を装い一礼する、島介も歩み寄り二人で言葉を交わす。


「島介殿、何もお役に立てずに申し訳なくおもっております」


「みな自分のことで精一杯なんだ、何とも思わんよ。劉備殿はこれからどうするつもりで?」


 自分は拠点に帰ると軽く告げた。三日もあれば行き来できる場所なので、そこまで大事とは思っていないが。


「董卓に捕らわれている帝は心を痛めておいででありましょう。私は連合軍に残り、最後まで微力を尽くさせて頂きます」


 初めからずっと忠誠心を露にしている。他の諸侯らはうわべだけかも知れないが、劉備は心底そうだと。島介は「劉協へのその心、私が代わりに感謝を示させて貰う。ありがとう劉備殿」真顔でそのようなことを言った。


 劉備はそれを不審に思い、同時に不遜にも思った。だが一切表情には出さない、そこは一流の自制心だ。


「なぜ島介殿が?」


「前世の縁とでもいうか、私と劉協とは友人なんだ。洛陽を離れる前に話をして、必ず迎えに行く、いつかその時が訪れるまで決して心を折らずに待っていてくれと約束をした。あいつはあの小さな体で頑張って立っているんだ、それを応援してくれるものが居れば感謝もする。情けないよ、これだけの力を持った者が集まったというのに、あいつを支えることすら出来ないでいるのが」


 たわごとを吐いているような様子は一切無い、劉備は少なくとも島介が本気でそうだと信じているのを感じ取った。


「不肖、劉玄徳も帝をお助けするにあたり、この身を捧げさせていただく所存」


 大きく二度頷くと、小さく深呼吸をした。いつもの感じに戻り「おーい張飛、こっちにこい!」急に後ろで待っている髭もじゃの男を呼ぶ。


「なんでぇ島の旦那」


「これ翼徳」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る