第269話


 立ち上がると片膝をついて拳礼をし「快い返答、父孫堅に代わり感謝を申し上げます!」その場で頭を下げた。


「なに気にすることはない、座れ。しかし洛陽への道にはまだ砦があり董卓の兵が詰めている、準備は今からするが部隊を動かすのは明日の朝になるぞ」


 そのころには洛陽へ出した偵察も戻って来るだろうから、それも併せて判断を下すつもりだ。無理を要求しているのは孫策の方なのでそれには素直に頷いた。一日戻りが遅くなろうとも、どうにかしているだろうと信じて。


「はい、洛陽へは自分が先導します」


 恐らくは孫策が出来る何かの全てがこれだ、将来有望な若者に対し、幕の皆が好感を持ったのが分かった。


「まずは飯を食って傷の手当てをし休むんだ、場所は用意させる。文聘、手配と案内を」


「承知致しました。こちらへどうぞ」


 細かいところに気が利く上に、当たりが柔らかい文聘を指名して対応させる。孫策らが幕を出て行くと、残る者らで続きを行う。


「さて荀彧、これから起こる最悪を予言してくれ」


 最善ならば何も心配はいらない、頂点の仕事は最悪を回避することだ、わざわざ皆が居るところで言葉にする必要まではないが、これも部将の教育の一環として行う。


「最悪で御座いますか、畏まりました。ではまず既に今現在、孫堅殿が董卓と戦い敗戦していたならばですが、長沙へと向かうでしょう」


 幕の半数以上が流石にそれはないだろう、といった感じだった。何せ戦闘能力でいけばかなりの上位、今までの戦いでも連戦連勝であっという間に負けたというのはいささか考えすぎ。


「胡軫軍団の守備範囲だ、何かしらの罠に嵌り孫堅が敗退したとする、確かに連合軍の本営に向かうことはないだろうな」


 そこへ行ってもどうすることも出来ない、どこかに客将として間借りさせて貰うだけで、その後功績を上げたとしても自分の手柄にはならない。だが失う時には自分で率いている時と同じだけ失うことがある、ならば態勢を立て直すために撤退した方が良いのだ。


「荊州までは追っ手をかけることもしないでしょう、この際は自力で生き延びるのを祈るしか御座いません」


「孫策の保護くらいは引き受けるが、こうも諸侯らに戦意がないようならば、小黄に引き返すのも視野に入れるべきだろうな」


 一人抜けるならば二人、三人と手を上げるのが常だ。最前線から落ちて行くならば、後方でのうのうとしている奴らが文句を言うわけにもいかないだろう。


「でも大将、あの孫堅がそう簡単にやられちまうもんか?」


 甘寧だって孫堅の戦上手の程は聞き及んでいる、自身が戦ったら勝てるかどうか疑問なのだ。それがあっさりと負けでもしたらと思うと、まあ面白いはずもない。


「さあな、十全の備えをしていても負けることもあれば、幸運に恵まれて勝つことだってある」


 つかみどころが無さそうな発言に「でもよ、勝ち続けてんだろ」あんたもな、とまでは言わずに食い下がった。


「目指すは勝利ではあるが、将として敗北を知らずに大成するのはあまり良いことではない。俺だって今まで何度も辛酸をなめたものだぞ」


 どこでどのようにとは言わずに、失敗から学ぶことは大きいと諭しておく。荀彧に目線を投げかけると先に進めさせた。


「いずれにせよ食糧の補給を行う手筈を行います。今宵のうちに三十石の食糧を輸送する隊を編成、経路を定め会敵時にどのようにするかの対策を決めます」


「部隊指揮官は張遼だ、補給隊の護衛は典偉、孫策に先導させ会敵時はこれを強行突破、張遼は敵を食い止めて交戦をしても典偉は洛陽への到達を優先とする。可能な限り孫策の身の安全をはかれ、といっても一騎打ちでもすればお前らと同等の武力があると俺は見ているがな」


 実は控えめな評価であって、本当はこの中の誰一人孫策に勝てないだろうと島介は思っていた。だが年齢的な部分で身体が出来上がってないことを含め、今は同等程度と言っていた。文聘や趙厳、牽招あたりは既に戦いで劣勢を強いられるのが現実だろう。


「任された。確かに徐栄と戦った時に見たあの様子じゃ、ほっといても平気とは思うがまだ子供だからな」


「お前らも含めて、十年後が楽しみで仕方ないよ」


 笑って期待していることを示し、雰囲気を和らげる。話が分かる上司として連帯感が強められていた。


「我が君、拠点へ戻るとの可能性で御座いますが、やはり名分が必要になると愚考致します」


 帰りたいから帰るではまずい、事実がそうだとしても何かしら理由が無いと抜けることが出来ないのは、時代や国が代っても似通った部分がある。


「だからと負けてやるつもりはないが、どうしたらいいんだ」


「怪我を負ったので療養する、あたりが無難では御座いますが。そうなれば我が君の名声に傷がつきかねません」


「そんなことで傷つくような名声ならあってないようなものだ、そこは荀彧に任せる」


「畏まりまして」


 大雑把に決めることは決めた、後は日の出を待って実行に移すだけ。翌朝になり偵察が戻って来ると早速報告を行う。


「洛陽は静かで落ち着いていて、孫堅軍が城内に入り夜を明かすものと思われます。周囲に董卓軍の姿もありませんでした」


 深夜に洛陽北門を探ってきたのを大急ぎで戻って報告しているので、現状きっとそうなのだろうと納得する。取り敢えずは目標は腹を空かせて城で待機、行き先を間違えることもないので昨夜に決めた内容で実行させる命令を下す。


 食糧を混載して凡そ千キログラム、馬一頭で四輪の平馬車は整地ならば千キログラムを曳くことが出来る。だがそれを鵜呑みに一台の馬車で動くのは愚か者のすることだ、荒れ地に急斜面、襲撃時に逃げることを考えれば、最低二台、出来れば三台で運用したい。




 最悪どれか一台でも辿り着けば空腹を凌げるので、どういった手配をするかを黙って見ていると、張遼はなんと六台で編成した、それも四輪ではなく二輪馬車にして。


「ほう――」


 島介が発したのはこれだけ、さすが張遼と言ったところだろう。余裕があるのだからそうした、これならば歩兵では追いつくことすら出来ない。物資の損失は回復可能だ、人間のそれとは違う。


 騎兵二百、歩兵三百で孟津を出立する。一般の輸送隊ならばこのような護衛はつかないのが常で、精々馬車一台に十人かそこらだけ。孫策らもこの数には驚いていた、戦闘部隊の編成と変わらないから。


 かなりの速度で街道を南下、昼になるやや前あたりで遠くから駆けて来る騎兵が見えた。張遼の隊から十騎抜けて接触させると、孟津へ戻ろうとしていた偵察の第二報だという。


「洛陽に変わりは無いか」


 一応確認のためにそう訊ねたが、偵察兵は驚きの返答をした。


「今朝未明に洛陽城へ胡軫軍団が奇襲を仕掛けました。これにより孫堅軍は城外へ離脱しました!」


 自分が見たのはそこまでで、取り急ぎ報告に戻る最中ですと告げる。孫策は目を大きく開いてじっと偵察兵を見ていた。


「解った、お前は島将軍のところへ急げ。俺達は洛陽へ急ぐ」


 あべこべにやられてはいけないと、三方三里へ斥候を散らしつつ先を急ぐ。といっても歩兵の歩みだ、暫くは先のことになる。気が気ではない孫策、だが何とか自制をしようとしている姿が見て取れた。


 夕方になり斥候が洛陽から南へと撤退していった孫堅軍を追っている胡軫軍団を見つけたと聞かされる。ここから必死に追いかけてどうにかなるわけでもない、昨夜荀彧が言っていたように自力で逃げてくれるのを祈るしかない。補給が目的だが補給先が消滅した今、張遼は本隊へ帰還するのが約束だ。


「孫策殿、残念だがもう洛陽へ行っても遅い、我等は孟津へ引き返すことにする。同道を選択するのを望むが」


 息子であるならばたとえ一騎であっても追いかけて戦いたい、そう考えてもおかしくはない。それだけの実力だって持っているだろうし、それを止める権利など無い。だが出来るだけ保護したいとの島介が望んでいるので尋ねた。


「若君、どうか、どうかご自重の程を」


 戦うと言うならば黄蓋は死ぬことになろうとも付き従う想いだ。だが今はその時ではない、未来の主君である孫策に判断を委ねた。

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