第267話


「胡軫様、河北で徐栄様らと争った際には騎兵が二千以上いたとのことですが、どこかに伏せているのでは?」


 幕の筆頭部将である王方が指摘する、三人衆のうち華雄と張済が成睾へ行っているので席次が繰り上がっている。他にも三人の次席者が座を埋めているが、発言権は僅か。


「それは曹操と島介の軍が共に動いていたからに過ぎん、孫堅単独なのであろう。のこのことやってきおって、目にモノ見せてくれる。王方、お前は三千を率い暗夜に東へ周りこみ合図とともに奇襲を行え」


「はっ、畏まりました!」


 胡軫の本隊は一万、各地の砦に千単位で詰めさせており、合計すると二万の手勢がいる。わざと見逃すようにさせなければ、街道を無傷で抜けることも出来ないような場所を占めていた。洛陽へ向かう軍あってもそれを阻害するなという指示を出してある、引き付けて撃破しようと待っていたのだ。


 連合軍は足が遅い、放っておけばずっとやって来ないのではないかと逆に困る程に。昼間には動かず、夜陰に紛れて動き回ることが出来るのはこの地を支配して時間が経っているから。


「恐れながら申し上げます。砦より兵を招集し、後に攻撃を加えられてはいかがでしょうか?」


 下級部将の一人が僅かでも優位をより確立すべきだと進言する。兵を集めるにしても一日あれば充分、二倍になれば野戦ではかなりの勝率上昇になる。


「貴様はこの俺が数で優っているにもかかわらず、孫堅ごときに勝てぬとでもいうのか!」


「め、滅相も御座いません! そのような意図では決して――」


 大慌てで否定する、胡軫の性格上戦略は大胆で苛烈、保険をかけることが少ない。またそれでも兵が強いのでいつも上手く行っていたのが背景にある。董卓もそれが好きで軍団を指揮させていたので、今さら変えるはずもない。


「ならば奴らが洛陽に入った次の夜明けに攻め込む、良いな」


「ははっ! その折には是非とも先陣をお任せいただきたく!」


「よかろう、その手で勝利を刻め!」


 結果を以てして評価を下す、解りやすくて人気があった。気に入らない奴には酷い仕打ちをするが、半面でお気に入りには甘いえこひいきをする、そこは董卓と同じだ。戦いが好き、それも出来れば前線が良い。策が刺さった時の感覚が何よりも心地よいと感じるから。


 孫堅軍が連合軍本営から三日かけて洛陽の北東へと居場所を移した。途中道々で食糧を徴発しながらうごいてはいるが、節約してもあと一日分しか残っていない。当日中に補給隊が追いついてくる見込みだったので、丁度良く身軽になっているとも言えるだろうか。


 大きな岩場を背にして野営をする、軍旗は掲げたままだ。そうしなければ補給隊が見つけられない、何よりも会敵望むところだった。夜が明けても敵味方共に現れない、手持ちの食糧もわずかになる。


「殿、食糧が届きませぬ」


 古参の側近である祖茂が率直に意見を述べる、恥ずかしいことでも隠すようなことでもない。一日食べなくても水さえあれば死にはしないが、兵の体力が減れば戦いに勝てない恐れもあるので後回しにするわけにもいかない。


「袁術様が補給を届けて下さる。さりとて捨て置けぬな。洛陽に密偵を忍び込ませよ、それで本隊をどうすべきか下す」


「御意。それでは兵を送り込みます」


 野営を解いて密偵が戻って来るのを待つこと数時間程、走って戻って来る。


「どうであったか」


「はい、洛陽はもぬけの殻でして、焼け野原に御座います」


「うーむ、殿いかがいたしましょう?」


 幕僚らが集まっていて、これでは判然としないと唸る。


「敵が居ないのであれば我等の手で洛陽を奪還するぞ! 程普よ、騎兵を率い城内を警戒せよ」


「承知致しました!」


 いち早く幕を出て行くと、一部の部将もそれに従う。方向性が決まればもはや後は実行に移すのみ、各隊に戻ると移動の準備を始める。同時に戦闘の備えもだ。歩兵がこぞって洛陽へと到達すると、城門を潜って唖然としてしまう。


「これが都の姿か……」


 つい孫堅ですら驚きの呟きを漏らしてしまう。何故か悔しさがこみ上げてきて、次に怒りが湧いてくる。陽も傾いてきて気持ちが穏やかではなくなる。


「父上、宮殿に行ってみませんか?」


「うむ、行ってみるとしようか伯符。朱治、周辺の警戒を任せるぞ」


 供回りを連れて焼け落ちた宮殿にやって来る。瓦礫が朽ち果てていて何とも痛ましい。目ぼしいものは全てが持ち去られており、残っているのは元が判然としないがらくたばかりだった。


「ここでかつて中華全土のことを決めていたのですね」


「……このような姿になろうとも、ここが洛陽である歴史は変わらぬのだ。蔑ろにしては祖先に失礼と言うもの」


 石造りの倒れた灯篭のようなものを引き起こさせて、水と酒で清めた。すると淡い光を放ったかのような錯覚に陥る。


「父上、いかがされましたか?」


「ん、いや、気のせいであろう。ここいらには本当に何も残されてはおらぬのだな」


 不意に歩き回る、屋敷のようなものは土台のみを残して全て燃えてしまっている。時折くすぶった煙が微かに匂う。歩いていると井戸を見つけた、石を投げ入れても水の音はしないので枯れ井戸だ。立ち去ろうとすると孫堅の頭の中に「待て」という声が聞こえたような気がした。


「いま誰か呼び止めたか?」


 皆が顔を見合わせて頭を左右に振った。


「殿の気のせいではないでしょうか」


 不審者がいれば祖茂が気づくが、見通しも良くそんな者を近づかせるはずがない。孫堅は腕を組んで唸る。


「おい井戸の中を調べてみよ」


「はあ、それではそのように」


 既に水が無いのは解っているのに、今さらどうしろというのか。だが主君の命令だ、素知らぬ顔は出来ない。縄を持ってこさせて祖茂自らが中へと降りて行った。


「おーい、松明をくれ!」


 ぞんざいに投げ入れてやると、下の方が明るく見えるが遠くて上からではよくわからない。


「……はて、何だこれは? まあいい、引き上げるんだ!」


 兵士が五人がかりで縄を引き上げると、祖茂が何か子供の頭位の色褪せた巾着を抱えていた。


「殿、このようなものが落ちておりました」


「ふむ、何だこれは。どれ……」


 近くの石畳の上に置くと、紐を引っ張り開けようとする。だが朽ち果てた紐は切れていしまい、ボロ布の巾着も破れる。中にはくすんだ銅張りの四角い箱が入っていた。細やかな文様が描かれていて、ただものではない雰囲気を醸し出している。


 首を捻っては蓋を開けてみると、中には長方形の土台の上に、黄金の取っ手がついている塊が潜んでいたではないか。


「これは!」


 両手で持ち上げて四方から観察してみる。見れば見るほど凡庸な品ではないことが分かるが、それが何かは見当がつかなかった。


「これは一体?」


「殿、程公を呼んで尋ねてみては?」


「そうしよう、誰ぞ程普をこれへ!」


 ものの十分位で程普が騎馬してやってきた。ただならぬ雰囲気に姿勢を正し孫堅の目の前にやって来る。


「お呼びとのことで」


「うむ、まずはこれを見てみよ」


「拝見」


 手にして確かめるうちに顔が険しくなる、ひっくり返して光の当たる角度を決めて、波打っている謎の模様をじっと見詰める。


「受命於天既寿且康」


「なんだそれは?」


「天命を受け世を康んじると刻まれております。玉を工し、璽を為しておりますれば、玉璽で御座いましょう。伝国璽が何故ここに?」


 恭しく孫堅の目の前に返すと自然と一礼してしまう。玉璽との響きに大変なものを見つけてしまったと皆が感じた。


「なんとこれが玉璽であったか。先の宦官との騒乱で失われたと聞いたことがあったが、井戸で見つかるとはな」

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