第265話
こんな馬鹿な話はないが現実は残酷だ、通すまいと奮戦すればするほど大被害を受けてしまい、結局は抜けられてしまうと判断する。本来ならば馬止を間に置いて隊を横に伸ばして防衛するつもりだったが、馬止の後ろに部隊を配置、左右前列に盾を集中配備し密集陣形に変えてしまう。
その様子は徐栄からも見ていたが、今は怒る気にもなれなかった。案の定孫堅の騎馬隊はもののついでに封鎖部隊を軽く蹴散らして東へと逃げ去って行ってしまった。
「なんなのだアレは!」
手にしていた矛を地面にたたきつけると大声で不満を吐き出す。目を閉じて上下する肩を意識して落ち着けると「負傷者を孟津に運ぶ手配を行え。この場で陣を敷いて昼まで休んだ後に帰還するぞ」司令官としての役目を全うする。
徐栄は有能だ、董卓麾下で中郎将を与えられているだけあり優れている。そんな者がかなわないと思えるほどの相手が孫堅だった、あまりにも強烈過ぎてその後暫く言葉が出てこなかった。二時間程すると『李』の騎兵隊が到着する。
「徐栄様、遅参致しました!」
「李粛か、本来ならば間に合っていたはずだ、気にすることはない」
包囲されている中を逃げ回ったりして、最後は黄河に飛び込む、そうなれば歩兵ではどうにもならない、そこに李粛の騎兵部隊が間に合えば充分だったのだ。ところが想定を大きく外れ、包囲戦すら成立しなかった。
「孫堅軍、そこまででありましたか?」
「お前は呂布の友であったな、ならばわかるだろう。まるでその呂布が何十人とまとまり突撃してきたかのようであったわ」
李粛は呂布の親友で、同郷の部将だ。董卓軍に誘い入れたのは李粛の功績である。
「であるならば、よくぞご無事でおられました」
かける言葉もないとはこれだろう、長居は無用だと幕から出てしまう。黄河を渡って南へ負傷者を運んでいるのが見えたが、結構な人数なのが分かる。
「今攻撃を受ければ守り切れまい。李蒙に増援を要請しておこう、それと癪ではあるが南岸へもだな。誰か伝令に走れ!」
李粛の懸念は的中することになる、徐栄が引き揚げようとすると千の黒い騎兵団が二つ現れ行く手を阻んだ。その上で、どこからともなく孫堅軍も戻って来て攻撃を仕掛けて来る。
「徐栄様は血路を切り開き河陽へお逃げください! 直ぐに李蒙や張済らが増援で駆けつけるはずです、ここは自分にお任せを!」
「すまぬ李粛、このことは決して忘れぬぞ!」
僅かな手勢を率いて徐栄は騎兵の間を切り抜け、西の山際を駆け上ると山林へと姿を消す。『徐』の軍旗の真下に来ると李粛は声をあげた。
「我こそは徐栄軍団の李粛なり、連合軍の謀反者らよ掛かって来るが良い!」
名乗りを聞くが早いか、曹操の軍がこぞって突撃し到達、ついには李粛を討ち取る。将を討てば戦など終わりだ、徐栄軍団は散り散りに逃げ回り最早戦う意志など感じられなかった。
「島将軍、北東と西より董卓軍の増援がやって来ます!」
増援は歩兵ばかり、構っている暇がなければさっさと離れてしまえば良い。戦場の設定権は常に騎兵の側にのみあるのだ。
「集合の銅鑼を鳴らせ! 総員撤退するぞ、偵察は終了だ!」
そういえば偵察だった、という小さな笑いを誘うと戦場を縦横無尽に駆け回っていた騎兵が集まって来る。島介はある程度の数になったところで東へと馬首を向けた。馬を寄せて来た曹操が「求めていたのとは違うが、まあこれでも手土産位にはなるであろう」李粛の首があると上機嫌になる。
「孟津の情報はあるので、目的は果たしたということで宜しいかな。それにしても愉快であった、ははははは!」
孫堅もこれまた絶好調、劉備はというといつものようにあまり表情を見せない。しかし関羽と張飛は満足しているようで顔が緩んでいた。言葉巧みに勝手に本営を出て行った一部の諸侯と騎兵、数日して戻って来ると驚きの戦果を聞かされる。
盟主である袁紹はどういう態度をとればよいか俄かに解らなかった。そこで曹操が「盟主殿、連合軍の勝利ですぞ」と呟いてやる。すると、笑顔を作り「おお、そうだな。皆の者、勝ち戦を祝おうではないか!」いつものように盃を手にして声も高らかに告げるのであった。
◇
長安へ献帝が移り、元号が初平元年に改められた。廷臣らが画策したことであろうと董卓は考えたが、これといった実害もないので放置することにしたらしい。暦は皇帝の権利、それについて助言する人物は太常だ、今は馬日碇がその官職についている。
そもそもが朝廷を取り仕切るべき相国が都に居ないというのはどうなのか、賈翅がそのように疑問を提起してきたのでじっくりと考え、ついには「洛陽を捨て長安へ向かう」董卓も長安入りすることを決めた。かといって全軍をそうするのかというと決してそうはしない。
弘農へ行っている牛輔を函谷関周辺の防衛に充て、本営の董卓が戻るだけ。河南尹は胡軫に、河内は徐栄に任せて連合軍の相手をさせるつもりで命令を下している。墓を暴かせた呂布が大量の財宝を発掘したので、それらも全て長安へ移送する手はずも整っていた。
そんな中、未だに孟津すら占領することが出来ていない連合軍へ、恐ろしい報告がなされることになる。何かというと直ぐに酒宴を開こうとする袁紹、今日も多数の諸侯らが参席して酒を楽しんでいるところだ。伝令が慌ただしく場に駆け込んで来る。
「騒がしいぞ、ここをどこだと思っているのだ」
顔を赤らめた中年がそのように嗜めるが、伝令は一瞥だけすると膝をついて袁紹へ向かい叫ぶように報告する。
「申し上げます。洛陽へ偵察に出た者が、都が燃えているのを目撃致しました! 燃え盛る炎は一部ではなく、洛陽全域でございます!」
ただごとではないと見た曹操が立ち上がり伝令に尋ねる。
「ただの火事ではない規模と言うことか?」
「はい。あたかも洛陽という街を焼いているかのようだと」
焼いている。その表現にことの重大さを痛感する、守備兵や住民が努力して消火に努めるのが普通なのに、その動きがみられないのだ。
「それはいつの話だ」
「四日前の夜に燃え盛っているのを見たと」
「遅い! 何故直ぐに報告しなかったのだ!」
異常を感じたならば三日前の午後、遅くとも夜には知らせることが出来たはずだ。
「夜が明けても鎮火しないのを見て、これはおかしいと思い本営へ伝令を飛ばしましたが、その日の晩は出入りを差し止められましたので……」
「それでも昨日にはやってくることが出来たことになるが。ああっ、それはどういうことだ。ん?」
途中途中間を置いて、諸侯らの顔を確かめながら話を続ける。その中で一人様子がおかしい奴が居たが、今はまだ黙っていることにした。
「それが、報告は盟主様か副盟主様にと言われていましたが、どちらも昼過ぎまではお休みになられていると待たされまして……」
後半は声が小さく消え入りそうになる。余計なことを言えば自分の首が危ないし、言わなければ言わないで怠慢を指摘されやはり首が危ない。曹操も有耶無耶には出来ないので、先を想像しながらも進めた。
「では昨日の午後は何故報告しなかった」
「それがその、取次を願ったのですが、盟主様や副盟主様は、その……」
「構わぬ言うのだ、この場は曹操が責任を持つ」
曹操とは決して正義の人物ではない、だが烏合の衆がこのように集まって何もしていないことはには腹が立っていた。武器を持っているのにそれを行使しようとしない、持たざる者よりもどれだけ心をざわつかせるか。
「はっ。盟主様や副盟主様は会いたいときにすぐに会えるような存在なのかと言われ、一日待たされた次第で御座います」
ここが宮廷で、民からの陳情であるならばそれは統治の方法として、ある意味正しいことだったのかもしれない。だがここは戦場で伝令は役目、盟主ではなく諸侯のいずれかにでも報せれば良かった。どこに指揮権があるか明確ではない、互いの及ぶ範囲を競り合っている、くだらない理由のせいでこうなったのを嘆いても仕方ない。
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