第264話


「そこはまだ戦闘に参加しておらぬ某に任せて頂きたい、島殿如何」


 目線で残りの二人に尋ねる。


「孫堅殿お一人に負担を強いるのは本意では御座いません。我が義弟の関羽、張飛をお連れ頂ければと」


「おう聞いたぞ、あの呂布と戦い負けず劣らずの激戦を繰り広げたとな! お預かりいたそう!」


 関羽らの意見を確認せずに決めてしまう、とはいえ拒否などしないだろうが。


「ああっ、はっ、武名轟く孫堅殿の傍で学ぶべきがある。元譲、妙才、子孝ら我が腹心の部将を十人つけさせてもらう」


「それは心強うござる、お借り致そう!」


 騎兵を動かすだけならば北瑠と島介が居れば充分、ならば自身もそうすべきだと名を上げる。


「ではこちらからは張遼、甘寧、典偉、趙厳、牽招を行かせよう」


「承知仕った。某の騎兵五百が囮を引き受けようぞ!」


 文聘はと言うと、居残りの歩兵を統括する為に置いてきている。若いがしっかりとしていると、委細任せてしまっている。まだ二十三歳、多くの者の頂点に立つには早いが、下で取り仕切るならば充分。


 初日は渡河して山中に身を隠した、翌朝きっちりと休養を挟んで西へと進む。歩兵付きならば孟津へ行くだけで三日はかかっただろうが、騎兵のみならば昼過ぎには到着する。孟津が良く見える吉利郷の傍にある小山に登ると遠くを睨んだ。


「一応軍が駐屯しているようだが、旗印はなんだ?」


 飛び切り目が良い奴が居て「門の上に『潘』が翻っています」文字を読む。だが潘という武将に心当たりがない、荀彧ですら頭を左右に振った。


「小物ってことか。まあいい、徐栄の見張りにしっかりと見つかってもらうとしよう。孫堅殿、頼みます」


「任せておけ、皆の者行くぞ!」


 後の世ならば、五十万の大軍を指揮可能な面々を率い、たったの五百騎で山を下って行った。僅か分隊に一人の割合で将軍級の人物が混ざり、騎兵を完全に手足のように扱う。この時の騎兵らは晩年に思い出すことになる、奇跡のような場に自分が居たことを。


 吉利郷に入るとわざと船を探す、しかも時間をかけてだ。山で様子を窺っていると、北へ向けて馬が駆けて行くのがはっきりと見えた。河陽からの距離は二十キロ、武装して会敵を警戒するならば半日かかる。真夜中に到着、夜明けとともに攻撃が想像しやすい。


「こちらからも見張りを出すぞ、今のうちに兵は交代で寝ておけ。朝は早いぞ」


 北狄騎兵らは半分に別れるとさっさと転がって目を閉じてしまう、いつ寝る間もなく戦わなければならなくなるかわからないのだ、休める時に休んでおく。孫堅らはというと、船が全部そろうまで吉利郷で休息すると酒を飲み始めた。


 夕刻にわざと百騎を河に入らせ孟津に接近させる、これは河向こうにも気づかせるためだった。わざと発見されるのは偵察の一つのテクニックでもある、即ち威力偵察だ。相手がどのような反応をみせるのか、規模はどうか、なによりも強さの程はどうなのかを確かめる。


 ところが少数の弓兵が川岸に並んで、射程外から二度射って来ただけでこれといった反応がない。百騎を率いているのは孫堅の子飼いの腹将、程普だ。彼は並みいる部将の中でも最年長、軍指揮の腕が確かなだけでなく、陣営の部将らとの折り合いも良好で、宿将の地位を占めていた。予定通りに引き返すと孫堅の前にと戻って来た。


「孟津の守備隊の練度は低く、兵数も少ないであろう感触であります」


「そうであったか。南岸を行っていたら弱兵を蹴散らすだけで終わっていたのかも知れぬな」


 うんうんとこれから起こるであろう激戦を想像してしまう。河を渡り増援をしてくるかと言われたら、来るだろう。しかしながら挟撃したり追撃に加わることが出来るかと言うと疑問だ。戦場に辿り着けない部隊など居ないも同然、それだけでも偵察の意義はあった。


「可能な限り兵を休ませ、未明の戦闘に備えよ」


 あるとしたら払暁の奇襲、徐栄ならば部隊を無理してでも進め先手を取ろうとするだろうとの考えから。実際陽が暮れてしまうというのに河陽から軽装歩兵が走り出している最中だ。堂々と篝火を炊き、暖を取りながらそれぞれが眠りにつく。


 深夜二時、軽装歩兵がその篝火を見つけ移動を止めて後方へ伝令を出す。斥候を忍ばせると五百前後の騎兵団が寝入っているのが確認された。夜明けまでには後続がやって来る、それまでに地形を確かめ他に敵がいないかを探す。


 東の空に太陽の光が現れると、夜通し駆けて来た徐栄軍団の本隊が到着した。落伍した兵が数千だったが、一万近い数がこの場にやって来ることが出来たので気にもしていない。


「李粛のところは間に合わなかったが、これだけ居れば充分だ。一隊は東の平野部を押さえ騎兵を逃さぬよう封鎖、一隊は西の街道部を占めよ、残りは俺と正面より畳みかける。両翼進め!」


 東西の足止めをする部隊を先に動かし、三十分休んでから本隊が歩きながら進んでゆく。これより先は歩兵を走らせたら負けだ。孫堅軍の見張りが多数の歩兵が迫って来ることに気づくと警鐘を鳴らす。


「孫様! 敵が現れました!」


 にやりとすると孫堅は矛を手にして騎乗する。敵の旗印は『徐』ということは本隊のお出ましだとわかる。


「荊州より遠路はるばるここまでやって来た甲斐があった。総員騎乗だ!」


 馬を寄せて来るのは都尉朱治、孫堅部将で唯一漢の官職を得ている丹楊の名家出身の男。孫堅軍へも手勢を個人的に従えてやってきている、次席将校と言える人物。


「孫堅様、見たところ歩兵の武装は貧弱、数こそ一万弱ほどではありますが体力が低下しており継戦能力も僅かでしょう」


 大軍を目の前にして冷静、騎兵らも落ち着き払っている。大将がどっしりと構えている以上、何かしらの策があるのだと信じていた。


「包囲を破り逃げたとしても、島殿が迫れば勝負がついてしまうであろう。なれば我等が真っすぐに突っ込んでもさして問題もあるまい。ふふ、二十列縦隊だ! 分隊長が先頭に並べ!」


 孫堅の命令で分隊が一列になり、上官の背を見て並ぶ。単純な話だ、前について行けばよいだけ。先頭が倒れれば次の者が戦う、なんの思考も要らない突破力、破壊力を発揮しやすい陣形。中央の先頭が孫堅で、左右に朱治と程普が並ぶ。


「我が軍の目標は『徐』の軍団長旗だ、総員俺に続け、突撃!」


「うぉぉ!」


 何故か包囲奇襲を受けた側が士気を上げて突撃して来る。徐栄は伏兵がすぐ傍に居るのではないかと疑ったが、全くそのような気配はなかった。島介はまだ山から動く気はないので、警戒するだけ無駄。


「敵は小勢だ、歩兵共揉みつぶせ!」


 肩を寄せ合い矛を突き出し馬を威嚇した。先が鋭いものを馬は恐れる、朝日が輝きキラリと光る刃先は軍馬の目にどのように映っているだろうか。


 だが、騎乗している者が一切の不安を感じていないというのが伝播する、軍馬は足を止めずに真っすぐに駆けた。馬上から長柄の武器を振るう騎兵、先頭が転倒でもすれば勢いが削がれる、歩兵もそれがわかっているので何とか馬を仕留めようと矛を伸ばす。


 ところがどうだろうか、その矛を全て打ち払われてしまい、馬の蹄が目の前に迫るとつい身をかわして逃げ出そうとする。先頭から何とか逃げたとしても、後続の矛に突かれ、あるいはすれ違いざまに首を薙がれ散っていく。


「なんだこいつら、強すぎるぞ!」


 装備が軽い者が多いので、切り傷一つで重傷に陥る。まるで何もない平野部を行くがごとく騎兵団が突っ走った。異常を感じった徐栄はすぐさま「大盾兵を固め半円を作りその場を死守せよ! 防壁を前後に寄せて厚みを作れ!」陣形の変更を命令する。


 いつもならそれで騎兵の足が鈍って左右に割れて抜けていくのだが、どういうことだろうか全く関係なく防壁を崩しながら突き進んで来るではないか。


 分隊の最前列に据えられている部将、それが尋常ではないのだ。関羽張飛を皮切りに、夏侯一族に曹一族、張遼や甘寧らが横一列で連携しながら迫ってくるのを一体誰が止められると言うのだろう。


「おお、何と凄まじい突破力だ。俺が指揮してきたどの騎兵よりも精強だ! ははははは、突き進め!」


 孫堅がご機嫌で矛を振るいながら突進、それを見て皆がついてくる。いくら強いとはいえただやられるわけには行かない。


「投石、射撃を騎兵団の中央より前に集中せよ! 本陣前に何でも良い瓦礫を置くのだ!」


 強いのは最前列のみ、後続は至って普通の騎兵だ。飽和するような射撃や投擲をさばききれずに落馬する者が多くなった。ところどころに瓦礫の馬止があったりし、満足に進めなくなってくる。


「ふむ、徐栄は良将であるな。充分脅威を与えた、離脱するぞ。河を右袖にして進むのだ!」


 平野部を占拠している徐栄の支隊、あの猛烈な戦闘を見せつけられどれだけ持ちこたえられるかと隊長が渋い顔で想定した。


「皆の者、両隣と助け合いその場で身を守れ! 突破されても構わぬ、生き延びることを優先せよ!」

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