第262話


「……牛輔よ、いずれ長安へ退くことになる。先に弘農北東の大陽、狭に行き山岳に要塞を築いてまいれ」


 大山脈が東西に走っている中で、細い尾根の道々に小さな郷がある。郡都弘農の衛星都市のようなものに、河の南北に別れた郷があり、それが大陽と狭だ。洛陽から長安へ向かうならば絶対に通る道。


 弘農郡までが中央であり、そこから西にある関所、函谷関より先は関中と呼ばれている。その要衝の一つ手前に要塞を築けと言っているのは、弘農を保持して後方基地にするつもりでの発言だ。西からくる敵は函谷関で防ぎ補給をする、洛陽が都ならばそうだが、長安を都にするならばこれではうまくない。


「あの辺りならば守るに極めて適しております。工部官らをお借りしても?」


「構わん。兵糧輸送もしておくんだ」


 慎重で臆病な性格ならば、防御に関しては注意力を発揮するだろうと、適材適所を目指し人事を行う。董卓は横暴だが優秀だ、やりすぎるところを諫められる人物がいたら案外よい宰相として名を残していたかもしれない。


 一つ問題があり、それのせいで中華全土を巻き込む大嵐になっているのだ。董卓は濁流派であり、清流派が相容れないと毛嫌いする人物。歩み寄ろうとして高官に多数の清流派を任命し、出来得る限りに話を聞いている、だが彼らは董卓を認めようとはしなかった。


 そもそも清流派とは、清廉な学者に師事し学業を修め仕官して後に徐々に転任で出世をしていく者達を指している。一方で地方で功績を残し、官を認められた実力派、或いは地方豪族から官職を得たものを濁流派と呼んでいる。


 清流派から見れば濁流派は真っ当な学問を修めずに割り込みをかけてきたヤカラに見えている。反対に濁流派からしてみれば、言うことだけ偉そうで現実から目を背ける頑固者が清流派だ。個人個人を見るのではなく、派閥をみて物事を決めようとするものだから衝突が絶えない。


 董卓はそういう清流派をせっせと囲っては相応の地位につけていったが、頑固者の集団である奴らから見れば、それは決して良い行為ととることはしなかった。色眼鏡に掛かれば全てが悪に見えてくる、時代がどうあれ世の中はそういうものだ。


「このような場所では防備も不安です、義父上もお早く長安へ行かれますように」


 郊外の屋敷でしかないところなど、奇襲で騎馬軍が二千も突っ込んできたら乱戦になってしまう。牛輔の言うことは正しい、さりとてここを去るのにはちと早い。


「目の前の連合軍に一撃入れて後に行くことにしよう」


 己の身を案じて本心からそう言ってくれているのを感じてか、多少表情を崩して返事をした。



 成睾城の前に足を進めた連合軍、虎牢関とは違いここは住民もいる土地だ。緩く包囲をしてどうしたものかと本営でお馴染みの酒宴をしていると、そこに伝令が舞い込んできた。


「申し上げます! 南東より袁術様、孫堅様、劉祥様の軍がやってまいりました!」


 勝ち戦の後だと言うのにどんよりとしていた場に、さっと光が差したかのような報告に皆が沸く。単純に数が増えたからではない、それだけの名声がある人物らが現れたからだ。


「おお来たか! 直ぐに陣営へ招くのだ」


 袁紹は喜色を浮かべ今か今かと本営の出入り口を見詰めている。そこへ三人の男がやって来た。どこか袁紹と似ている風貌の男に、触れれば切れそうな雰囲気を持つ者、二人に比べて見劣りはするが立派な甲冑をつけている武将。諸侯らが皆起立し三人を見詰めた。


「袁公路、並びに長沙太守孫堅、江夏太守劉祥が着陣いたした!」


 荊州閥とでも言えるだろうか、袁術が筆頭として短い挨拶をする。袁紹の従弟ではあるが、本系筋は袁術の方なので実のところ面白くない。とはいえこの場では何食わぬ顔をして立っていた。


「公路殿、よくぞ来てくれた! それに孫権殿も劉祥殿も、さあこちらへ」


 中央の絨毯を進んでいくと二人が手を取り合う。


「勇猛な諸侯らに会えたことを誇りに思う。遅れたのは容赦してもらいたい、荊州に賊が出ていてな、それを鎮圧するのに時間がかかった」


「構うものか」


 実際のところ地盤獲得のための揉め事が主であったが、賊も居たので間違いではない。急にやって来たので席もない、大至急用意させるよう曹操が手配をする、そして一つ過去の事柄を思い出した。視線を末席付近にやり、袁紹へと戻す。


「盟主殿、一つ提案が御座います」


「なんだ孟徳、言ってみるんだ」


「袁術殿は並みいる諸侯の中でも後将軍と高位であり、盟主殿の従弟でもあります。諸侯の面々も増え、軍規模が膨れ上がりました。副盟主を設置し、袁術殿にその地位について頂いてはいかがでしょうか」


 軽く拱手をして持ち上げるような発言をすると、袁術は曹操を一目見た。袁紹は小さく頷くと「諸侯らに問う。後将軍袁公路が連合軍の副盟主として相応しいと思えば称えて欲しい。そうでないと思うならば盃を置いて貰いたい」一拍置いて皆が称えた。反対をしても何一つ良いことなど無いから。


「どうだ公路殿、引き受けては貰えないだろうか」


 本当ならば袁紹の副え役など気に食わなかったが、他と同列はもっと気に入らない。笑顔を浮かべて「僭越ながらお引き受けいたしましょう」外面を気にして躊躇なく頷く。


 袁紹の隣に席が設けられ、孫堅と劉祥は末席に付け加えられた。劉備と孫堅が隣になり軽い挨拶をする、そして劉備の一つ先に座っている島介の傍に歩いて行った。


「島殿、お久しぶりでありますな!」


「はは、お互い壮健のようでなにより」


 南陽での邂逅から数年、二人は官位を上げてこうやって諸侯の一人として国運を左右する場所を占めていた。


「聞きましたぞ、虎牢関を騎馬で攻めたとか。何とも鳥肌が立つような話に、某つい立ち上がり申した。ははははは!」


「奇策に頼らねば関所の一つも落とせぬような未熟者でしかないですよ。そして上手く行ったのはこちらの劉備殿の助力のお陰でね」


 隣にいる劉備をサラッと紹介すると、彼は立ち上がり「劉玄徳に御座います。孫堅殿のご高名は伺っております」拱手拝礼する。


「これはこれはご丁寧に。孫文台という、どうぞ良しなに」


 込み入った話は後程と切り上げて急遽作られた席につく。場に馴染んだところで曹操が切り出した。


「諸侯らよ、成睾には勇将華雄が居り、そこへ胡軫の部将である王方が増援として加わった。兵は一万五千でしかないが、城壁は高く糧食も豊富、これを落とすのは一筋縄ではいかぬでしょう」


 そもそもこの時代、物理的な問題で石壁で囲われた城を陥落させるのは極めて困難。叩いて壊れるわけではないし、砲撃武器など無い。外壁を壊すには投石器を製作し運用するしかなく、それには数か月もかかってしまう。壁を越えるにも専用のものを製作するにはやはり時間が掛かる、そのようなことをしているうちに兵糧は消え去り軍は解散するだろう。


「一方でこちらは十万の大軍。一部で城を包囲し、残りは洛陽へ向けて進軍するというのはいかがだろうか?」


 遊んでいる兵がいるのだから運用を別にするのは悪い話ではない。大体にして成睾を落とさなければ進めないわけでもないので、理にかなっている。


「主軍が進み、後方からも攻められては挟み撃ちになってしまう。目の前の城を獲り、安全を確保した後に進めば良いではないか」


 冤州刺史劉岱が危険を指摘した。補給路が断たれるのと共に、戦闘能力がある敵が前後に居ると被害が大きくなる可能性が高くなる、それは納得できた。だが戦争とは確実を求めるものではない、あてずっぽうで良いというのではなく、ある程度のリスクは背負っていくものということだ。


「洛陽を取り返せば成睾など捨て置いても勝手に降伏するであろう。某は進軍を支持する!」


 孫堅が立ち上がり先鋒を志願した。鮑信、張超、劉祥、張貌らが曹操の提案を支持すると立ち上がった。


「いやここは慎重に進めるべきであろう。董卓に反発する諸侯が集えば更に有利になる」


 一度は負けたが河内を取り返した王匡が満足してしまったのか、待ちの戦略を支持した。橋瑁、袁遺、孔抽、許楊が劉岱を支持。真っ二つに意見が割れ、視線が袁紹に集まる。


「公路殿はどうか」


 地方太守らと違い袁術は南陽を実質的に支配はしていたが太守ではない。自前の軍も実は僅か、発言力があるうちにことを進めたかった。しかしここで考える、攻めて上手く行った場合誰の功績になるのか、合流して直ぐでは誰もが袁術の功績とは思わないだろう。


「直ぐにでも攻め寄せたい気持ちもわかるが、情報を収集するのが先だろう。私の密偵が情報を持ち帰るのを待ち、その後に攻めれば良かろう。ここで無理に攻めて失敗するわけにもいくまい」


 そう言われると曹操は一度しくじっているだけに反論出来なかった。袁術が閥の長なうちは孫堅も強気に出られない、袁術が居なければ荊州での抗争は私戦として罪を得ることすら考えられたから。庇護者の下に居るか、それを越えられるときに初めて反抗することが出来るようになる。


「私も強引に本営を進めるべきではないと考えていた。情報を集め、陣を固くし、成睾を攻略するべきであろう」


 そう決定を下す。別に指揮権があるわけではない、だが和を乱すかのような動きをしようとする者はいない。また酒宴続きになる、そんな雰囲気が漂いかけた。


「それでは私が偵察をしてきましょう。敵の配置や規模が分かれば有利に戦える、袁術殿の密偵と内容を突き合わせればより鮮明になるので」


 島介が腕組をして座ったまま、そんなことを言い放った。言葉こそ決定に従っているとの体だが、その実は軍を前進させるのとなんら相違ない。


「島殿、某の軍も地理を把握するために少数で同道させて頂いても宜しいかな」


「もちろんです、孫堅殿のお好きなように」

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