第261話
頃合いを見て賈翅が唯一のプラス材料を差し込んで来る。しっかりとやっているアピールをしておくのは大切だ、現場に居るものたちの評価は適切にすべきだろう。
「徐栄はこのところ良い働きをしているな、亭侯にしてやれ」
「畏まりました」
実は董卓、世間で言う程平衡感覚がおかしい人物ではない。ただし、味方や部下に対しては、という条件付きの話だが。相手が不満を募らせないように、褒美を与えるのを忘れない位はしているのだ。
「それで、奴らは何処まで来ておる」
「成睾城を前にして攻撃をする構えで御座います」
どうやら被害は免れたとほっとした楊定が現状報告の続きを行った。成睾は虎牢関の西側五キロほどの要衝、洛陽の歴史で度々現れる地名でもある。
「虎牢関を撤退した華雄と呂布が詰めております。軍需物資が不足する頃かと」
何せ奇襲を受けて焦って逃げ出したのだ、県城にある貯えだけでは万の軍勢を養えるはずがない。将軍として長年軍を指揮してきた董卓はすぐさま必要量と手順が頭に浮かぶ。
「胡軫に補給をさせておけ。今度はそう簡単には落ちんだろう」
「華雄も必死に守るでしょうから、そう易々と押し込まれるとは思えません。それよりもあちらが気になります」
賈翅が思わせぶりな態度をとる。董卓は「献帝は無事に長安についたようだな」あちらを献帝の事だと考えたらしい、賈翅はあたかも自分もその件について話しかけたかのようにして続ける。本当は袁術らについてだったが、そんなことはおくびにもださない。
「未央宮では朝議が再開されていることでしょう。政務機能を疎開させましたが、董卓様の承認は必要であります。このままでは決裁にかなりの時間が掛かってしまいますので、董卓様も長安に参られてはいかがでしょうか」
日に何度早馬を出させることになるか、その上で良くも悪くも承認や却下、修正案のやり取りをするのは手間だ。では権限を司徒の王允に与えてしまえばと言う話もあるが、何せ子飼いの部下以外はまだ信用してはいけない。
「洛陽を手放しては利用される恐れがあるな…………ふむ」
あごひげを撫でて目を細める、何を考えているのかはわからないが邪魔をしないように皆が物音を立てずに気配を消そうと努力した。
「賈翅よ、洛陽にある財貨と民を全て長安へ移すのだ」
「す、全てで御座いますか?」
どれだけ恐ろしいことを言っているのかはその場の全員が理解していた、董卓本人もだ。
「反乱軍にやる位ならば、何もない方が良かろう」
「董卓様のお考えは素晴らしいですが、一定数の者が拒否することが想定されます」
認めつつも意見を出す、交渉の基本は相手を肯定することだ。大体にして住居を移すのは大事であるし、誰しもが歩けるわけでもない。そんなことは先刻承知で「そうか、では洛陽には住めぬようにしてしまえば良かろう。財貨を集め長安へ送り、火を放ち洛陽を焼け。そうすれば民も長安へ行くしかなくなる」直ぐには声が出なかった、都を役などと言われ、すんなりと受けれられるものはどれだけいるだろうか。
「道幅も限られており、同時に皆がとは行きません。それに富豪から財貨を取り上げるのと違い、民からではかなりの時間が掛かるでしょう」
ダメとは言わずにいつになるかわからないと答えておく、董卓はこの物言いが嫌いではなかった、ゆえに賈翅が末永く側近を務めていられた。
「では富豪からは没収し、皇族の墓を暴いて副葬品を集めよ。それが終わり次第、街を焼くのだ」
「御意に。して、誰にそれを命じましょう?」
これ以上の反対は身の危険を呼んでしまう、引き際を感じたのでさっさと仕置きを決めてしまうために問いかける。手勢もなく、何よりもそんな恐ろしいことは出来るだけ自分は関わりたくない、全員がそう願った。
「呂布にやらせよ、あいつならば文句も言うまい。胡軫には防備が薄くならぬように警戒する旨言い聞かせておけ」
祐筆に命令を文書にさせると相国の印を貰う。押印するとそれを使者に持たせて一件を仕舞とした。このままで終わるわけにもいかずに更に話を続ける。
「荊州の件についても報告が御座います。段猥殿」
こちらの担当である者が冷や汗を拭いながら報告する。
「ええ、南陽の袁術らについてで御座いますが、元荊州刺史王叡に、南陽太守張諮らを殺害しその印綬を奪った後に連合軍への合流をはかっているようなのです」
段猥の説明は若干の時間が前後している部分があった。長沙太守の孫堅が、王叡と張諮を殺害した後にどうしたののかと考えていると、洛陽から逃げ出した後将軍の袁術と接近できたのでそいつを祭り上げたのだ。
その上で、劉表を荊州刺史として奏上し、董卓も認めていた。何せ実際に支配しているのだから仕方ない、認めないのであれば討伐軍を差し向けて敵対する必要がある上に、統治上の問題があると世に晒しているのと同義だから。
「どいつもこいつも儂に背きおってからに……して、どのような対策をしている」
各地で奇跡的な武功を重ねてきている孫堅、間違いなくこの時代のこの時点で中華全土五指に入る戦上手として認識されている。敵にするよりも味方にすべきだと、奏上を全て承認してきたというのに結果反旗を翻している。董卓でなくとも腹立たしくは思うだろう。
一つ疑問に思っていたこともあった。元荊州刺史王叡は孫堅と戦う前に、既に反董卓連合軍への参加と挙兵をする姿勢を明かしていたのだ。つまりは孫堅が攻め殺す理由が見当たらない。
「恐らく孫堅はより大きな権力が欲しくて動いているのでしょう。牧か九卿かの大官を認めるので、反乱を鎮圧するよう持ち掛けております」
「……まあよい、それで懐柔されるようならば厚遇してやる。牛輔を呼べ」
それぞれがほっとして傍を離れて仕事に取りかかる、小一時間もすると牛輔がやって来た。
「義父上、参上いたしました」
後ろに武兵を二人連れている、補佐ではなく純粋な護衛として。百人力と言われそうな見事な体格をしているが、何せ人相が悪い。涼州の地元で暴れていた悪ガキ兄弟、両親を厚遇するのと高い給与で召し抱えていた。
「うむ、どうだ」
「はあ、私は早く郷に戻って妻子の顔を見たいなと」
戦況や政情を尋ねているつもりだった董卓は、的外れな返答に一瞬呆れてしまう、だが牛輔の妻は董卓の娘だ、仲睦まじいと思えば決して悪い気にはならない。
「今しばらくは辛抱だ。連合軍の動きをどう見ている」
何せ身内には寛大で甘いと言われかねない董卓だ、孫娘の董白は未だ十四歳の身でありながら、何と最近渭陽君に封じられた。場所は長安の北側近郊で郷侯といったもの、皇族でもなければ成人もしていない人物を新たに封じるなど異例だ。
「聞くところによれば曹操の動きが活発で、盟主の袁紹は判断が鈍く動きが遅いとか。他にも曹操の親友である鮑信や張貌は比較的前線で戦闘に携わり、名家の孔抽などは後方で陣を固めているだけ。韓馥に至っては冀州より兵糧を送るに留めています。先鋒の意気地を砕けば停滞を起こすのでは?」
何せ義父に会う時すら護衛を手放さず、外ではいつでも軍を使えるように兵符を握りしめて歩いている臆病者だ。娘はその優しさが好きだと一緒になったが、豪胆で鳴らしている董卓は物足りなさを感じているのは確か。
とはいえ今の話の筋は通っている、説得力があった。自身では兵が居ようがいまいが諦めず、自力で敵を倒すのが当たり前だったが、なるほど武才が無ければそう言う風に考えるものなのかと参考になった。
「先鋒といえば曹操ともう一人、島介が居たな。なんでも虎牢関の城壁で騎馬突撃をしたというではないか」
報告を受けた際に董卓は久しぶりに腹の底から笑った。奇想天外で賞賛に値する戦い方に、虎牢関失陥の怒りよりも見事だと言う気持ちが先だったのだ。戦士の血が騒いだというところだろう。
「体勢を崩せば奈落の底、とても将のすることとは思えません」
牛輔は想像しただけで顔を蒼くする。そもそもやれと言われても出来るはずもないが。
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