第260話
篝火の傍に甲冑姿の部将らが集っている。山の歩兵は甘寧、文聘、典偉、趙厳、牽招に預けていたので残っているのは張遼、北瑠のみ。何故か渋い顔の張遼が気になり声をかける。
「どうした張遼、そんな面をして」
「なぜ俺は待機であいつらが特任についているのだ、俺はそれが不満だ」
言いたいことは言うようにと常日頃からさせていたので、今回も言葉を包まずに真っすぐ投げつけて来た。北瑠は何も言わない残っているのが北狄騎兵団だからだ。
「なんだそんなことか」
「そんなこととは――」
「決まっているだろう、幕の中で騎兵を指揮するのが一番上手いのが張遼だからだ」
さらっとこいつは何を、という表情で言うのがポイントなのだろう。みるみるうちに張遼の機嫌が直って行く。
「それは……まあそうではあるが。だが虎牢関を攻めるのに騎兵の出番など無いだろう?」
言ってしまえば一枚の分厚い石壁がずどんと存在し、真ん中に門が作られている。その幅はと言うと、城壁の上部で二十メートルほどもあり、下部ではもっと広かった。東側には凸凹のギザギザが付けられていて、胸壁とよばれる盾代わりの工夫がなされていた。
「ふむ、お前でもそう思うか、これは良いことだな」
張遼だけでなく北瑠までもが意味が解らずに互いに目を合わせた。
「どういう意味だ?」
「俺はその昔、断崖絶壁を騎馬して駆ける羌族と共に戦ったことがある。西羌騎兵に出来て北狄騎兵に出来ない道理はない。そうだろ北瑠」
挑戦的な笑みと共にとんでも内容を明かして来る。この暗闇でそのようなことが出来たら神業と呼ばれても良い。
「島長官がそうしろと言われるならば!」
誰かには出来て自分にはちょっと無理……そのような男は決して騎兵団の長になどなりはしない。
「城壁の上は充分幅があり騎兵でも戦える。俺が先頭に立つ、必死について来いよ二人とも」
信じられない作戦を耳にし、張遼と北瑠は真剣な面持ちで全てを受け入れた。この人には敵わない、そう心底感じた瞬間だったろう。
「荀彧は劉備と共にあって、連合軍との情報共有を行うんだ。あの雰囲気じゃきっと外されるからな」
「畏まりました。我が君の思し召しのままに」
三皇山の調査で繋がりを得た地元の猟師から山道を聞き出すことに成功していた。なるほど情報が武器になる、しかもこれほど求めている時に利用できるとは、荀彧は胸の内にある何かを再確認し騎兵団を見送る。
月明かりだけを頼りに二千の騎兵が山を登っていく、馬には足元が感じられているようで躓くようなことは無かった。城壁を登るための兵士が準備されたようで、遠くで争いの声が上がったのが聞こえてくる。深夜の二時過ぎころだろうか、季節と場所が相まり底冷えしてしまう。
黒兵の防寒準備は滞りなく行われている、心配なのは馬だけだ。牛と違い体温が低いので、途中で凍えてしまう恐れがあった。少し駆けさせればそれは解決するので、途中広い場所でそうさせることにした。更に一時間かけて山を九十九折りのように進んでいくと、頂きの傍から虎牢関が見下ろせる位置へとやって来ることが出来た。
「ほう、やっているな」
城壁の上で松明を持って蠢いている奴らが山のように居る。上から下ならまだしも城壁の上で夜に弓矢は使えなかった、何せ味方にあたってしまうから。そうなれば近接戦闘での力比べが殆どになり、あの五人が地力を発揮している。
手前の城壁の一部を占拠して胸壁に縄梯子を括りつけて下へ垂らしている。とはいえ一気に登れば縄が切れるので、一人二人が間を空けていくのが精一杯だった。このペースでは夜が明けて城壁から追い落とされるのが目に見えている。
あまりの角度にまるで崖から飛び降りるかのような斜面、高度もあり恐怖心が首をもたげる。
「張遼、警笛を鳴らせ。味方の来襲、要警戒だ」
「解った」
連絡用に笛での符丁が決められていた、それを思い切り吹く。同じ連絡を五回、途中に十秒程間を置いてだ。そうすると歩兵部隊からも、受諾、の符丁で三度返事が山に響く。
「漢という国が恐れた異民族である北狄から選りすぐられた兵士たちよ、十万の者らが見ているこの晴れ舞台で今こそその力を見せつけろ! 島介が命じる、この俺に続け!」
馬の腹を蹴ると急斜面を半ば落下するかのように駆け下りていく。馬を信じ、身体を預け、強気の姿勢で膝に力を入れる。心の動揺は乗馬にも伝播する、意気地がない騎兵は駆けだすことが出来ず、中には奈落へ転がっていく者もいた。
「山だ! 山側の隊は場所を空けやがれ!」
甘寧の声が聞こえてくる、味方も驚きの場所から何と騎兵が降って来たではないか。先頭を行くのは島介、鬼神の如く吠えると矛を大きく一振りし、複数の守備兵を城壁の外へと叩き出した。
「ワァ!!」
歩兵が喜びと気合が入り乱れた声を上げた。全く前後は不明だがすぐ傍に大将がやって来たとだけ情報が伝わった。後続があり渋滞を起こすと大変なことになる、島介は騎乗したまま歩兵らが溜まっている内側に入って行った。
「我が名は北瑠、これより世に出る名だ覚えておけ!」
董卓兵がこぞって守る城壁のど真ん中に突っ込んでいくと、次々と敵を跳ね飛ばして北へと突破口を作った。黒兵がそれに続き、二頭が並んで駆けるだけの場所を確保する。
「これが俺の主か、面白い、面白いぞ! 張文遠これにあり! 雑兵共かかってこい!」
城壁の上で大混乱が起きたのは、下からもかすかに見えていた。何が起こっているかの報告を急がせていた曹操と袁紹だが、城壁を騎兵団が突撃していると聞くと「ええい愚かな、もっとマシな報告をせんか! さっさと調べて参れ!」と信じずに叱責する有様だったという。
確保できている城壁の幅が広がると、上へ登って来る劉備、曹操の歩兵も数を増やした。山を下って来る黒騎兵の最後尾が駆け抜けていく頃には、千の増援が城壁に上がって今度は面で押して行けるようになって、董卓軍の士気は下がって行った。
やがて陽が登って来ると、城壁の上に立っている軍旗が双方の目に入る。何と中央を境に南半分には『島』『劉』『曹』の三種類が翻っていた。こうなれば最早守り切るのは難しい、華雄が指揮する守備兵の戦意が著しく下がってしまう。
北側の断崖を下っていった黒騎兵らは本営の傍で待機し、荀彧と合流を果たしている。
「曹操が配下、曹子孝が城門一番乗りだ!」
ギギギギギギと鈍い音をたてて僅かだけ城門が開かれる、人が一人通ることが出来るくらいだけ。大きな鉤づめが付けられた長柄の竿を幾つも持ち出し、曹操軍の歩兵が開門を急がせる。ようやく二人が通れるくらいに開いたところで「曹子和が行く! 突入!」曹純が盾を翳して敵が待ち構えている門の裏手へ踏み込んでいく。
城壁の西側、裏手に設けられている階段は全部で八カ所、それらからも続々と歩兵が下って行った。関羽、張飛といった武芸自慢が先頭になり道を確保する。ことここに至ってようやく袁紹が「連合軍へ告げる、総攻撃だ!」今さら感が凄い命令を下した。
地が揺れるほどの声を上げると連合軍の兵が一斉に押し寄せていく、すると華雄は守り切ることが最早難しいと悟り撤退の銅鑼を鳴らす。まさか門を破られるとは思ってもみなかったので、物資はうず高く積まれたまま放置して火を放つことも出来ずにだ。
蜘蛛の子を散らすかのように逃げ出す敵を追撃する為に追手が差し向けられる。
「大将、俺達も追おうぜ!」
甘寧の意気が上がっていて追撃戦を提案して来る。あちこちでバラバラに飛び出しているものだから秩序も何も無かった。
「それも面白いだろうが、功績を独り占めしようとするのは良くないぞ。少しくらい残してやれ」
「でも――」
「お前は強い敵よりも、無抵抗の奴らを追い回すのが好みか?」
目を細めてそんなことを言われると、憮然として「そんなクソつまんねぇことはしねぇよ!」追撃を諦めてしまう。ふっ、と笑うと「では撤兵する。東の軍営に戻るぞ、全軍に招集をかけろ」そう言って階段をゆっくりと降りていく。その島介の身体がうっすらと白い光に包まれているかのように見えた。
こうして反董卓連合軍は、洛陽東の虎牢関を見事に奪取することに成功した。だが追撃を行った者達は、何処からともなく現れた徐栄軍団と、胡軫軍団張済隊の迎撃を受けて大被害を被り逃げ戻って来ることになる。
時は中平七年春、中華の動乱は深まる一方であった。
◇
畢圭苑の董卓は不機嫌になっていた。それもそのはず、各地で続々と反旗を翻し軍勢を差し向けて来るからだ。自分が任命してやった者が大半で、恩を仇で返すようなやりかたも重なり面白くない。そんな人材を推挙した奴らは処刑してやったが、それでも収まりがつかない。
「相国様、連合軍が虎牢関を攻め落とし我が物顔で居座っております」
言いたくはないが報告する義務があるので、楊定は暫く様子を見て多少はマシなタイミングで話を切り出した。とばっちりを受けて被害を受けてはたまったものではない。
「難攻不落の要塞ではなかったのか」
国門として決して抜かれることのない防壁、そういう触れ込みだったはずだ。それなのに僅か一か月とせずに陥落、董卓でなくとも小言の一つくらいは言いたくもなるだろう。
「は、はあ……」
自分が差配したわけでもないので、何とも言えずに縮こまってしまった。ふん、と鼻を鳴らしてひじ掛けに置いた側の爪先でカンカンと音を鳴らし続ける。
「董卓様、連合軍は不用意な追撃をし、徐栄殿と胡軫殿の手痛い反撃を受けました、今頃は肝を冷やしているでしょう」
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