第259話

「軍令なのだ、しばらく御免!」


 二人が島介のところに引き上げて来る。兵士にひしゃくで水を渡されたのでそれを飲みほした。


「島将軍、銅鑼が鳴ったので引き上げました」


「なあ、もっと戦わせてくれよ!」


「これ、翼徳!」


 関羽にたしなめられて「ちぇ」口を尖らせて張飛が大人しくなる。まだ若いうちは可愛いものなのだ、これが年を重ねていくと手が付けられなくなっていく。


「二人の実力はこれで天下に轟くだろうさ、劉備殿もさぞ納得したのではないかな?」


 陣営の壁の上に立っている劉備に視線を送ると、関羽もそれに倣う。遠目に劉備が頷いているように見えたのは気のせいではないだろう。


「おお、島将軍に心より感謝を申し上げます」


 馬上ゆえに偃月刀を片手にして背筋を伸ばすと頭を下げた。ただ単に武勇の程を見せさせたわけではなく、そこに劉備への気遣いが見えたことに素直になる。


「なに気にするな、俺は強い奴が好きなんだよ。ところで二人だけ楽しむのは不公平だと思わんか?」


 関羽はつい張飛と目を合わせてしまう。島介がどれだけ戦えるかはわからないが、呂布はまさに天下無双だった。ここで切られでもしたら劉備へ合わせる顔が無い、関羽は唸ると譲れない線を示す。


「呂布と戦っている最中に危険を感じたら割り込ませて頂きますのでご承知の程を」


 これだけ好意を示してくれる人物を失うのは本意ではない、出来れば自分が相手をして終わらせたいと考えている。だがそれが無理ならば最悪だけは回避しようと。


「ああ好きにしろ」


 ゆっくりと駒を進めると、休憩を挟んで平気な顔になっている呂布が赤兎馬にの水を飲ませていた。


「すまんな待たせて、疲れているなら明日に再戦でも良いがどうする?」


 軽口を叩きながら挑発も忘れない、これだけ腕に自信がある者ならば、では明日でなどとは言うはずがないのだ。


「お前があの二人の主か?」


「いいや違うよ、あいつらは劉備殿の配下だ。俺はまあ、おまけだ。折角ここまで来たから一手指南を受けて帰ろうかと思ってな」


 散歩にでも出かけるかのような物言いに怪訝さを感じた。ただの阿呆ではないのは雰囲気から解る。


「地獄への片道案内ならばしてやるぞ」


「では帰りは自力で戻るとしよう。俺は恭荻将軍の島介だ!」


 軍陣にある黒兵らを中心に声援が上がった。曹操の陣営からも。


「ほう、お前があの……ここで切り捨てて相国への土産にしてくれるわ!」


 双方が馬をかけさせる、鈍い音を響かせてすれ違った。大きく膨れて再度打ち合う。一対一で激しく武器をぶつけ合い、時に馬に刃を向けようとするが赤兎馬はその全てを回避してしまう。


 円を描くように互いが攻めては守り、守っては攻めるを繰り返した。優劣がつかずに一進一退、そうなれば足代わりである馬で違いが出てくる。発汗が酷い島介のに馬に比べると、赤兎馬はこれだけ連戦をしているのに覇気すら感じられた。中原に轟く名馬とは名ばかりではない。


 馬上での力比べ、この時だ、島介は不意に矛を手放すと呂布に組み付いて二人で落馬をする。双方の兵士がどよめいた。


「おのれ何をするか!」


 咄嗟に方天画戟を手放して立ち上がると腰の剣を抜く。距離が近い程に長柄の武器は不利になるから。


「騎乗戦闘ではやりづらくてな。それとも天下の呂布は徒歩での戦いは不得手か?」


 ここでも島介は挑発するのを忘れない、ほぼ同じ歳で体格も立派、腕前を競うのに馬の能力差で勝負を左右されたでは面白いはずがない。呂布とて言い訳を聞かされても腹立たしい限りだろう。


「ほざけ、やれるものならばやってみろ!」


 刃渡りは七十センチほど、片手で突いて使うことを想定されている。切ろうと思えば切れないことはないが、革鎧を切り裂くのは案外難しい。島介は敢えて何度も刀身を交差させて受け止めては、叩きつけるを繰り返した。するとガキン! 呂布の剣が折れて飛んだ。


「なっ!」


 孫羽の屋敷にある蔵に収められていた宝剣、北狄と争うに際して頑強で長く使える剣を求めた孫羽将軍が愛用していたものだ。どれだけ激しくぶつけようとも決して負けない、切れ味はというと実はそちらは今一つ。


「なんだ、呂布ともあろう者がなまくらを使っていたのか? ほれ」


 島介は手にしていた剣を足元に捨てると、兜を脱いだ。呂布は手に残る折れた剣を投げ捨てると「くそがっ!」同じく兜を捨てて拳を握る。殴り合い、まさかこのようなことになるとは考えてもいなかった。


 殴っては殴られ、蹴っては蹴られてが続く。そのうち太陽が傾いて暗くなってくると、ジャーンジャーンジャーン、引き上げの銅鑼が鳴らされた。同時に虎牢関からも退けとの太鼓が鳴る。


「時間切れか、中々楽しかったぞ呂布」


「こうまで食い下がってきたのは島介しかいない。次はその首もらいうける!」


 外縁にポツンと待っていた馬にそれぞれが乗ると、ゆっくりと陣営へと戻って行く。兵らが興奮して矛を足元に叩きつけ、盾と武器を打ち鳴らし、大声で帰還を祝福した。島介、関羽、張飛の三人は堂々と連合軍の正門を潜る。


 士気絶頂と言わんばかりの雰囲気に、出迎えた袁紹が肩を抱いて本営に招いてくれるのであった。


「なんと見事な丈夫っぷり! さあ、こちらへ、さあ」


 言われるがままに本営に行くと、絨毯の真ん中に大樽で酒が用意されているではないか。それを見つけた張飛が「いいな、わかってるじゃねぇか!」小走りで駆け寄り置いてある桝で勝手にすくって飲み始めてしまう。


「これ翼徳!」


 劉備がすぐさまたしなめると、関羽が近寄りっ首根っこを掴んで引き離した。


「なにするんだよ兄貴! いいじゃねぇか、呂布と戦って連合軍の面子を保ったのは俺達のお陰だろ!」


「いいから黙っていろ翼徳、お前が喋るとろくなことにならん。兄者に迷惑をかけるでない」


「む……」


 そんな場面を見せられた諸侯らだが、袁紹が「なにその者の言う通りだ。勇者には敬意を払わねばなるまい、今宵は祝杯をあげようぞ!」上機嫌でそんなことを言い放つ。諸侯らもそれには賛成だったのか、随分と雰囲気が良くなっていた。


「それにしても島将軍の腕前には感嘆の意しかない。もしあの時、車騎殿の傍に貴公があれば」


 今は亡き何苗将軍、裏切りにあって攻め殺された際に隣に居れば逃がすこと位は確かに出来たかもしれない。渦中にあった曹操も目を閉じて何を思っているのか。


「盟主殿、このようなもの匹夫の勇でしかありません。戦とはここでするものです」


 にやりとして自身の頭を指さした島介に「ははははは! なんとも謙虚なものだ、ははははは!」ご機嫌で祝杯を重ねた。注がれた二杯目を飲み干すと立ち上がる。


 なにか演説でも始めるのか、それとも小用でも足しに行くのか、数秒そのままだったので皆が注目した。


「それでは私は次の用事があるのでこれで」


「次? それは一体なにかね」


 軍営全体がお祭りムードになっている、外は暗いし言葉の意味が理解出来なかった。ぽかんとする袁紹を目の前にして笑顔を見せた。


「虎牢関に夜襲を仕掛けます」


「なんだって!」


 諸侯がざわめく、その中で二人、曹操と劉備だけが驚きを露にしなかったのを見逃さない。


「ふむ、曹操殿はどう思う」


 盃を置くと立ち上がり、両手を後ろにやり少し歩くと顎に手をやった。何とも芝居がかった動きではあるが、そうやって皆の視線が集まるのを待っている。


「このように諸侯らが皆驚いたのは何故か。それは今宵は夜襲などと思いもよらなかったからだ。ならば相手もそうであろう、不意を衝くことこそ軍略の神髄であればまさに好機である!」


 唸り声があちこちで発せられる、袁紹はやはり決断を出来ない。現実を見ることが出来る武将がいた鮑信だ。


「島将軍、暗夜ただ攻め入るのは無謀ではないだろうか」


 最初こそ虚を衝かれ乱れるだろうが、虎牢関は堅固、それだけでは抜けるはずもない。門は固く閉ざされていて、これを開くには手順も存在している。


「関の南端の城壁を占拠する予定だ、胸壁より縄梯子が掛けられることになっているので、これを駆けあがり一角を保持する」


「城壁を……だがどうやって?」


 汜水は三皇山にあり、その山脈はぐるりと河南尹を囲んでいた。黄河との間にある狭い道を南北に遮るよう石が積み上げられ防壁とされている、それが虎牢関だ。無論その壁は山肌に接しているが、断崖が見えるだけでどうやって到達したものか解るはずもない。


「既に手勢を山に待機させてある、合図があり次第城壁へ降りる予定だ。しかし俺の歩兵は千と僅かだ、増援を願いたいが応じてくれる者はいるだろうか」


 可能かどうか見通しがつかない、もしかしたら犬死しているかも知れない。一寸先は闇、危険と功績をはかりにかければ先頭で乗り込むのはあまりにも分が悪かった。が、一人の男が立ち上がる。末席から中央へと進み出ると指先を重ねて畏まる。


「劉玄徳が謹んで応じさせて頂きます」


 そこいらで様子を見ていた曹操が「劉備殿の五百だけでは少なかろう、俺の軍も参加するぞ。元譲、直ぐに準備をしろ!」幕の端に立っていた夏侯惇が返事をすると出て行ってしまう。


「お二人に感謝を。では残りの方々はどうぞ酒宴を続けていてください。荀彧、行くぞ!」


「御意」


 大波乱になるだろう宣言をしたくせに、宴会をしていろとは幾らなんでも酷かった。だが文句を言えるものなどいない、なにせ皆がここに集っているのは戦うためなのだから。

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