第255話

 下馬して自分の馬を曹操に差し出したのは従弟の曹洪だった。専任護衛として常に傍に居るが、既に傷だらけになっている。


「それは子廉の馬だ、お前が乗れ」


 取り上げると言うことはここで死ねと言っているのと同義だった。己の不明のせいでこうなったというのに、どうして犠牲を強いることが出来ようか。


「この世に子廉がなくとも、孟徳なしとは参りません! さあ早くお乗りを!」


「すまぬ子廉!」


 曹操は騎馬するとさっさと逃げ出してしまう。曹洪は歩き回り小舟を見付けると、何とか黄河を渡り北へと脱出して行った。


 そこから半分寝て居るのか起きているのかわからない状態で酸棗へと急ぐ。将軍らが集まる幕へ物凄い剣幕で怒鳴り込んだ。そこでは相変わらず酒宴が行われていて、ぽかんとした表情で曹操を凝視した。


「董卓は徐栄軍団しか河内に配しておらず、攻めとるならば今しかない! 武徳方面と官渡方面より押し出し、陸河同時に攻め寄せればこれを破れるだろう!」

 

 実際に徐栄軍団しかまだ参加していなかった、曹操は正しかったのだ。だがそれが真実だとしても、誰一人として賛同する気配がない。ボサボサになった髪を震わせて、そこらの膳を蹴り飛ばすと「もういい! 俺は兵を集めに行く!」幕を出て行ってしまった。


 中平七年二月末。長安への移動中に不手際があったとして、太尉と司徒が罷免された。後任には光禄勲だった趙謙が太尉に、太僕だった王允が司徒に任命されている。そして伍城門校尉と周督軍校尉、つまりは董卓の側近で人事を助言していた二人が処刑された。


 これらはひとえに裏切りが発覚したということだろう、司空の荀爽は留任している、つまりは彼だけが上手く正体をかくしている結果に。三公らを処刑すると反発が厳しくなるので罷免するだけで済ませた、嘆願が寄せられていた事情もある。


 ともあれ、反董卓連合軍は未だに酸棗から動きもせずにずっと酒宴を続けているだけ。それでも献帝との接触を断ち切るためと、己の影響力が極めて強い涼州の傍にある長安へ遷都を強行。三月初頭についに未央宮に入ると、そこで国政が再開される。


 では董卓はどこで何をしているかというと、何と洛陽で財貨を収奪すると市街地を焼き払ってしまった。この炎は何日も上がり続け、偵察をしていた者が血相を変えて酸棗へと報告している。


 軍勢と共に畢圭苑と呼ばれる屋敷に残った董卓、連合軍の攻撃が来ないかを見極めるために共には動いていなかった。代わりに董旻や董曠が献帝の傍に居るので、そちらも手抜かりはない。


 ここで連合軍に悲痛な報せが届くことになった。太傅袁隗と太僕袁基が処刑されてしまったと聞かされる。これにはあの袁紹も眩暈を起こす、よりによって袁家の当主が処刑された、仇敵となったのだ。


 屋敷の望楼から外を眺めていた島が「そろそろだな」小さく漏らす。泰山へ逃げて行った王匡が徴兵を行い、数千人を集めると酸棗へ合流した、それだけでなく青州刺史焦和も参陣。曹操に至っては丹楊や盧江で徴募を繰り返し揚州から遥々帰還している。


 袁紹も流石に悪かったと思ったのか、曹操らの勇士を褒めたたえると連合に再度名を連ねるのを承知した。公孫賛も到着こそしていないものの、連合軍への参加を叫んだ結果、今や十七もの軍が集っていることになる。


「島長官、万全の態勢で待機しております!」


 北狄の北瑠が今か今かと待ち続けている、これまでは戦があるならば戦うといった姿勢でしかなかったが、劉協を取り戻すまでに狂乱されて巻き込まれてしまっては孫羽将軍に合わせる顔が無い。


 近衛騎兵らはしっかりと長安へ同道している、ならばむしろ洛陽に董卓が残っている今こそが好機と島も判断した。


「酸棗へ向かうぞ!」


 張遼らを始めとした部将が、黒兵を率いて島の後についてくる。軍営の前で兵士に止められた。


「貴公は何者でありましょうか」


「俺は恭荻将軍島介だ、反董卓連合に参加しにきた」


 恭荻将軍の官職は剥奪されずに残っている、正式な任官をしている将軍なので太守と同格の重みがあった。歩兵校尉がどうなっているのかは不明だ。少数の側近のみ同道を許されたので、荀彧と典偉を指名し三人で幕へと入って行くと視線を集める。


「おお、島殿ではないか!」


「袁紹殿、曹操殿、ご無沙汰しております。近隣だというのに遅参ご容赦ください」


 盃を置いて袁紹が島へと歩み寄って行く、同時に曹操もやって来た。知らない顔ばかりではあるが、それはお互い様なので曹操が紹介をする。


「皆聞いて欲しい、彼は恭荻将軍島介、我等の同志だ。あの孫羽将軍の後継者であれば、董卓と相容れんことも得心するであろう!」


 孫羽将軍というところで場が騒がしくなる。良くも悪くも名が知れていた、印象としては今一つ馴染めない者が多いだろう。


「それで島殿の兵力はいか程かな」


「北狄騎兵二千と歩兵千、それに有能な将が両手で数えられないくらいだ」


 後ろに控えているのが荀彧で、そちらは見知っているものが多かった。明らかに名声は荀彧の方が高いので、それを連れていることで納得する。


「盟主殿、どうぞ宣誓を」


 曹操がここまでお膳立てして言葉を促した。今はとにかく仲間を増やし、董卓を攻撃することに傾けようと必死だ。


「うむ。では盟主である袁本初が、恭荻将軍島介を第十八鎮として認める。共に戦って貰いたい」


「承知した! それでいつ出陣のご予定で?」


 チラッと曹操に視線を流してやると、借りは直ぐに返すと言われているようで曹操も苦笑する。長いことここに居た者達は、今さら言い出せなかったのだ。


「それだが来たばかりで疲れているだろう、まずは一献どうかね」


 袁紹がいつものようににこやかに酒宴に参加するように誘う。諸侯らはまたかと思う反面で、それでも構わないとも思っていた。


「聞くところによるとあちらは徐栄軍団が防衛をしているらしい。これだけの将兵が酸棗に集っていると攻めてもこれないだろうから、こちらから行ってやることにします。休むのは働いた後に。では失礼」


 有無を言わさずに島は幕を出て行く、典偉もそれについていった。荀彧は皆に深く礼をした後に「後方の安全と帰還することが出来る場があるだけで有難く」一言残して出て行ってしまった。呆気にとられていたが諸侯らがざわつく。勝手な動きをするやつだと。が。


「河内は私の地だ、ここでいつまでも待機はしていられん!」


 王匡が声を上げるとずかずかと幕を出て行く。それを見た曹操はついに時機が来たとほくそ笑む。


「我が軍の休養も充分、曹操も出るぞ!」


「孟徳が行くならば俺も行こう、雪辱を晴らしてくれる! 弟の仇討ちだ!」


 鮑韜は敵を防いで戦死してしまっている、衛滋も同じくあの戦いで戦死した。張貌も今回ばかりは「進もう、勝利を目指して!」声を上げて立ち上がった。


「兄上が行くならば私も」


 張超も立ち上がる、こうなれば功績を奪われまいと我先にと進軍を口にするようになる。袁紹は様子を見て仕方なく「反董卓連合の盟主袁紹が天に告げる、どうか我等の戦をご照覧あれ!」戦いをすると宣言した。


 黒い軍装の騎兵を中心とした軍を率いる島介の隣に曹操が駆けて来る。それを見て少しばかり笑う。


「宴会を抜けてきて良いのか曹操殿」


「あんなのはクソ喰らえだ! 良い流れを作ってくれた、礼を言おう」


 はた目にも解る曹操のご機嫌ぶりに双方の側近がつい視線を交わした。相当ストレスが溜まっていたに違いない、今にも歌い出しそうな雰囲気すらある。


「榮陽は誰かに任せるとして、武徳と山陽を落として出城として利用したいが、どうだろうか?」


 懐の北に山陽、北東に武徳、南東に榮陽があり、ほぼ等距離。相互支援が可能な城が同時に攻められたら、余程兵力に差がなければ全てを守ろうとするだろう。だが今は徐栄軍団しか居ない、どこかを守るならばどこかを捨てる必要があった。


「ならば山陽に向かおう、我等が武徳を攻めたら全員が群がる不細工な配置になりそうだからな」


 攻めやすい場所を残してやれば、勝手に引き寄せられていく。一度戦いを始めたら、相手がある以上は簡単に引き下がれない。何よりも功績を立てずに戻れば嘲笑の的になる、被害が増えても攻め続けるだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る