第254話

 徐栄軍団は一万を河陽津に割き、本隊一万を隠し吊りだしを誘っていた。見事に罠にかかった王匡をどうするか答えは一つだ、城に戻る前に撃滅する。湯を沸かし手先を温めて後に布でくるんで陣を畳む。南の河沿いに進めば小平津があり、その先が河陽津だ。一方で徐栄隊は細い平地を挟んだ北側にある温を目指す。


 行軍距離にして丸一日、途中で李蒙隊からの連絡があり小平津まで退いたと聞かされる。


「李粛に王匡軍を東側から襲撃させるんだ。李蒙隊は西から、我等は北から一気に揉みつぶすぞ!」


 南は黄河、拠点がある懐の方面から騎馬隊の奇襲を受けた王匡軍は大いに驚いた。そこへ逃げて行ったはずの李蒙隊が取って返してきた上に、徐栄隊までもが殺到してきたので兵は動揺し戦うどころではなくなってしまう。


 僅かな供周りをのみを引き連れ這う這うの体で戦場を離脱。だが李粛隊が周辺を捜索して回っているのを恐れ、何と河内を捨てて陳留へ脱出し、故郷の泰山へと一直線逃げて行ってしまうのであった。


「河内太守王匡を打ち破った! 懐城へと軍を進めるぞ!」


 徐栄は河陽津に僅かな守備兵のみを残し、李蒙隊と合流するとそのまま懐城を攻め落としてしまう。太守を失い、城門を破られたせいで城兵は戦意を喪失し降伏してしまった。


「太守は任地を捨てて逃げ去った、正式な後任が赴任するまでは俺がこの地を預かる!」


 王匡が逃げ出した話はあっという間に世間に知れ渡った。結果、河内郡の西半分は徐栄の勢力下に入ってしまう、東半分は城門を閉ざして太守の赴任を待つことになる。



 一月の半ばころ、酸棗は将兵でごった返していた。そのうち集まると言っていた通り、続々と着陣の報が舞い込んでくるようになったからだ。


 山陽郡太守袁遺、冤州刺史劉岱、広陵太守張超、渤海太守袁紹、豫州刺史孔抽、陳国相許楊らが参陣し、冀州牧韓馥からは兵糧が送られてきている。また南陽では後将軍袁術、長沙太守孫堅、江夏太守劉祥、荊州刺史劉表らも反董卓連合軍への参加を明言した。


「これだけの人物が集まったのだ、誰かが盟主として皆を率いた方が宜しかろう」


 橋瑁がそう口にすると妙な緊張感が漂った。責任重大であるとともに名誉なことである、能力だけでなく名声や財力すらも必要になって来るのだ。ここで曹操はふとかつての話を思い出してしまった、だが妥当な内容であったことを認めざるを得ない。


「私ならばここはやはり名家の人物である袁紹殿をする。彼ならば連合を代表するだけの資質を持ち合わせていると思うのだがどうだろうか。んん?」


 自分を押し出すのでなければこの手の発言はしやすい。役者不足を自認している劉岱や張超、許楊らはまあそうだなと納得の表情。同族で従兄の袁遺は決定に従うとこれといった意見は無い。その他も自分が立候補するという性格では無かった、こうなることは事前に予測できたことになる。


 もしこの場に袁術が居たならばどうだったろうかと考える位だ。その場合はいきなり勢力が真っ二つに割れていた恐れすらある。


「皆の気持ちも同じようです、いかがでしょうか袁紹殿が盟主を引き受けられては」


 満更でもない表情の袁紹が髭を撫でながらうんうんと頷く。


「皆様方の支援をいただき、不肖この袁本初が盟主を務めさせて頂きましょう。宜しければご唱和の程を」


 盃を掲げて反董卓連合軍の結成を叫び皆で飲み干した。その日は兵にも酒と肉が振る舞われて大いに英気を養うことの成る。


 そこから数日のこと、相変わらず幕では酒宴が行われていた。


「なんだと、王匡殿が敗戦した!」


 ほろよい気分だったところへ衝撃の報告がもたらされる。つい盃を取り落としてしまったのは曹操だった。


「なぜ王匡殿が? 籠城していれば数か月は持つはずだが、何が?」


 その疑問は先着していた冤州の太守らも浮かんでいた、いくら大軍で襲い掛かろうと一度に攻められる数など決まっている。攻城兵器はこの雪では移動も設置も出来ない、どうして落城したのか。


「そ、それが、懐を出撃して河陽津を占拠したところ、徐栄軍に包囲され壊滅致しました……」


 別に伝令が恥じ入ることなど何もないのに、申し訳なさそうに説明をする。折角集って士気が上がって来ていたのに、一気に冷水を頭から浴びせられたかのような雰囲気になってしまった。


「城を出ただと? なんと愚かな……」


 うなだれてしまいため息をつく曹操、その気持ちが痛いほどわかった鮑信や張貌は、軽く肩に手を添えて頭を左右に振った。それ以上言うなと。


「それで王匡殿の安否はいかがなのでしょうか?」


 孔抽が細いが綺麗な声で尋ねる。生きていれば再度また戦いに身を投じることも出来る。


「行方不明です」


 あちこちから唸り声が聞こえてくる、戦争中に負けて行方不明、十中八九は戦死しているだろうとみて間違いない。これからだ、というところで出鼻をくじかれたのはかなりの痛手だ。これではいかんと察した曹操、気を取り直して声を上げた。


「河内太守王匡殿の奮戦を無駄にしてはいけない。積雪があろうと戦えることを示し、一時は董卓軍を押し出し進軍をしてのけた。ならば! 我等もこれにまけじと進もうではないか! どうだ諸侯らよ!」


 それぞれが互いに顔を合わせ、そしてチラッとだけ曹操を見てから視線を伏せる。勝てるからと誘いにしぶしぶ乗って来たのが大半なのだ、もし相手が強いならば懐柔される方がどれだけ気楽か。


「……これだけの勇士が集まっているというのに、誰一人声を上げないとは! 見損なったぞ!」


「おう孟徳、その位にしておくんだ。あっちで頭を冷やそう」


 鮑信が曹操を連れ出して行く、盃を置いて皆がうなだれる。烏合の衆とはこれだろう、盟主とはいっても指揮権があるわけではない。命令して拒否されれば袁紹が恥ずかしい思いをするだけ、誰かが名乗り出ればそれを許可するが一人もいなかった。


 忸怩たる思いを胸に曹操は連合軍が動くのを今か今かと待ち続ける。二月に入ると大きく状況が変化した、何と董卓が献帝を長安へ移し、朝廷機能を洛陽から移設しだしたのだ。洛陽と長安はともに帝の居城として治世を過ごしていた時期がある、それにしたとておいそれと遷都することなど出来ようはずがない。


 実際に国政機能のみを移すという話らしく、献帝とその供回りが長安へと行き、董卓らは洛陽に残っているそうだ。酸棗に駐屯して暫く、ついに雪解けの時期に差し掛かって来た。


 曹操は待機が続くのが精神的に堪えるだけでなく、現実問題として兵糧が心もとなくなってきていた。というのも、殆ど皆は太守や刺史といった官職があり、租税を戦費にまわせているのに曹操は行奮武将軍という自称の官職しかない。手出しが続き最早自然消滅しそうな勢いだったのだ。


「もう我慢ならん、俺は一人でも行く!」


 『曹』の軍旗を掲げた一団が酸棗を立ち去り南の官渡方面へと移動を始めた。それを聞いた張貌と鮑信も慌てて軍営を畳むと曹操を追って行くことになる。まさかついて来てくれるとは思っても居なかった曹操は、二人の姿を見ると涙を流して喜んだ。


「貴殿らは俺の本当の友だ」


 実際追い詰められていたので本心だったのだろう、二人も肩を抱き合い「これからと言うのに一人でいくものではないぞ」優しい笑顔を見せる。黄河を渡り南岸を洛陽方面へと進んでいくと虎牢関が見えてくるはずだった、だが手前の榮陽に差し掛かった時に、山岳と河とから同時に奇襲を受けた。


「董卓様に楯突くとは愚かな、身の程知らず共め!」


 懐に居たはずの徐栄軍団がいつのまにか回り込んでいて、一気呵成に攻め込んで来る。狭い土地だ、挟まれた側が混乱に陥る。


「馬鹿な、何故ここに!」


 我こそがと思っていた曹操ですら驚いていた、皆だって同じだろう。


「孟徳、ここは態勢を立て直すために退くぞ!」


 一度心が揺さぶられてしまった軍は簡単にやり直しがきかない、生き延びることを優先してさっさと本陣を東へと離脱させる。張貌軍の殿は衛滋、曹操が故郷で挙兵するのを手助けしてくれた武将で、張貌の配下だ。鮑信軍でも弟の鮑韜が最後まで残り徐栄軍団を防ぎ続ける。


 それぞれがバラバラになり、曹操も必死になるも軍馬が矢傷を受けて地面に倒れてしまう。


「孟徳殿、この馬を使いなされ!」


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