第253話


「でしたら檄文を託されたという東郡太守橋瑁殿は挙兵に応じないわけには行かなさそうですね」


 そんなことをしたらもう後戻りはできない。橋瑁は率先して兵を出して来るという文聘の読みは是認できる。


「恐らく、橋瑁、張貌、張超、王匡、鮑信らは真っ先に呼応するでしょう。地理的なことと、人物関係的な面で。そしてこれだけ冤州から太守が賛同するならば、仕方なく刺史の劉岱も同調するかと。他には豫州刺史孔抽も忠臣たらんと参与するはずです」


 言われてみればそうだと思う内容が口をついて出てくる。ことの道理というのは聞かされて気づくのではなく、自ら探すものだと感心してしまった。


「兵力が寄るのは三か月か四か月はかかるだろう、雪解けから勝負を挑む、まあそんなところが見えてくる」


 戦争に関してならば島だって先が見通せた、これに関しては荀彧も特別いうことはない。参加さえするならばいつ行ってももろ手を挙げて歓迎してくれるだろうことも含め、結論としてはやはり今すぐ動く必要はない。準備だけして時機を待つことにした。


 年が改まり翌一月の一日、曹操は寒空の中、約束の地酸棗に陣を張って諸侯らが来るのを今か今かと待ち続けていた。積雪があるのでこれといった動きも見せることが出来ずに、ただ時間を浪費している。


「ええい腰抜けが! 何が国家の為に立ち上がろうだ!」


 盃を投げ捨てて声を荒げているのは曹操だった。多くの諸侯らが大賛成して年始をここで過ごそうと約束をしたにも関わらず、幕に居るのは東郡太守橋瑁と陳留太守張貌、済北相鮑信だけ。王匡は最前線を担う地域柄、酸棗ではなく河内でそのまま防備を行っている。


「そう荒れるな孟徳、雪が多く行軍に時間が掛かっているだけだ」


 という理由にして落ち付けと親友をなだめるのは鮑信だった。橋瑁は無言で、張貌も鮑信に続いて「焦るな、必ず来る」と断言した。ここで迷うようならば初めから挙兵などしない、したからには動揺などせずに構えて居なければならない。頂点とはそういう存在なのだから。


「俺が信じられるのはこの場に居る者達だけだ。はぁ、すまん……少し落ち着くことにする」


 幕に部将がやって来ると橋瑁に耳打ちをして去って行った。何かを思案しているようで、張貌が声をかける。


「何かありましたかな」


「うむ陳留殿、実は東郡に白波賊らが向かっているという情報が。先年中央軍が打ちのめしたはずでしたが、どうやら山間を逃げて魏郡と河内の間を抜けて平野部にと」


 四人が互いに視線をかわす。これは大変な話だ、襲われてから聞かされたのではなく事前に察知できたのは大きい。


「橋太守、放ってはおけませんでしょう。軍を率いて濮陽へ戻られるのが宜しいのでは?」


 大義はあるが、太守として領民の危険が迫っているならばそれを守るのが優先される。流石に曹操も戻るのはやめろとは言えない。ここで軍が離脱したらどうなるだろうか、恐らくは会盟がなされずに連合は消滅してしまう。


 董卓を打倒することが出来なければ、この場の面々は良くて処刑、悪ければ三族討滅されてしまうだろう。ましてや偽の檄文を書いてしまったのだ、真っ先に処罰されるのは目に見えている。


「いえ、大義を目の前にして翻弄されるわけには参りません。この場に残り目的を達しましょうぞ」


 曹操はそれを聞くと駆け寄りその手を取り大喜びする。


「さすが元偉殿です! 素晴らしいお気持ちで!」


 率直な感想であって持ち上げたわけでも何でもない。実際どちらが正解かなどこの場で誰にもわからないのだ。


「さりとて放置も出来ませんので、郡尉を任じ賊に備えさせようと存じます。少々席を外しても?」


 郡尉とは大きな領土で軍を分けて運用する時に任じられたりする職だ。今回のように太守が不在時には長吏が取り仕切ることが殆どだが、軍事に疎い者がその任にあるならば、このように専門家に権限を委譲することがあった。


「ああ、もちろん構いませんとも。なあ皆」


 はつらつとした表情になった曹操、親友の二人はある種ほっとして大きく頷いてやる。太守としての仕事は重々承知している、なにせ同じ立場なのだから。


「無論です、どうぞ役目を全うされますよう」


「賊の情報が入れば東郡殿にお届けします。こちらは気になされずに」


 橋瑁は礼をして幕を出て行った。盗賊の殲滅位しっかりとしておけ、敵である董卓に対してそんな思いを持ったところでどうにもならないので口にはしない。


「しかし孟徳、どちらにせよこの積雪ではおいそれと動けんが、雪解け前に懐まで進軍してはおきたいな」


 黄河の北岸の郡都に入ることが出来れば、どこかで渡河戦をすることで洛陽に迫ることが出来る。王匡の役目は連合軍が集うまで河内を守り切ることだ。


「それだが鮑信、敵前で渡河するのはかなり厳しい、南岸を進む手もあると思うのだ」


 何せ河は言うがキロ単位の幅を持つ世界の黄河が相手だ、居場所を知らねば海と言われても信じてしまうだろう。そんなところを敵に邪魔されながら渡るのは容易なことではない。


「南岸をだって? そちらには滓水の虎牢関がある、あそこは難所だぞ。孟卓の意見は?」


「俺は二人と違い軍事に明るくはないのだぞ。関所があるのはそこを通行されると困るからだと考えれば、一つの選択肢ではあるのだろうな」


 張貌の言葉に二人が頷く。問題はどうやって名だたる堅城の虎牢関を抜くかだ。洛陽を守るために東西南北に八カ所の関が設置されていて洛陽八関と呼ばれている。どれもこれもが堅固で、権力者の保身に対する熱意が伺えた。


「虎牢関の守将は華雄とかいう下っ端だ。やりようはあるだろう」


 董卓が派遣したのは都尉の華雄、将軍や太守に比べると一つ下の官職でしかない。関所だと考えればそれは適切なのかもしれないが、国門だと受け止めるならばやはり将軍を配すべきとも言える。


「いずれにせよ連合軍の結成を待たずには始まらんな」


 山の裾野あたりに陣を張り、雪が止むのを待っていた。焚き火で暖をとってはいるが、あまりにも寒いので手がかじかんでしまう兵士が多数出てしまっている。それでも厚着をさせて好機を待ち続けているのは中郎将徐栄。


 騎馬した兵が近くまで乗りつけ、降りると急いで駆け付けて来る。


「申し上げます、王匡軍が河陽津へ向けて進軍を始めました!」


「馬鹿めが、ついに動いたか!」


 河陽津とは黄河の渡し場がある郷の一つで、郡都である懐から近い場所を指している。渡った先にあるのは肇、虎牢関の裏側にあたる郷。徐栄軍が何度も挑発の攻めを行っては退くことを続けていたのは、敵を城から誘い出す為。


「現在、李蒙隊が防戦を行っております!」


「手筈通りならば様子を見て退却するはずだ、我等も動くぞ。李粛の騎馬隊を野王方面へ走らせろ!」


 李蒙も李粛も血縁ではない、李鶴との関係もない。単純にその姓を名乗る者が多かっただけで、これといった特徴もない部下ではあるが、それなりの働きはきっちりとするので徐栄も子飼いとして重宝している。


 李粛については昨今状況が変わって来たかも知れない。五原郡の出生で、頭角を現してきた呂布の親友だ。丁原から引き抜いてきた張本人であり、騎馬することに関しては大の得意。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る