第251話


「元譲、島殿は許先生にも認められている人物評価の方でな、まさか俺も同じ言葉で評価されるとまで思ってなかったものだよ。どうやらお前も名将になる運命のようだな、こいつはめでたい! はははははは!」


 拱手して夏侯惇は島に礼をする。こうやって他者を評価する者は、良くも悪くも影響力を持っているのが常で、どんな悪いものでも本人にとっては箔がつく嬉しいことなのだ。


「して曹操殿、最近はどうでした」


 ぼかした物言いではあるが島は切っ掛けを作り話やすくさせた。腹芸が好きではないので、ずばっと口にして欲しいと願って。曹操は知恵がある、経験もある、相手が何を求めているかを敏感に察知した。そして真っすぐに口にしても大丈夫な相手だと理解もしていた。


「国家は今最大の危機に瀕している。臣下が君主を蔑ろにし、伝統を無視し、事の軽重を見失ってしまった。心を持つ臣民は須らく事態に対し悲痛な想いを抱いているだろう。この曹操もそうだ。董卓の専横を見てみぬふりをしているつもりはない」


 真剣そのものの表情で厳しく現状を指摘し、どうすべきかを語る。全ての物事がまさにその通りで、董卓には百の非があり、それを打倒しようとする者には百の理があった。


「島介殿におかれては如何」


 ここで否と言っても曹操は恐らく納得して去るだけだろう。だれしもが言葉や想いで動くとは考えていない、それこそが現実だから。段下の三人は息を飲んで島の返事を待つ。


「私は己の信じる正義を二度と曲げないと誓ったんだ。それが世の理とは違うことは先刻承知している」


 どちらともつかない言葉、皆が黙ってその先を聞くために姿勢を伸ばして島を見詰めた。


「だが、どうやら今は董卓に対抗することが己の志と一致している。求められずとも曹操殿の見据える先を共に目指すことになりそうだ」


「うむ! 喜ばしい! ははははは、さあ飲まれよ!」


 足が三本ついた器に曹操が手ずから酒を注ぐ。目的は達せられた、たった一度の訪問で数千の友軍を得たのだ、これが嬉しくないはずがない。幾度か互いが酌をして雰囲気が落ち付いたところで話の続きをする。


「ところで反董卓連合軍の他の同調者はいかがです」


 しれっとそのような名称にして島が尋ねる。これぞ最高機密なのに知っているぞと言外にしっかりと含めてだ。曹操も笑ってそれに応えることにした、目端が利くのは味方として良いことだと視点を切り替えて。


「ここ冤州の多くが応じ、豫州や冀州でも諸侯が立ちますぞ。董卓如きでは抗することが出来ない、世の流れですな」


「盟主は袁紹殿で、副盟主はいずれ袁術殿、曹操殿は全軍の頭脳といったところでしょうか」


 実はこの頃まだ袁術は洛陽を脱出していない。留まることを諦めて逃げる計画はしていた、そして曹操は心臓を握られたような思いになる。確約はしていないが袁術が連合に加わる見込みではあった、だがもしそうでなければのことが過る。


 曹操と袁紹が洛陽を逃げ出す時、妻子を袁術に託してその身だけで落ちて来たからだ。もし反目されたならば、家族と会うことは二度とないだろうと。いくら大義の為であっても堪えるのは曹操とて同じ。


「皆優秀な方々ばかりで、私など雑用程度の働きしか求められていないでしょうな。ははは」


 よく笑う男だ、曹操は常に笑っている。非情な命令を出す時だとて変わらずに。真の思いを隠すためにはそれが最善だと信じているから。


「多くの雄が集うでしょう、多くの兵が集うでしょう、多くの敵が立ちはだかるでしょう。曹操殿がいかに有能で、素晴らしい将を抱え、多数の兵を率い敵に対峙し、拠点にうず高く積まれた糧食があったとしても、時に結果が出ないこととてある」


「それはどういう意味で?」


 ふと笑みが消える、曹操の思考の範囲をはみでた瞬間だ。


「くだらない嫌がらせや意趣返しで、最前線へ食糧が届かねば兵は飢える。大志が雄大である程に、小人の妬みなど思いもよらないでしょうからな。現実には何故そのようなと思えることが起こるので、心のどこかに留めおいて貰えたら幸いだ」


 曹操は息を吸うと指先を重ねて島に礼をした。なるほどあり得るし、そうなれば手の施しようがないと気づかされたからだ。予言めいたことなど笑い飛ばすことが殆どだが、島に関して言えばいつももっともで当たっていたので背筋が寒くなる思いだった。


「年末に挙兵し、会盟する腹積もりですぞ。場所は酸棗」


 荀彧にチラッと目線をやると「ここより歩兵で二日、烏巣を越えた先にある黄河北岸の地。冤州、冀州、司隷の狭間でありますれば、諸侯が集うに理想かと愚考致します」解説をしっかりとする。河が近くに在り平坦地で交通の便が良く、西へ行けば直ぐに河内郡へ入る。直ぐの尺度としては徒歩一時間だ。


 漢字ではなく響きで耳に入り頭に浮かんだ、島はサンソウとウソウで、ウソウと言うのが後年で有名になるのでそちらのイメージがあった。何かと言えばその近隣が官渡と呼ばれる決戦場だから。


「目と鼻の先で軍が興ったら、董卓も無視はできないでしょう」


 即ち討伐軍を差し向けて来る。当たり前と言えば当たり前だ、政権を握っているのは向こうで大義名分と言うのは勅令になる。短期で決戦しなければジリ貧になるのは反董卓連合軍の側なので、攻撃をすべき側という話。ならばスタート地点は出来るだけ敵の見える場所にしなければ、進軍に余計な時間が掛かってしまう。


 河内郡の都である懐県までは酸棗から七日程の行程で、そこから洛陽盆地へ入るならば更に七日で洛陽へたどり着くことが出来る。その河内郡の太守が反董卓連合に応じているのは、計画段階で半ば難所を越えていることを意味している。


 もしここで太守王匡が連合の侵入を拒めば、多大な時間が浪費されてしまう。後背地や地の利というのはそれだけ大きな意味を持っている、争う何かが大きければ大きい程に。


「無視してくれた方がありがたいのだが、まあそうもならんでしょうな。得てして想定することよりも悪い方向へ流れるもの」


 上手くいくならそれはそれで構わない、頂点は最悪を考慮して決断するまで。この点については島も曹操と同じ考えだった。陽が傾いてきた頃に曹操が切り出す。


「お邪魔になるので私はこの位で」


「大したお構いも出来ずに。近いうちにまた会いましょう」



 曹操と夏侯惇の二人が小黄城を立ち去る、騎馬して北門を出るとそこそこの速度で馬を走らせる。途中で護衛の騎馬隊十人が合流した。


「孟徳、次は何処へ行くつもりだ」


「はっ、濮陽の橋瑁のところだ」


「というと、東郡太守で元の冤州刺史か。味方づくりに余念がないのは良いが、足元を疎かにして駆け回るのはどうなんだ?」


 歯に衣着せずにものをいう夏侯惇、耳が痛いほどに有益な助言なのは曹操も理解していた。相手が夏侯惇であるならば、変に遠回しにモノをいったり気を使うこともない。産まれてこの方、家族のように共に育ってきたのだから。


「なにも橋瑁のような口だけの男に媚に行くわけではない。あやつのその人柄を利用しに行くのだ」


「利用しに?」


「行けばわかる。案山子でも山の賑わいともいう、数は力だ」


 答えるのを曖昧にして、騎馬の一団は済水を越えるための渡し場に辿り着く。平丘県へ向かう平船の上で身体を休める。


「あの島介というのは信用出来るのか?」


 何事も瑕疵が無いかを確かめてかかるのは夏侯惇の性格だった。病的なものではなく、これは一つの理論的な穴埋め。向学心のようなものであり、計画段階で少しでも欠けている部分を見付けようとしているだけだった。


「どうだろうな。だが、アレは使える。出来れば俺の配下にしたいが、今は無理だろう」


「たかが一県を支配しているだけだが?」


「ふむ。良いか元譲、今は一県のみだが直ぐに郡を支配するようになる。そして州をだ。それだけの素養を持っていると俺は見ているんだ。だが元譲、お前は州一つどころではくもっと大きなことをしてもらうつもりだ、いいな」


「ああ、上手く俺を使いこなしてくれ。産まれてから死ぬまで、俺は孟徳を決して裏切りはせん」


 この時の夏侯惇の言葉を曹操は一生忘れることは無かった。歴史を鑑みればどれだけ互いを信頼していたかが透けて見えてくる。漢の臣下として最後は魏王にまでなった曹操、その配下の殆ど全ては魏国の臣下になった。だが夏侯惇だけが唯一曹操と共に漢の臣下として名を残している。


 武官であり軍司令官である夏侯惇、実は戦が苦手で敗北の方が多かった。それでも曹操は決して裏切らない配下である夏侯惇を最大限登用し続けた、そして夏侯惇もどれだけ敗戦しても必ず生きて帰って来た。生きて居てこそ互いの役に立つことが出来ると。

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