第250話


「宮中でも楊奉とかいう頭目が乱を起こしていると話がありました」


 董卓の甥で侍中の董黄は、帝に侍って邪魔者を寄せ付けないこと。一族の中では比較的穏やかな性格の為、消去法のような感じで役目を負っている。話題に出ていただけでそれを調べたわけではないので、彼の出番はここまで。


「賈翅、賊の規模はどうだ」


「聞くところによりますれば、黄巾賊の残党五万程が点在しているとのこと。なにぶん賊軍ですので勝手気ままに暴れている様子」


 ふん、と鼻を鳴らした董卓は目を細める。何かを考えている時のクセなので、側近らは黙って邪魔をしないようにする。パン、と膝を手のひらで叩くと「牛輔!」名指しを行った。


「はい、ここに」


「中央軍一万に涼州兵二万を引き連れ、白波賊を蹴散らしてこい!」


「御意に! ……あの義父上、近隣で徴兵しても宜しいでしょうか?」


 この牛輔と言う奴、物凄く気が弱いのだ。精兵を与えられても数の上で劣っていると心配でならないのだ。そもそも現地での徴兵など好きにやれば良い裁量権の一つだが、勝手に動くと董卓に睨まれるので、一事が万事こうなってしまっていた。


 それでも董卓は可愛い娘の旦那なので、これといって叱責をするわけでもなく許可を与えた。何せ身内には甘いのだ、厳しい環境で幼少期を生き延びてきたので特に家族愛や近親者への贔屓が強い。


「董卓様、皇太后の葬儀を執り行う手筈もお決めになられては」


「ふむ、そのようなこと適当にしておけば良いではないか」


 政敵の葬儀は儀式的な部分だけ満たしておけば、あとは関わるつもりはないと軽く見ているのが伝わる。側近らの殆どもそう考えていた。余計な手出しをしたら恨まれることもあるので、それはある意味正解であるが。


「献帝に次ぐ高位の人物で御座います。これを盛大に送ることにより、董卓様の力を内外に見せつけてこそ、更なる一歩を進むことが可能になるでしょう」


 含みがある物言いに董卓が考えを巡らせる。既に事実上の頂点になっている、何処を補強すべきか、と。


「ワシに丞相へ進めと言うのか」


 司徒、司空、太尉ら三公の上に、大司馬、太傅、太保という三師が上公として設置されることがある。丞相とはその四つ目の上公で、司徒の権限を包括する国家の大黒柱を指しているのだ。なるほどそれは良い案だと、皆が大きく頷いたが、賈翅は頭を横に振った。


「董卓様ならば、蕭何や曹参のごとく相国として君臨されるのがよろしいかと」


「相国か!」


 漢の高祖である劉邦が誇る両腕。国家の全てを取り仕切った最高権力者を相国と呼んだ。実務権限を鑑みれば、最早皇帝よりも権限が強く、ある種の君主権限すらも包括してしまっている。


 それゆえに、国家の立役者である二人以外は決して相国に就任することなく、その下である丞相で止まっていた。以来、永久に誰も就任しない幻の格式ある官職として知られているだけ。賈翅はその相国に就くべきだと言っているのだ。


「賊の鎮圧、まかり間違ってもしくじるわけには行きませんが」


 牛輔では心配があるが、それを率直に言ってしまうと角が立つ、その為に間に話を一つ挟んでいる。今ならば董卓もおいそれと任せたことが手落ちになりかねないと真面目に思案した。だがここで賈翅の想定を少し外れた返答がやって来た。


「確かにそうだな。牛輔よ、近衛兵団を三師団つけてやる、校尉は不在だが郎中らに指揮をさせれば問題あるまい」


「おおそれは心強い! ありがたく」


 問題は司令官である牛輔の能力だったが、どうやら別の人物に役割を担わせるつもりはないらしい。平気な顔で次善の提案を差し込んだ。


「近衛騎兵を指揮する人物が必要でしょう。いかがでしょうか、騎兵ならばやはり呂布殿が適切では」


 己の護衛として連れていたが、言われてみれば確かに統率者は必要だと納得する。無冠では近衛兵を統率するわけには行かないし、今後専任で近衛をまかせるつもりもない。ならばと「騎都尉に任じ、一時的に牛輔の下につけるとしよう」必要な措置を命じた。


 これならば賊徒らが余程奇跡的な動きをしない限り、牛輔軍団が負ける要素が無い。賈翅もすっと退き大人しくなる。永漢元年十月、西暦にして百八十九年の秋の事であった。


 小黄郊外の城塞で、首都の情報を逐一受けていて疑問がわいてきたので荀彧を呼び出して話を聞いている最中、更なる報告が上がって来ていた。


「曹操殿が面会を希望しているとのことで、使いが来ておりますがいかがいたしましょう」


 ついお互いめ見つめ合ってしまった。曹操は官職を捨てて郷里に戻っているはずで、今は無冠。豫州の焦出身なので、ここから馬で移動したらゆっくりと旅をしても四日もあれば辿り着くので、比較的近隣と言えなくもない。


 具体的にはここ小黄から同じ陳留郡の己吾県までを往復するのと同距離だ。典偉ならばかなりはっきりとした体感で距離を掴めているだろう。


「どんな用事だと思う?」


 半ば予想はついているが、荀彧の視点からの意見が聞きたくて島は尋ねた。


「董卓の狼藉についてでありましょう。相国を称し、再度年号を改めるなど、もはや臣下の所業では御座いませんので」


 年号を中平に戻し、六年に改めたのだ。中平六年とは霊帝の治世におけるものであり、もう今年四度目の改元だった。暦を司るのは皇帝の権限であり、新たに即位した献帝を蔑ろにする変更なのは誰の目にも明らかだった。


「董卓とはそういうやつなんだよ。いよいよ曹操も挙兵するってことで、様子見にやって来るわけだな。わざわざ俺の為にこんなところに来るとも思えんが」


 もっともっと有力者と言うのは存在している。そういった人物を優先し、県一つしか持っていないような奴は放っておくのが当たり前だ。


「恐らくは陳留太守の張貌に会いに陳留県へ来る際に寄られるのでしょう」


「確かにそこまで来るなら目と鼻の先だな。張貌というとどんな奴だった?」


 太守だけでも世の中に百人以上も居る上に、年を経て交代するので覚えきれない。せめて周辺の人物くらいはと一通り聞いたりもしたが、誤っていたら困るので再確認の意味も込めてのことだ。


「若いころから貧者を助け、頭脳は明晰、品行方正で中央府でも名が通った方で御座います」


「で、そいつと曹操とはどういう関係だ」


 事の成否を占う意味でも、個人的な関係は大きい。もっとも話を聞くだけでは、張貌は門前払いをするような奴ではないのがわかる。


「曹操殿と、張貌殿、そして袁紹殿は親友の間柄といって差し支えないでしょう。それに張貌殿の弟の張超殿も加え、志の方向は同じかと」


「弟か、そいつは?」


「広陵太守をしておりますので、兄弟でかなりの影響力を持っておられます」


 場所的には海沿い、呉国があった揚州の真北の端っこ。諸葛亮の生地があるのはそこから直ぐで、後の時代に度々主戦場になる合肥は西へ直ぐのところだ。


「するともののついでに俺にも声をかけ、一緒に戦うか、黙って邪魔をするなと言いにくるわけだ」


 当たらずとも遠からず、態度を確かめに来るのというところだ。陳留太守が董卓に反旗を翻すならば、島らの居城もまた戦場になり得る。いずれにせよいつまでも城塞に籠もっているつもりもない。


「お会いになられると宜しいでしょう」


「そうするとしよう。城を探られるのもつまらん、街の屋敷に居場所を移すとするか」


 小黄県の県城にも屋敷は置かれている、むしろ執務の都合上普段はそちらに居ることが多かった孫羽将軍。島はこれといった官職も受けていないので、あまり街には行かなかったが護衛は両方にきっちりと置いている。どこにいるかを悟らせないために。


 騎馬して山を下ると直ぐに城門を越える、差し止めようとする者は一人もいない。何故ならば、黒兵を連れているからだ。羽長官の遺産は今もきっちりとその残光を放ち続けている。


 夕方になり屋敷に訪問者がやってきたとの報を受けて、荀彧と典偉を傍に置いて面会することにした。一人だけ部将を伴いやって来る、笑顔で再会するなり両手を握って来る。


「いやあ島殿、よく無事で洛陽を抜けて来られた。よかったよかった、ははははは!」


「曹操殿もお元気そうで。どうぞお掛けください」


 島と曹操が上座で並んで座り、左右眼前に三人が別れて座る。


「あれは俺の従兄弟だ、見知っておいて欲しい」


 にこやかに紹介をする、年齢は三十代半ば程で落ち着いた雰囲気。明らかな武官のようにも見えるし、政務官のようにも見えた。


「お初にお目にかかる、夏侯惇、字を元譲と申す」


「おお、貴殿があの夏侯惇殿か!」


 島はつい別世界で見知ったキャラクターと姿をだぶらせてしまう。今のところまだ片目を失っていないのでピンと来ていなかったようだが、間違いなく武官だなと認識を持った。実際はそうではないというのはあまり知られていないのだ。


「島殿は元譲を知っておられた?」


 隠しているわけではないので名前は知っていたとしても、どうにもあの反応と結びつかなかった。何せこの時点ではなんら武功を上げているわけではないので、知人でも無ければ人となりを含めて知り様がない。


「いずれ大人物になるだろうと見えたんだ。直接は知らないが、間違いなく曹操殿のところを代表する将だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る