第249話

 無味乾燥した意見を吐いた甘寧はなんら悪びれるところがない。思っていても口にしなければ敵も増やさずにすむだろうに。気に入らない相手とは常に衝突して生きて来た、これからも変わることはない。


「我が君、これからどうするおつもりでしょうか」


 あてもなく逃げて来たとしても、理不尽な責めを受けずに済むと言う益はある。皆の注目を集めて島は小さく頷く。


「早晩反董卓連合軍が結成されるはずだ、それまでは足元を固めるさ」


「反董卓連合軍ですか?」


 なにか確信じみた言い方ではあったが、突然そんな風に言われてもしっくりと来るものはいなかった。他人任せのような態度にも思えるが、誰一人即断はしない。


「ああ、袁紹あたりを筆頭に、各地の独立勢力が名を連ねる。とはいっても仲良し集団ではないからな、利害が衝突すればあっという間に崩壊するだろうさ」


 賭けてもいい、そこまで口にしようとして何とか抑える。独立勢力という表現もまだ早い、だが荀彧には想像することが出来ていた。



「洛陽東、河内郡の太守王匡は元は何進大将軍の属でした、董卓に与するとは思えません。かの地が最前線になるでしょう」


 河南尹は洛陽盆地であり、北東に低い山の出入り口があるだけの囲地、その出口を接しているのが河内郡だ。陳留はその河内の東隣で、陳留王が帝になって後は陳留国が陳留郡になっている。元から相だった張貌が太守に官名を変えていた。


「董卓軍と言えば涼州兵と併州兵が精強だろうな。武将では弟の董旻を筆頭に三人の部将が有名どころだ」


 この頃、董旻は左将軍に就任している。待機時に色々と情報を仕入れていた張遼がすらすらと言葉を続けた。


「娘婿の中郎将牛輔、こいつが一番兵力を握っている。部下の李鶴、郭?が軸だな」


「胡軫軍団も強いと聞きました、戦場での軍指揮に定評があると」


「俺も知ってるぞ。徐栄軍が三軍団の中で一番だって話だ」


 文聘と典偉も負けじと知っていることを口にする。基本この時代は噂話を集めて他者を評価するくらいしか基準がない、実際に戦ったことがある者の体験談が聞けるのは稀だった。えてしてそう言う奴は話を大きくしたりするので、正確に力量を読み取るのは困難で、それが出来るかどうかも将としての能力といえた。


「で、荀彧はどうみてるんだ」


 余裕の笑みを浮かべた島は、肯定も否定もせずに問いかける。どこかで名を聞いたことがあれば、そいつはそれなりの経歴があるのと同義、武官ならば戦で生き残った証拠でもある。勝っても負けても経験は経験だ。勝ち続けた将よりも、負けを知る者の方が貴重だろう。


「戦は兵力規模とみるならば牛輔、戦略謀略とみるならば胡軫、戦闘能力とみるならば徐栄でしょうか。個人の武力ならば呂布、知略ならば賈翅とみております」


 どこまで正確に読み取っているか、今のところは誰にもわからない。あてずっぽうで評価をしているわけでもないだろうから、これを参考に今後を占うことにした。


「現状の詳細を把握しておくことにするか」


「御意。董卓は司隷、併州、雍州、涼州を影響下に置き、兵力は十万、献帝を頂き官軍としての御旗を得ております。一方で我が君は、陳留小黄県を事実上の支配下に置き、兵力は精鋭二千五百、幕下は我等の他に、潁川へ向かった友若殿や公達殿の他、陳紀殿の一派からの支持も得ております」


 比べるまでもなく勝負にならない。それを知っておくのは悪いことではないが、どうやって対抗すべきかため息が出そうになるほどだった。


「戦いと言うのは頭でやるものだ、そうだろ? 荀彧、董卓のこれからの行動を想定するとどうなる」


 一番の腕利きがそんなことをいうものだから、その場の皆が苦笑した。とはいえ殴り合いは一方的に出来るし、最後の手段であるとの認識は正しい。


「そうで御座いますね、董卓であらば――」



 河南尹洛陽、宮廷の奥深くにある部屋で、董卓は少数の側近と密談を行っていた。担当卿らの意見をきくつもりなど元よりなく、いかにして支配を盤石にすべきかのみを求めていた。


「そうか袁紹の奴は渤海太守の印を受け取ったか」


 小さく頷いて一つ収まる所に収またっとほっとしている。今や飛ぶ鳥を落とす勢いの董卓であっても、常に強気で居られているわけではない。少なくともそのように振舞ってはいるが、いつ全てが崩れ落ちるかとハラハラしているのだ。


「王匡は河内太守、韓馥は冀州牧、鮑信は済北相、劉岱は冤州刺史、張超は広陵太守と、多くが素直に官につきました」


 吏部掾周筆が人事についての現状を報告する。これらは全て董卓が上奏をして認めさせた地方の責任者で、これを受けるならば従え、少なくとも黙って見て居ろといった感覚で割り振って行ったものだった。清流派の士大夫らの精神として、付き合うつもりがないならば贈り物を受け取ることはしないで拒否する。逆に受け取ったならば付き合うのが常識だった。


「だが兄貴、良かったのか。そいつらきっと裏切って牙を剥くぞ」


 董卓を兄貴と呼ぶのは唯一、董旻だけだ。政権の次席には遠いが、派閥の二番手としては地位を確立している。左将軍だった皇甫嵩は今は無冠で牢獄に落とされている。董卓を誅殺すべきだと声を上げたのが理由だ、遅すぎた行動は果たして褒められるべきだろうか。


「董旻様、それならばそれでしめたもの。恩を仇で返そうとする不埒者として糾弾が可能になりますので」


「はっ、賈翅の言う通りだ。奴らとて打算くらいは出来るはずだ、俺と争うよりも黙っている方が良いとな!」


 四十路の男、賈翅。涼州に居る時から常に董卓の側近として助言をしてきた生え抜きの部下であり、今まで一度も失策を責められたことが無かった。


「なら良いが」


 それ以上深く考えることもなく話を流してしまう。先年まで一介の部将でしかなかったのに、突然卿の位に上がったので思慮が浅いと言わざるを得ない。とはいえ、現場での軍指揮能力は及第点どころか優秀、異民族相手に戦いを続けた経験が際立っていた。


「義父上、洛陽周辺の関所には兵を詰めておくべきでは?」


 眉を寄せて提言するのは牛輔、董卓の娘婿だ。私兵の半数をこいつが指揮している唯一の理由が姻戚だから。能力の程は中だ、下の中。ところが部下の中では二番目に位が高い中郎将としてこの場に在った。


「他はともかくとして、虎牢関には守備兵を置くべきかと」


「ふむ、胡軫が言うならそれが妥当であろう。そなたが配せ」


 意見を受け止めその場で処理してしまう。董卓は現場の武官だ、任せてよいことはさっさと仕事を渡してしまい、自身はその命令責任のみを負う。


「御意。では華雄を都尉として派遣します」


 都尉にも色々とあるが、この場合は関所の駐屯軍指揮官といったところだろう。関所自体の管理をしている将はもっともっと下位で、官ではなく吏と呼ばれる地方公務員のような扱いでしかない。


「して賈翅よ、アレはどうなった」


 目を細めて曖昧な問いをする。賈翅は迷うことなく何を尋ねられているかを感じ「そろそろ報告が届くころ合いかと」落ち着き払った返事をした。董卓が髭を撫でつけると、伝令が急報を携えているから通してよいか、と近侍に尋ねられる。


「通せ」


 片方だけ眉を上げて扉を見詰めていると、文官服をまとった中年の男がやって来て拝礼する。側近に促されると「何皇太后陛下がお亡くなりになりました!」側近がざわつく内容を吐き出す。董卓も賈翅も微動だにしないのをみて、先ほどのやり取りがこのことだと感付く。


「死因はなんであったのでしょうか」


「それが、服毒自殺とのことでございます」


「承知致しました。お下がりなさい」


 伝令を退室させた。皇太后が死んだ、これで皇族らしい皇族は退位した子供と、幽州へ行っている劉虞だけになる。ところが董卓はこれを褒めもしなければ貶しもしない、相変わらず髭を撫でているだけ。


「董卓様、無論仕事を残しは致しません」


「そうか。お前の言うことだ、きっちりとこなすのであろう。時に河東の白波賊とやらは目に余るな」


 洛陽盆地の北西にある山地、そこの白波谷に屯している賊徒をそのように呼んでいた。一応の頭目のような者らは幾人かいたが、一つの集団として機能しているかと言うと決してそうではない。地域にいるやつらを一括りにしてそう呼称しただけで、黄巾賊と流れとしては一緒だった。

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