第248話


「うむ、どうやら皆が賛成のだな。結構結構! では陛下には退いてもらうとしよう。あー、最後にもう一度聞いておこうか、こういうことには念を入れた方がいい。反対者は前へ出ろ」


 笑顔で喜んでから、鬼の形相に早変わりして前へ出ろと言う。百面相か、顔芸をしている場合ではないぞ。不満一杯そうな奴は自制心が足らないと知るべきだ。


「居ないな。では解散だ!」


 のっしのっしと意気揚々と腕を腰の後ろに組んで退場していく。一方で肩を落として出て行く奴らの多いこと。しかし、こうも無理押しがきくならば政権というのを維持し続けている奴らは有能なんだな。孔明先生しかり、曹操しかり。さて俺も屋敷へ戻るとするか。宮を出て行こうとしたところで肩を叩かれる。


「よぉ元気にしているようで何よりだのう」


「……馬日碇殿、お久しぶりです」


 現れたな、太尉を免官されているはずだが、銀印紫綬か。ふーむ、今は何をしているやら。


「あれから数年、功績も伝え聞いておる。歩兵校尉とは嬉しい限りじゃな」


「これは政略の一環ですよ。そちらは今?」


「ああ、私は太常じゃよ。三公九卿くらいは覚えておいた方が良いな」


 そいつは確か、祝史楽廟などの大臣級だったな。年長者のポジションであり、さらに言えば文官で政治家と言うよりも学者向けの官職だ。


「仰る通りで。ところで懐かしの顔を見つけたから声をかけただけでしょうか」


 別に恩人とも何ともおもってないからな、ちょいと変なおじさん位にしか感じてない。世間では結構な人物らしいがね。視線を周囲に向けて不審者はいないかを警戒しながら受け答えをした。


「それだけでも良かったがね。孫将軍には私も世話になったことがあってな。官が走り回り大混乱を起こす一両日中ならば、どさくさ紛れに時間を作り陳留王に謁見させてやる位は出来るがどうだ」


 ハッとして振り向くと、飄々としたいつもの馬日碇ではなく、真剣な瞳をした老人が居る。ここで一つ意志を伝えておかねばならん、渡りに船と乗って好いものか? その瞳をじっと見詰め、偽りや罠の類ではないと確信を得る。


「馬閣下のお心遣いに感謝を」


 拱手し腰を曲げて頭を下げた。この場での最大限の謝辞を表す物だ。いつもの笑顔に戻ると「ついて参れ」小躍りしそうなほど軽快な足取りで建物がある奥の細い道を進んでいった。


 退位の準備と同時に即位の準備が行われている。あちこちに係の者がいて、慌ただしく動き回っている。それらを遠ざけ馬日碇が立派な建物の中へ入っていくと外で直立して待機する。暫くして戻って来ると「短いが時間が取れたぞ」それいけと招き入れてくれる。


 大きな椅子にちょこんと座っている劉協、どうにも落ち着かない様子が手に取るかのように解った。こちらの姿を見付けると椅子から降りた。近寄って行き声をかける。


「無事で何より」


「おお、龍よ。董卓が兄を廃して私を帝にするというのだ」


 不安そうな表情を覗かせている、そりゃそうだ、異常を感じればそうもなる。歴史上こういった事例はあるんだろうが、いざ自分の身に降りかかれば平常心でいられるやつなんていないよ。


「それを聞いてどう思った?」


「何故、と。長幼の序はあるべきではないか。それに、兄は何も間違いを犯してもいないのに」


 確かに。失策を繰り返しあきれ返られ人が離れていった結果、こうなったわけではないからな。


「劉協は正しく、世が狂っているだけだ。長い年月をかけ、この国は崩壊へと向かっている。それは変えようがない事実なんだ」


「そんな……漢は滅びる運命にあるというのか?」


 悲壮な叫びはあまりにも小さな声だった。まだ九歳の子供にどれだけの荷を背負わせるつもりなのか。


「国なんてのは必ずいつか滅びる。形あるものはいつか壊れる。これは変わらない真理なんだ。嘆くことはない」


 俯いて小さな拳を握りしめる。ああ、ここで終わることを受け入れるようなお前じゃないのは知ってるさ。


「だが――」


「だが、諦めることもない。劉協が帝であり続ける限り国は滅びん。俺がお前を必ず支えてみせる、時機を得てここぞという時に絶対に駆け付ける。それまで決して心を折らずに堪えていて欲しい。出来るよな」


 片方の膝をついて両手を劉協の肩に添える。真っすぐに前を向いて、一切の柵を捨て去り笑顔を見せた。涙を溜めていた劉協は、袖で拭うと大きく頷く。


「わかった、何があろうと耐えきってみせる。いつかその日が来るまで待ち続けると誓う」


「どれだけ離れていても、俺はお前の味方だ。約束する」


 どこか不思議な縁を感じてくれているようだな、これも転生の影響だろう。外が騒がしくなってきた、もう時間はなさそうだ。語り合いたいことは山のようにあるが、そうもいかんか。その場を離れ、視線だけを残して部屋を出た。外で待っていた馬日碇と目があう。


「一つ借りておきます」


「気にすることはない、こんなものは世代順送りじゃ。用が済んだならさっさと去ね。少しばかり有名になったせいで面倒ごとがこぞってやってくるじゃろうて」




 口角をあげて手をさっさと振る。速足で宮を出る、衛門の外で荀彧が待っていた。


「我が君、董卓が兵を集めて待機をかけさせております」


「潮時か。やることはやった、洛陽から離れるぞ」


「御意」


 屋敷に戻り次第「総員へ告げる、これより都を離れ陳留へと向かう。直ぐに準備を行え!」声をあげた。いつこうなっても良いように、殆ど荷物はまとめてある。小一時間もすると屋敷はもぬけの殻になる。東門を堂々と抜けて街道を東進した。一時間もしないうちに黒兵の一団が現れる。


「おいおい、なんだこいつらは」


 いや、陳留兵というのは解っている。そうではなく、その装備に驚いているんだよ。


「先だって我が君が施された資金で、武装を向上させたようです。重装鉄甲弓騎兵団とは、随分と珍い兵種ではないかと」


 黒い鉄板を貼った鎧に、黒と赤い裏地の外套、弓と手槍を鞍にかけ、馬にも鉄甲を被せた騎兵団。実は一つだけ心当たりがある、重装弓騎兵とは日本の騎馬武者のことだ。あちらでは馬を狙うというのが卑怯という精神もあり、鉄甲装備までしていたのは少ないらしいがね。


「好きに使えと言った手前、何とも言えんな」


 苦笑して軽く頷くと現状を認めて終わりにする。三か所の山地に伏せさせていた部隊にも連絡を入れて、全て引き揚げさせることにした。部隊を編制し恭荻将軍が率いている、東の関所で開門を命じるとすんなりと通してくれた。無理に留め置こうとしたら、どちらが被害を受けるかを知っていたらしいな。馬を止めて洛陽方面を振り返る。


「今ではない、だが必ず迎えに行く。それまで暫しのお別れだ」


 董卓の乱は成った。ここから一か月、漢では大きなうねりが起こることになる。


5 島独立

◇(ここより三人称の物語に変更します)


 小黄郊外にある城塞都市に島らが入城した。黒騎兵を伴っていたので一切誰何されることもなく、潁川郷土兵や泰山からの兵も共に。この地を守っていたのは北瑠、孫羽将軍の部将だった北狄の男。四十路を超えているが、その巨躯は未だに衰えることを知らない。


 歩兵校尉が指揮する近衛兵は都に置いてきている、今頃は丞官らが取り仕切っているだろう。城主の間に当たる部屋の奥にある椅子に腰を下ろした島が、同道してきた側近らの顔ぶれを確かめた。


 対面しているのは張遼、典偉、文聘、甘寧、北瑠など部隊を任せられる部将と、趙厳、牽招といった若者。椅子の隣には荀彧が立っている。


「ここに来て数日が経った、今頃洛陽では空席を埋める作業で忙しかろう」


 官職を履いていた者達がこぞって都を脱出したか、投獄された。嘆願があれば免職だけで済まされることもあっただろうが、いずれ二千石級の職がかなり空席になっているのは事実だろう。


「報告によれば董卓は太尉になり斧鉞と虎憤兵を与えられたとのことです。空席になった司空には楊彪殿が、司徒には黄碗殿がついたとのこと」


「中央の軍兵を握ろうって腹だな。これで殆どが影響下だ」


 光禄勲の荀爽が間には居るものの、董卓が武官の頂点になったので近衛兵を総括することになる。未だに前将軍でもあるので、地方から集めた軍勢も維持していた。前任の太尉だった劉虞は、大司馬へと昇格とのことらしい、完全に名ばかりではあるが名誉職の頂点だ。


「清流派の士も一定数都に残っておりますので、暴走を制止することに期待を致しましょう」


「いや荀彧殿、制止とは言うが帝を廃するまでやってのけて、今さらだと思うぞ」


 腕組をして既に起こった凶事を指摘する、まさに張遼の言う通りだった。少帝は弘農王に降格させられてしまい、封地へと僅かな供と落ちて行っている最中。王にされてもまだ宮中に身を置いているなら返り咲くこともあったかもしれないが、地方へ行かされてしまえば百に一つもその目は無い。


 指摘がもっともなことなのは荀彧もよくよく理解している、彼はこの先に更に大きなことが起こると考えて、それを止めることを指していただけだ。


「しかし廃帝といえどもこれを利用しようとする者も現れるのではないでしょうか?」


「文聘殿の仰るように、担ぎ上げようとする最右翼は何皇太后でありましょう。董卓にとって政治的に極めて危険な二人、恐らくはその命を狙われることになるはずです」


 そしてそれは遠くない未来に実行される、口には出さずとも結末を想定していた。長生きをしたければ身分を隠し辺境へ消え去るか、異民族の国へでも逃げるかしかない。


「情勢が固まる前に、董卓を排除しろって言えなかったんだ、そいつの限界だろ」


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