第247話

「何か気づいたことでもあったか」


「洛陽の近衛指揮官が極めて少なく、董卓は何進、丁原らの兵を吸収し肥大化しております。そこへきて司隷校尉袁紹、それに曹操殿の兵も無くなれば、近隣で兵力を持つのは董卓のみになります。少ないとはいえ手勢を抱えている我が君を敵視するならば、いよいよ危険度もあがりましょう」


 何苗の兵をとられなくて本当に良かったよ。地方軍を上洛させて囲っているのは感じているが、確かにそろそろ俺の番だな。


「黒兵を洛陽付近に寄せておけ。対抗するにせよ、逃げるにせよ、必要になるだろう」


「御意」


 ここで屋敷に帰る程身だな動きはないぞ。現状の把握に努める意味で、光禄勲府に行くとするか。


「ついてこい荀彧」


 供回りに伝令の件だけ命令し、そろそろと後ろをついてくる。府の出入り口には郎と呼ばれる若い奴が立っていて、門番として働いていた。こうやって中央で働くのは中郎、地方で働くのは外郎ともいうらしい、そして官に連なっていない下っ端を野郎といったり、下郎と呼んだりするみたいだぞ。


 堂々と府のど真ん中目指して廊下の中央を歩く。何せここでは殆ど同僚すら居ないって話だ、すれ違う奴らは全員銅印黒綬か銅印黄綬でしかない。奥の部屋に行くと、還暦を越えただろう老人が座って書簡を読んでいた。


「荀光禄勲、歩兵校尉島介、参りました」


 前々から老人だが、随分と線が細くなった。荀彧も儀礼通りに挨拶を済ませる。


「ふむ、よもや歩兵校尉の印綬を返納しにきたわけではあるまいな」


 いままでそう言う奴らが多かったってことだよな。返せと言われたら仕方ないが、自分から放り出す気はない。


「宮廷が極めて不穏な動きをしております。近衛兵の存在が重要かと存じます」


 否定も肯定もせずにさっさと懸案事項を吐き出した。せっかちで風情が無いのは俺が軍人だからだよ。


「昨今どこの誰かも解らぬような馬の骨を、近衛五校尉にと推挙して来る痴れ者がおってな、ほとほと困り果てておる次第じゃ。歩兵殿のように筋が通った将がいるならば、直ぐに任官させるというのだが」


 やれやれと書簡を巻いてそっと机に置いた。ここでも政治的攻勢は行われていたわけか、そりゃそうだろうな。


「叔父上、今宵にでも乱は起こるでしょう、それも前代未聞の」


 脅すわけではないぞ、これは事実だ。


「文若よ、武力では何も解決はしない。それは高祖が示しておられる、最後は徳こそが結果を残すのだ」


 大局的にみたらそうだろうが、鉄火場では腕力が全てだぞ。知らずにいっているわけではないところに、哀愁を感じるよ。


「蛮夷に恩徳を感じる素地があればよろしいですが」


 叔父には強く言えんだろうからな、ここは俺の出番だ。


「先ほど朝議にて、今上陛下の退位を促すとの意見を董卓が出しました」


「馬鹿な! 天子の進退を臣下が決めるなどあり得ぬことだ」


 驚いたか、そうか、俺はべつに何とも思わなかったぞ。でもこの時代ではそういう反応が常識ってことなんだろ。


「袁隗殿、盧植殿らを始めとし、朝臣の一部が猛反対し、今日は話が流れました。ですが近いうちに必ずや再度提起されるでしょう」


 いいか、反対は一部の者だけだぞ。俺はどうしたんだといわれたら、無言だったんだがね。


「漢は、この国はそこまで揺らいでおると言うのか。……文若、我等は何処へ向かうのであろう」


「道は切り拓かれるもので御座いますれば、向かう先こそが答え。叔父上は漢をどうされたいのでしょうか」


 じっと互いを見つめ合う。募る想いは言葉には出来んくても良いが、何を考えているのかは知りたい。


「政治になぞ関わらずに、学に励んでいればこのような想いもせずに済んだと言うのにな。何進殿の意気に触れ、つい侍中など引き受けてしまったのが全ての始まりであった。碩儒と呼ばれ調子に乗っていたのだ、それでこのような目に」


 立ち上がると両手を腰の後ろに組んで外を眺める。


「政治を批判し都から遠ざかっていた頃、自分ならば出来ると信じておった。ところがいざ中枢へ入ってみれば、何一つ上手くいかぬ。多くの民がただ日々を過ごせるようにしたかった、だというのにそれすらかなわんとは。一体私は長年なにを学んできたのか。情けないよ」


 大きくため息をつくと振り返り目の前にやって来る。


「歩兵殿はどのような未来を見ておられるのだろうか」


「自分は劉協を支えるためにこの世に在ります。それが国の為かどうかは関係ありません。ただ、友を援けたい、それだけです」


 荀爽は目を大きく開いてはっとする。思ってもみない返答だったのだろう。


「文若はどうだ」


「我が君の望みこそが全てです。この身を賭してそれを補佐するのみ」


 迷うことなく二人が即答する。荀爽は右手を自分の額にあてて軽く腰を折り俯くと、小さな声を発した。それが徐々に大きくなり、顔を上げる。


「はっ、ははははは! そうか、そうか。忘れていた何かを思い出したかのようだ。なるほど、狭かった視野が今はこうも広くなったように感じられる!」


 気分爽快、心の奥底から出てきたような笑い声。それでも二人は真剣な表情のままだ。


「残る寿命、国の為に燃やし尽くす所存。董卓の悪行を内から抑える役に徹するとしよう」


 死を覚悟した瞳に意志が宿った! こうやって話を出来るのはもしかするとこれが最後になるかも知れんな。


「中散大夫李儒、彼ならば光禄勲殿と志を共にするでしょう」


「よろしい! ならば空いている近衛校尉に据えるとしよう。今日は何とも気分が良い、これが天命を知った者の心持ちか」


 小さかった老体が何故か妙に膨らんでみてしまった。この爺さんの本領発揮というやつだな。李儒も大夫ではどうにもならんだろうが、近衛校尉ならばやり様も出て来るだろ。


 あれから数日、重大案件があるから参内するようにとの連絡が二千石以上に送られた。いよいよだと朝廷に乗り込むと、顔ぶれが随分と入れ替わっている。人が集まっているので私語を交わすのは控えたが、李儒も銀印を履いて光禄勲の傍に居る。目が合ったので軽く会釈をするにとどめる。


 文官らが増えた、将軍職と違い穴埋めするにしても司空の権限でしやすいんだろう。軍をたてるのに将軍職を付与するか、功績に報いて任官させるかが基本だ、武官は平時だと増やしづらいんだよ。今が平時かと言われたら疑問ではあるぞ。


 さて、今日も今日とて呂布を連れて董卓が現れた。だが皇帝は不在だな、どんな変化があったやら。


「良く集まってくれた、この董卓が礼を言わせて貰おう」


 ふてぶてしい態度に拍車がかかっている、よほど自信があるようだな。増えた文官はほぼ董卓派だとしたら、さもありん。


「月も改まり、宮廷の面々も大きく入れ替わった。そこで一つ案件を決めようと思うてな」


 袁隗らが睨みつけている、反対派を押さえ切れてはいないのか。では一体何なんだ?


「天子だが、今のはダメだ。王に降格し、陳留王を帝にする。反対をするやつは前に出ろ」


 おいおい、最早言葉を選びもしないのか。これじゃ煽っている……そうか、あぶり出そうとしているんだ。光禄勲を見ても平然としている、李儒も。そうと決めたからには揺らがないらしい。


「不敬だ! 董卓よ、皇帝陛下に対して不遜であるぞ!」


 ご存知盧植が怒鳴って前に出る、すると呂布が段を降りてきて盧植と対峙する。前は老人たちが割って入ったが、顔色が悪いな。戟の石突き側で足を強か打ち付けると、首根っこをむんずと掴んで床に組み伏せてしまう。あの巨体を片手で掴み倒すとは、やはり呂布は化け物だな!


「ええい離せ! 離さんか!」


「先日ワシに暗殺者を送って来た不届き者がいた。恐らく盧植であろう、獄に繋いでおけ」


 じたばたするが呂布は微動だにしない、この場で殺されさえしなければ今はいいさ。衛兵に身柄を引き渡してから呂布が皆を威嚇した。


「さて話を戻そうか。反対者は前に出ろ」


 董卓は段を降りて前の方から一人一人を睨んでいく、盧植の事があった直後だ、誰も声を上げようとはしない。そして俺の目の前にやって来た。


「お前は反対をせんのか、んん?」


 そう挑発するなよ、実はこの件に関しては意外なほどに賛成だったりするんだよ。


「反対する理由がないからな。それともそうして欲しかったか?」


 口調だけは挑戦的だが、言っていることは従順だ。面白くなさそうな顔をされて「つまらんやつだ」吐き捨てると次の奴のところへいってしまう。良いんだよ劉協に利用価値があると思われていた方がな。連れて逃げることが出来るならそうするが、今の俺では全うできない。

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