第246話


 今はまだ確証がない、どうすべきかの。少なくとも放置しておけばあいつは長生きできる、生きているだけでどうしようもないが。外は太陽が沈んでしまい、各所に在る篝火だけが灯りを放っている。明日になれば朝廷で色々とはっきりするさ。



 身支度をしていると武兵が寄って来て耳打ちをしてきた。


「宮へ動員がかけられているとのことです」


「そうか」


 行ってよし、手を振ってやる。董卓が兵を用意して何かをしようとしている。武力で押さえつけるのは、反対者が出た時の為だろうな。今日仕掛けて来るぞ。護衛を伴い出仕すると、どうにもピリピリとした雰囲気が伝わって来た。


「島殿、こちらへ」


「ん、李儒殿?」


 正門から外れたところで手招きをしてくる。さてなんだろうか。人壁を作らせて挨拶をする。


「いささかきな臭いことになりそうです」


「と、いいますと?」


「皇太后陛下が刺客を放ち、司空殿を暗殺する手はずです」


 まあそうなるな、出来んだろうが。


「ふむ。で、失敗したら?」


「皇帝陛下が司空と守護を解任するとのことです。権限を失えば董卓殿もどうしよもないでしょう」


 本当に皇帝がそんなことを出来るのか? いや、出来れば歴史はああも乱れん。


「それで李儒殿はどういう結果になるとお考えで」


 こいつがどう考えているかを知りたい。ここでしくじり董卓の手下に成り下がる運命なのかも知れん。


「あの天下無双の呂布が護衛についているのです、刺客は返り討ちになるでしょう」


「同感だ」


「解職の件も、恐らくは恐れおののき陛下は口に出来ないでしょう。それに臣下がそのような申し出をするわけにも参りません」


 それはどうだろうな、連れだって訴えれば無視も出来ないだろうに。いや、朝廷のルールがどうかは知らんのだが。荀彧が異見を立てないと言うことは、そういうものなのかもな。


「では反目の結果だけが横たわると」


「あの凶暴な男の事です、返す刀で恐らくは凶行に及ぶでしょう」


 皇太后を殺めると言うことか、こちらは暗殺では半々だが、兵を押し入らせるならば失敗もないか。


「その時、李儒殿はいかに?」


「力なき己の無能さを恥じるのみです。外から掣肘出来ないならば、せめて内からその力を捻じ曲げる努力をしようかと――」


 肩を落として頭を左右に振る。そうか、こいつはこいつで苦労をしていたわけだ。死んでしまえば何も出来ないからな。十ある凶事を九にするだけでも、何もしないよりはマシといえる。俺は目を閉じて、名を辱めてでもまつろわぬ動きをしようとする李儒の行く末を考えてしまった。


「第三の選択肢が必要な時は頼って来て欲しい。いくぞ荀彧」


 李儒へ向かい荀彧が一礼してその場を去る。先が見ているというのはそれだけで能力を証明している、本人の意志があるならば俺は拒まん。朝廷へは一切の武器の携帯が禁じられている、防具は特には触れられていない。


 ガチャガチャと装備を鳴らして中に入る、他にもそういういで立ちなのが二人いた。皇甫嵩将軍と朱儁将軍だ。それら以外は武官服か文官服いずれかを着ていた。参内可能なことと、参内することは別のこと。こうやって大事が起こると解っているのにやって来るのは、三種類にわけられるだろう。


 役割があって居る者。少しでも漢に忠義を感じている者。そしてその趨勢を己の目で確かめたい者。百官が座布団の上で膝を折って董卓の入朝を待っていると、武装した呂布を引き連れてやって来る。あいつは戟を取り上げられないんだな。


「天子のご入来!」


 なんとまあ少帝まで連れて来たか。もしや人質のつもりか? だが万が一あいつが董卓を馘首するといえば全てを動かすことも出来る、望み薄ではあるがそういう機会がないわけではない。九拝して天子への挨拶を行い、皆が立ち上がる。


「さて、解る者にはわかるだろうが、俺への狼藉ものが居たのでこれを処刑した」


 一体何のことだろうかと首をひねっている奴らは無罪だ。平気な顔をしているのはどちらでもなく、真っ青な顔をしているのは同罪といえるだろう。たったの一晩でそれが可能とは、董卓の権勢はかなりのものだな。


「不届き者らの首をここに持ってこい」


 吏員らが顔をしかめて盆にのせた首を十数個段上に並べる。これには皇帝も着物の袖で隠して顔をそむけた。うーむ、あれは……都船令とかいってたやつだ。


「都を騒がせる真似をしようとしたので即刻処刑にした。何か異論はあるか?」


 獰猛な獣のように百官を睨み付ける董卓へ、意見を出すような者はいなかった。いつ呂布が襲い掛かって来るのかと戦々恐々としながらだ、仕方あるまい。


「はっ。では議題に入るとしよう。漢はいま、国が乱れ、民が迷い、危機に瀕している。これを立て直すためには手術が必要だ、それも身が痛むほどに大きな手術が」


 切り捨てる側がなんと言おうと響きはしないだろうに。国が乱れて民が迷っている部分については同意するよ。


「民は飢えて毒草を口にし腹を満たし、国は賄賂が横行し官が腐敗している。天が我等に下した罰である。すなわち天意! これを正すには天子を替えよということだ!」


 百官がざわめく、だけではなく肩を怒らせて進み出る男が居た。


「董卓よ! 貴殿、臣下でありながら皇帝陛下を侮辱するとは恥を知れ!」


「盧尚書か。貴殿は反対かね?」


 冷静に、いや冷酷にといったほうが良い。段上から董卓が冷たい視線を突き刺す。


「当たり前だ! 天子とは即ち天意そのもの。正すなどという発想自体がおかしいのだ!」


「そうか、残念だ」


 指先をちょいちょいと動かすと、段上の呂布が降りて来る。いかん! つい腰に手をやったが剣はとり上げられているんだった。だが文官服の老人たちが盧植の前に進み出る。


「司空殿、盧植殿は多大な功績を挙げた者。何卒寛大なご処置を賜りますよう」


「ほう、そなたらはワシの意見に賛成か、それとも反対か」


 むむむと唸り応えることも出来ずに床を見詰める。こうやって進み出ただけでも尊敬に値する。


「私は反対だ。民が飢えて、国が乱れているのは、官の不手際。その責任者である司空に何の罪もないとはどういう理由だろうか。納得いく説明を聞かせて貰えるのだろうな?」


 遅れて前に出たのは太傅の袁隗だな、あのご老人は何進の友だったとか。ならば皇太后や少帝の味方か。


「……ふん、今日は日が悪いようだ。解散しろ、行くぞ呂布」


 少帝を追い立てるように下がらせて自らも出て行く、やれやれ一応反対派もそれなりにいるんだな。それにしても袁隗か、あいつは一体何者なのか。袁紹とかの爺さんらしいが、全然知らないんだよ。


 それにしてもハラハラする毎日だ、宵闇に紛れて事件が起こらないと思えんほどにな。そういえばあの生首、皇太后はもしかしたら無事なんだろうか? 下っ端とでは話が違うからな、思い込みは良くない。あれで決まっていれば、その後に押し入れば済むこと、はっきりとしたことも言ってなかったしブラフだったのかもな。


 しかし袁紹も曹操もやはり姿が無い、さっさと雲隠れしたようだ。今なら董卓もまだ強硬策には出ないと踏んで、早めに逃げるのは正しいんだろう。


 宮の前の広場で暫く立っていると、先ほどの反対派グループが一団となって出て来た。うん? 袁隗はいないんだな。顔つきが険しい、ひと悶着おこすつもりだろうか。


「我が君、どうやら大荒れの様子」


 外で待たせていた荀彧が、皆の表情をみて察する。


「黒だと見えるものが判明したら、董卓は黙っていると思うか?」


「いかがでしょうか。全てを押し通せる見込みがつけば、動くとは思いますが」


 どこで待ったがかかるかと言えば、やはり皇帝だ。いくら手元に居るにしても、侍従らまで全てを御することは出来ない。詔勅の一つや二つはすり抜けて外へ出てしまうだろう。それが皇太后と合流すれば、権力の程は明らかだ。


「そういえば、皇太后は無事なのか?」


「廷尉の吏員が騒がしくしておりましたが、皇太后陛下のことは特には。何でも司空暗殺の件で下手人を捕縛に走っていたとか」


「ふむ……そいつらは全員首をはねられたよ。無罪なわけでもないから何とも言えんだろうが、そこまでする必要はなかったろうに」


 だからこそ董卓が董卓たるゆえんなわけか。胸糞だな。あらかた皆が出て行き静かになった宮前の広場、清掃の下男らがいそいそと働いている。


「時に我が君、やはり袁紹殿、曹操殿の姿は?」


「ああ、無かったな。誰かは知らんが昨日より全体の人数が減っていた」


 逃げたのか、捕まったのか、処刑されてしまったのか、身を隠しているのか。いずれ現状ではものの役にたたんわけだ。荀彧が何かを思案しているな。


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