第245話


「皇族への忠義が蔑ろにされているのが嘆かわしい。董卓が怖いのであろう」


「まあそうでしょう。異民族らでも恐怖するあの董卓です、顔を見ればすくみ上る、それを責めることは酷と言うもの」


 俺の兵だって冷や汗を垂らして立ち尽くすやつが居ても文句は言えんぞ、宮仕えや文官では俯いたって当たり前だ。ましてやそんなのが権力まで握っているんだ、反目しようとしないのが自然だろ。


「ふふ、そういう島殿はここに居る。憂国の士は存在する、そう思っても?」


 変な期待をされるのは迷惑でしかないぞ。俺はそんな立派な人物じゃないんだよ、どうなるのか見てみたいだけでここにいるのさ。


「さあどうでしょう。そういった評価は自分でするものではないと信じていますので。しかし、近衛五校尉は私しか居ないようで」


「おやご存知ない。後将軍になった袁術殿は官を移り、他の近衛校尉は官を辞しました。今残っているのは歩兵校尉のみ。羽林兵は光禄勲が統括し、左右の丞らが半数ずつ指揮を執っている。五官中郎将らも空席ばかり、これでは機能不全を起こすのは明白」


 減った席次を埋めないうちは敵にも味方にもならない待機兵力になる、そうなれば外から兵力を持ってきた董卓が比例で有利に、か。誰かを任命したり解任したりは摩擦があったとしても、空席をそのままにしておくのは董卓の責任じゃないからな。やはりあいつは悪知恵が回る、これも賈翅が助言しているんだろうか?


「それではさぞかし目の上のこぶと思われているでしょう。忖度するつもりは全くありませんけどね」


 ふっ、と笑って盧植は他の者と話をしに行ってしまう。本当に大きいな、何をくったらこの時代であそこまで体が出来るんだよ。うーん、少し身にまとう雰囲気が違う奴が居るな。


「なあ荀彧、あの柱の傍の男は知っているか?」


「あれは……李儒殿でしょう、中散大夫で御座います」


「李儒だって!? なんであいつがここにきているんだ、董卓派の筆頭じゃなかったのか」


 賈翅と李儒は董卓の左右の軍師って感じだろ、その敵にあたる皇太后の宮に呼び出しを受けて応じるなんてスパイ? いや、それ以前に門前払いをされて当然か。


「我が君、李儒殿はやや暫く前より中央で仕えられている廷臣で御座います。どこでそのようなお話を?」


「そうなのか?」


 俺の記憶違いか? それとも同姓同名の別人? 漫画の作り話の類? よくわからん、だがただ者ではないのは感じられるぞ。こういう時は直に話してみるのが一番だろう。


「行くぞ」


 返事を待たずに真っすぐに李儒のところへと歩いていくとこちらに気づく。初対面だ、注意をしているな。拳礼をし名乗りを上げる。


「歩兵校尉島介です」


「お初にお目にかかる、私は中散大夫李儒と申します」


 これといった敵意や悪意は感じられんな? 俺とどっこい中年一歩手前、この時代なら三十代は中年かも知れんが、やはり四十歳が節目だろうと思ってるんだよ。


「人違いだと失礼になるので一つ確認を。李儒殿と同姓同名の方が宮廷に居られたりはありませんか?」


 何せ姓名のバリエーションが少ないんだ、幾らでも同じだってやつはいる。文字で書けばまだはっきりもするが、発音だけではそれこそ類似の山だぞ。


「私が知る所では居りませんが、属吏の隅まで把握しているわけでもありませんので」


 そりゃそうだ。だが董卓の傍仕えなら知らんことも無かろうから、俺の知ってる李儒はこいつなんだろうな。


「ではきっとあなたが私の知る李儒殿なのでしょう。もし差し支えなければ、時を見計らい一献いかがでしょう」


「私をお誘いで? それはそれは、どうもご丁寧に。このような非才非学の徒でよろしければ、いつでもお声がけ下さいませ。しかし何故でしょう」


 荀彧は何も言わないが、同じく理由を聞きたそうな雰囲気をしているな。


「李儒殿といえば文武に聡く、知恵が深いお方と聞き及んでおります。是非教えを乞いたく」


「この私がそのように言われるとは珍しいですな。ははははは、喜んでお付き合いいたしましょう」


 拱手すると畏まる。ん、あれは宦官だな、いよいよ皇太后のお出ましか。宮の中央に集まって整列して降臨を待つとしよう。


 仰々しいまでの衣を羽織った女性、まだ二十代か? 少帝の歳を考えてみて、この時代を鑑みれば不思議ではないくらいだ。何苗将軍と目元が似ているな。集まっている男達を見て何を思っているか、まあ少ないと焦っていたりはするかもな。


「そなたらに来てもらったのは他でもない、董卓が幅を利かせているのを掣肘するためじゃ。あやつは皇帝を蔑ろにし、漢の正統を乱す存在、これを外す為に働いてもらう」


 やる気十分だが、こちらの意図は無視ってわけか。何進や何苗が居た時はそれでも良かったかもしれんが、今はそれで通用するかな。この場の官らは微妙な表情だぞ。


 皇太后が宦官へ片手を伸ばすと、盆を持った者がそろそろと近寄り差し出す。


「上手く事を運んだものは列侯へと封じるよう手筈を整えてやろう」


 盆から取ったのは印璽、いくつかの地域の侯印か。官職についているよりも実益が大きい、これならば従うものだっているだろうさ。一歩進み出る奴がいる、誰だ?


「都船令栄信で御座います。船上であれば司空の護衛も少数、視察を行うことになればそこで」


「ふむ、都船令の案を実行出来る者は無いか」


 董卓のスケジュールに影響を与えられるやつってことだよな。もうひとり進み出るやつがいる、李儒だぞ。


「それでしたら、江の行幸を上奏してはいかがでありましょうか。尚書殿もこの場にあり、陛下の元へ声が届くものかと」


「盧植か。どうだ」


「職務でありますれば、上奏あらばそれをとり継がせて頂きます」


 これは盧植のやつあまり乗り気ではないな。つまらん謀略への加担はしたくないだろうし、仕方あるまい。俺だってごめん被るよ。こんなのじゃ董卓に指摘してくれと言わんばかりの行動だしな。


 ざわついている場、にわかに沸き立つ衆人、そして目を細めている皇太后か。そういえば何進らを見事に抑えていたのはこいつだったな、立場ガラそう出来ていたのかと思っていたが、どうやら能力があったらしい。


「賛同される方は前へお進みくださいませ」


 宦官が甲高い声で誘いをかけると、栄信を始めとして半数以上が歩みを進める。ほぅ、そういうことか。


「中散大夫殿、何故後ろに?」


 のこのこと進み出た男が、後ろに残っている李儒の姿をみて首を傾げている。それに対して李儒は言葉を発さない。盧植も腕を組んでその場に残っている。武装した衛兵が現れて衆人を囲んだ。


「皇太后陛下、これは!」


「浅慮の極みを誇ろうとする愚か者は頭を冷やして来るが良い。連れていけ」


 ふむ、無能者の足きりと言うわけか、存外現実を知っているらしいな。残った我等を見てにやりと笑う。こいつは悪女というやつだぞ、真っ新綺麗な奴が宮廷で生き残れるとも思っていないがね。


「さて、中散大夫李儒よ、お前はなぜ提言し進み出なかったのだ」


 注目を集めるが李儒は動じることもない。やはり俺の知っているあの李儒ってことでいいんだよな?


「策とは、これと解っていても避けられぬものを申します。見破られたうえでどうとでも対処可能なものと心中する程暇ではありませんので」


 いうじゃないか、確かに解ってもどうしよもない策はある。取引のようなもので、互いに損得が絡んだりするのもがそれだ。一方的に嵌めようとするのは、かなりの差が必要になってくるぞ。


「多少は使えそうだな。盧植は何故だ」


「否を突き付けるならば正面から堂々とすべきでしょう。私は誰に憚ることなく正道を行きます」


 こいつはこいつで良いな。やはり文官ではなく武官向きの性格だろ。先の黄巾の乱の時には紆余曲折あったようだが、有能だろうことがうかがい知れる。出来れば単独で使わない方が良い奴ではあるがね。ぐるりとあたりを見回して、皇太后がこちらをじっと睨んで来る。


「お前は……兄のところに居た配下だったな」


「恭荻将軍歩兵校尉島介と申します。これといって用事がないならばお暇したく存じますが」


 若干ぶっきらぼうな感じで言い放つと、宦官らが怒りの視線をぶつけてくる。案山子に睨まれても何とも思わんよ。


「董卓は共通の敵と思っているが」


「俺は味方以外は信用しないと決めているので、ここでは役に立つことはないでしょう。では」


 礼をしてさっさと立ち去ろうとすると背中に声がかけられる。


「陳留王が封地へ赴任出来るよう取り計らっても良いぞ」


 ふむ、魔窟から離れて根拠地へ入ることが出来るわけか。絵に描いた餅というには皇太后と言う立場、悪くはないぞ。俺では届かん場所に手が届く、利用すると思えばどうだ。


 くるりと半分だけ振り返り「実現したら再考してみよう」言葉を残してこの場を去る。どうせできやしないんだ、関わるのはやめておこう。宮を離れると荀彧が傍に寄って来る。


「宦官の中にも董卓の手先が紛れ込んでいるでしょう」


「だろうな。俺が波風立てるのは上手くない、劉協に迷惑をかけるような真似はしたくないんだ」

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