第244話
「お二人ならばきっと一両日中に洛陽を抜け出されるでしょう。兵も居るでしょうから東の関所を真っすぐ抜けられるとみております」
同感だな。あいつらは今後の主軸になるんだ、この程度ではビクともしないさ。
「だろうな。ところでそう言うのはどんな扱いになるんだ?」
だって逃げ出すんだよな、お尋ね者とか? うーん、ピンと来ない。
「袁紹殿は中央職である司隷校尉を解かれ、恐らくは渤海太守に任命されるでしょう。かの地が勢力圏という理由で御座います」
「なるほどな、すると曹操は?」
「西園軍は解体され、驍騎校尉も有名無実となるでしょう」
実質お咎めなし、ただし実権もなしか。放置しておけばそのうち消え去る、無害ならば好きにさせておけというわけだ。
「中央の空いた官職は、董卓の支持者に割り振られるわけか。さて俺はどうなるやら」
自嘲気味に想像もつかないといっておく。もし俺が董卓の立場なら、兵権がない中央の官職に縛り付けるぞ。
「董卓の言に反対をせず、大人しく降るならば相応の役目を与えられるものが大半でしょう。ですが我が君は、羽長官の志を継ぐ者として扱われるはずです」
「ふむ。特別扱いは嫌いじゃないぞ。たとえそれが目の敵というやつでもな」
あらゆる手段で以て俺を潰しにくるわけか、まあそうだろうさ。俺は劉協が皇帝になるのを邪魔するつもりはない、反董卓連合軍とやらが成って、長安に遷都した後に機会が巡ってくるはずだ、動くならそこだな。
「内宮の廷官でも任じられるのではないでしょうか」
「そいつはどういうものだ?」
「正右監、民の訴状を裁く部署であります。廷尉の丞とも」
そいつは裁判官だな、何の権限もあったものではないぞ。廷尉の尉は武官の意味合いではない、大体にして法律で裁くだけの知識が俺には無い。だからこその職だともいえるか。
「そう言われたら引退して泰山にでも行くさ。仮にそうするにしても直ぐじゃないだろ、董卓にはしなければならないことが山ほどあるからな」
面倒は後回しで地盤固めを最優先する。発言力の裏付けは軍事力だ、宮廷内の兵力と、城外の兵力を手中にするのに忙しかろう。何者かが近づいてくるぞ。荀彧もそれに気づいたようですっと身を引いて居場所を改める。
「旦那様、お客様です――」
そういう下僕のすぐ後ろから姿を現して、下僕を押しのけると部屋に入って来る。ふむ、見覚えは無いが。文官服で線が細い中年、誰だこいつは。
「黄門侍郎の崔景である。島恭荻将軍へ何皇太后陛下のお言葉を伝える」
荀彧に目配せを受けたので、その場から下座へと動いて膝を折って言葉を賜る姿勢をとった。皇帝と同等の敬意を示す必要がある人物だ、その人となりなどは関係ない。
「本日陽が暮れる刻、怜宣宮に出頭せよ。返答は如何」
「謹んで拝命致します」
言うだけ言うとそいつはさっさと出て行ってしまう、忙しい奴だな。下僕を下がらせて荀彧と目を合わせる。
「次の用事があるのかねあいつも」
軽い冗談を挟みつつ、用事があるから俺を呼ぶわけだからその内容について考えを巡らせるとしよう。
「宮内の近衛を指揮する者を集めるつもりではないでしょうか?」
「ふむ。すると曹操や袁術なんかもだったか」
五校尉の名前を挙げろと言われても俺は覚えてないぞ。こいつは知ってそうだが、夜に逃げ出そうとしてる奴は応じることはないだろうな。そしてそんなのを招集してどうするつもりやら。
「恐らくは。董卓派と確定している者には接触せずとも、直ぐに情報は伝わるでしょう。これはよろしくありません」
美男子が眉をよせてしかめつらをしても絵になるんだよな、荀彧は俺の知る中で一番整った顔をしているぞ。苦笑しつつ情報漏れに対する董卓の行動を想像してみた。
「……官職というのは司空の独断でそうも簡単に任免可能なものなのか?」
誰か一人の思惑で何でもかんでも進められるなら、色々とこちらが動いても無駄にしかならんだろ。
「本来は三公九卿がそれぞれ司る職位の者らを推挙し、それを承認し、皇帝陛下が任免するもので御座います。三公とは良識ある人物が就き、上公は陛下の師らが決断を輔弼する役目。司空董卓以外が朝廷に無く、均衡が崩れているのは事実であります」
皇帝の人事権は絶対だが、その指名を持って来るのが司空だけってことか。
「董卓が不在の時に皇帝が決めたらどうなる?」
「遅れて司空の耳に入り、速やかに撤回されるなりするでしょう。内宮に身を置いて董卓はその権勢を強めることに集中しておりますので、隙を衝くのは極めて困難かと」
なるほど、司空に就任したことの色々な側面が見えて来たぞ。司徒になればどこかの誰かを下につけるということで、席次が埋まる恐れがあったんだろう。だが司空になるといえば司徒を差し込むのは難しい、その数日を大いに利用しようという腹だったのか。
「悪知恵が働く男だな。しかしよそ者が突然やって来て、水も漏らさぬ仕置きを出来るほど宮廷も甘くはないだろう」
事実皇太后が動いている、それに俺に聞こえないだけで別の誰かもどうせどこかで動いている。
「暴君と言うのは歴史上にも度々現れます。それらには共通点が御座います」
「共通点?」
「躊躇をせずに敵対者を葬ることです。恐怖により統治を行うことを許容することで、あらゆる制約を無視する凶行」
うーむ、確かに出合い頭に武器を振るわれたら多くの者は無事ではいられん。それを批判する者は一族惨殺、密告を良しとして追従するものだけを引き上げれば……か。確かにその通りなんだよ董卓ってやつは、荀彧は今の時点でそこまで読み切っているわけか、逸材だよ何のお世辞も無しにな。
「荀彧に命令だ。お前を含めてすべての幕僚は最低でも常に五人の護衛をつけて歩くんだ」
「畏まりまして。敵を警戒するのですね」
「いやそれは違うぞ」
即座に否定すると荀彧が怪訝な顔をした。だが答えは決まっていた。
「味方ではない者を警戒するんだ。用いるのは信用出来る者だけ、それ以外は全てを疑ってかかれ」
「不合理で、不可思議で、不条理なことではありますが、我が君の言葉が正しいのだろうと理解をしております」
深々と頭を垂れて受け入れる。己が甘かったと改めることが出来る機会があったのは幸運だ。ここは既に戦場だぞ、それも災厄の中心の。敵と近すぎるのはやりづらい、まあお互い様だろうがね。
「では宮に向かうとするか、日暮れなどと言っているが首を長くして待っているんだろからな」
◇
腕が立つ男達を五人を舎人と呼ばれる将軍府の属吏から選んで連れて行く。荀彧に厳命したのに自分が無視では示しがつかんからな。見るからに屈強な戦士が四人と、素早さと警戒心で生き抜いてきただろう歴年者が一人だ。黒兵からの指名者で、どうやら羽長官の護衛をしていたらしい。
荀彧も別途五人を引き連れて斜め後ろを歩いている。こちらは郷土兵からの選抜で、若君みたいな呼び声が混ざったりもしている。いわゆる郎党というのだろう。
黄色の門がある一つ手前の宮にやって来る。黄門は皇族の住む宮が黄色く塗られていたことに由来する、つまりは後宮というやつだ、そこへは皇帝以外の男は未成年の皇族しか立ち入れない、或いは宦官だ。
どれだけ来ているかと思えばまばらだな、こいつはどういうことだ? 曹操や袁紹、袁術どころか顔を知っているような奴が全然居ないぞ。いや……一人居るな。
「盧植殿、また会いましたね」
「ふむ、島殿に荀彧殿か」
巨人の姿があった、確か尚書だったな。皇帝への上奏文の取り扱いで、政務補佐官のようなイメージだ。こいつのことだから、皇太后に呼ばれたから来たというスタンスなんだろう、良し悪しじゃなさそうだ。
「詳しくはないんですが、もっと居るんだろうと思っていましたよ」
あたりを見回して少ないと指摘する。盧植は顎髭を撫でて顔を見渡すと目を閉じた。
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