第243話


 こいつならば理性で全てを抑えられるだろう、まわりがそれを許すかは知らんがね。


「それは良いな、是非ともそうありたい。お、公卿のお出ましのようだな、行くとするか」


「…………曹操殿、これから数日、在外の黒装備の兵は敵ではない。それだけ心のどこかに留めておくと悪くない結果になるかも知れん」


 こちらの瞳を覗き込み、すっと拱手して列に並ぶ。一番東の部隊とニアミスすることくらいはあるだろう、警戒する相手が減れば離脱でも損害は少ないだろ。


 さて、面々が集まって来ると司空董卓が最前列に立って朝議が始まるぞ。朝に集まってその日の仕事を打ち合わせる、だから朝廷会議だ。なお帝はこの場にはやって来ない、討議の結果だけを知らされてお終いだ。


 至って普通の議題が次々と報告されていく。何と無く雰囲気がそわそわしているのが伝わって来るな。卿らが報告を終えたところで、司空董卓の順番がやって来る。皆を段上から見ながら左右に数歩歩きまわる。


「昨今、天候が良くなく、凶兆が相次いでいると聞き及んでおる」


 こいつは始まるぞ。顔を蒼くする者、逆に赤くする者。怒りを滲ませたり、困惑をしたり様々だ。俺はそいつらを観察しておくとするが、反対の列に居る奴らしか見えないのが厳しい。半分は闇の中だぞ。


 ん、何だ? 隣の部屋から甲冑を着て大戟を持った男がやって来て董卓の後ろに陣取った。あいつは……もしかして呂布か? なるほど、万が一のことに備えるわけか。生憎全員丸腰だが、警備兵から武器を奪うことは可能だな。


「これらは全て天が我等に教え給うているのであろう。天子が相応しい者ではないと」


「この痴れ者が! いうに事欠いて天子を侮辱するとは何事だ!」


 白髪の老人が段下に進み出て董卓を指さして憤慨する。金印紫綬であって三公ではない、誰だあいつは。


「陳逸殿、抑えて、何卒抑えてくだされ!」


 どこかで太傅殿という声も聞こえたな、ということは上公か。少帝の三師だな、そりゃここで声を上げずにどうするってことだよ。


「太傅殿には異見がおありのようだ、なんだろうか」


 董卓が段上から目を細めて陳逸とやらを見る。ご老人は息を荒くして「天下を治めるのは司空である者の役目ではないか。己の無能を棚に上げ、天子を悪しざまに言うなど天に唾はく行為。即座に職を辞し郷に帰るが良い!」なんとまあ素晴らしいセリフだ。


 陳逸に賛同するぞって感じの者は結構居るが、誰一人声を上げないんだな。かくいう俺もこれに関してはノーコメントで通すぞ。


「なるほど太傅殿の言は一理ある。司空である俺が天下を治める、それには同意だ。だが朝廷での暴言は目に余るな。呂布、痴れ者を切り捨てよ!」


 階段を下って行くと大戟を振りかざして何の躊躇もなく陳逸を切って捨てた。直後に朝廷に悲鳴が響き渡った。始まったぞ、もう後戻りは出来ん。列を乱して騒ぐ、今がチャンスだ! 素早くそこらの奴らの顔を一瞥する、反抗的な表情をしている奴らを記憶しろ!


「さてやや乱れたが、もう一度言うぞ。今の天子は相応しくない、国家を安んじる為にも退位して頂くべきではないだろうか。これは天意と言えるであろう?」


 ガン!


 朝廷の床に大戟を叩きつけて呂布が睨みをきかせる。そうか、こうやって時代は変わったんだな。暫く無言が続くと董卓が「どうやら皆が賛成の様子。心が痛むがこの件、董卓から陛下にお伝えすることにしようではないか」半笑いでそんなことを堂々と告げた。


 この場で反対できるやつはもういないわけか。丁原と良い、陳逸と良い、忠臣は報われないな。董卓がこちらにも視線を向けて来る。黙って視線を合わせるだけで何の反応も見せずにいると、少しだけ口の端を吊り上げて別の者を睨み付けた。


「明日重大な発表を行うので、全員参列するように。では解散だ」


 そういって呂布を引き連れ出て行ってしまう。複雑な表情をした奴らがもの言いたげに肩を落としたり、怒らせたりして議場を出てていく。ここで話でもしていたら、いつ呂布が来るか分かったものではないからな。


 衛門を出て少しすると曹操に肩を掴まれる。目線でついて来いと言われているようだった。やれやれかかわってくれるなよ。見たこともない酒店に入ると、個室へ連れていかれた。差し向かいで座るとじっとこちらを見て来る。


「なんだ、男に熱視線を受けても嬉しくはないぞ」


「島殿は随分と落ち着かれているな。今頃各所で上へ下への大騒ぎをしているはずだと思うが」


 そういう曹操だって色々と考えが渦巻いてるんだろ。どうして俺なんかに構っているんだか。


「こうなるだろう噂は流れていただろ、それが現実のものになっただけだ」


「漢始まって以来の大事が起ころうとしているのだぞ。いや二回目とも言えるか。なぜ君はそうまで冷静でいられるんだ」


 そう言われてもな、先が分かっているとか、別にそういうのはどうでもいいとか、理由は幾つもあるんだよな。曹操にとってはそりゃあ大事も良いところだろうが。


「まあ落ち着け。国家と言うのは一つの大きな組織だ。これを覆すのには非常に手間暇がかかる。それは理解しているよな?」


「その位解っている!」


 あの曹操がこうまで焦るとは、珍しいものをみられたものだな。感心などしてられんが。


「ではその巨大組織、一個人の意見で動かすことは出来たとしても、簡単に作り変えることが出来るとおもうか」



 意味ありげに笑ってやったよ。超絶カリスマが時代に押されて皇帝になる、董卓がそんなナポレオンのような人物かと言われたら違うと断言するぞ。


「……それは無理だろうな」


「激変することはあっても直ぐには無理だ。そこに俺が動じていない理由がある」


 怪訝な顔をされるが、ヒントは出してやったぞ。劉協というパーツを失うわけにはいかないんだよあいつは、つまり俺が焦る理由がないんだ。


「はぁ、俺には君のことがさっぱりだ。激変するならば大変な大事で、焦るなと言う方が難しいと思うがね」


 うーん、そういえばどうして俺は自分自身が平気だと思い込んでいたんだ? 不思議なものだな、董卓なんかに負けはしないって信じているんだな。思えば司馬懿あたりとガチでやり合っていた時と比べたら、大したことはないと感じているんだよ。


「なに、これも経験の一つさ。折角だ、酒の一杯でも飲んでいかんか、おごるぞ」


「島殿は大物になるよ。悪いが遠慮しておく、戻って皆に報せなければならんからな」


「そうか? そいつは残念だ。それじゃ一人で休んでいくよ」


 店主に酒と饅頭を注文して平気な顔で窓から外を眺める。曹操が小さく頭を左右に振って出て行った。始まるな、明日までに逃げたい奴は逃げればいいってことだ、洛陽にいるからと安心は出来んがね。


 昼間から一杯ひっかけて屋敷に戻って来た俺を、荀彧が出迎えてくれた。もう色々と聞いているって顔だな。


「なるようになった」


「まずはお部屋へ」


 警備兵が厳重警戒している屋敷の、更に奥まった場所へと入っていく。ここなら外に会話が漏れ聞こえないわけか。


「董卓が退位をさせる旨を宣言したとのこと」


「ああそうだ。反対した陳逸というのが呂布に切られた」


 知っているだろうがね。重要なのはその先だ。


「袁紹と曹操は随分な顔をしてたよ、一瞬だがな」

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