第242話


「明日の朝廷会議で重大な懸案事項が打ち立てられるのでは、との噂が流れているようです」


「噂ねぇ」


 そういう何かを事前に流行らせる目的を考えるんだ。注意を引くとともに実際に可能かどうかの感触を確かめる、観測気球というやつじゃないか?


「我が君、もしや廃立の件ではないでしょうか」


 それなんだよな、皇帝を廃するなんて嘘でも口になど出来ん。それを聞かれたら不敬罪とやらで即刻打ち首でも文句を言えん。だからこそ事前にどうだと言われても、軽々しく話題にすることも出来ない。婉曲に懸案事項としか出来んのかもな。


「だとしたら、どうなると見ている?」


 こういった見立ては俺なんかよりもこいつのほうが遥かに鋭いし正確だ。真剣そのものの表情、読み違えると多くの者達の将来に多大な影響をもたらしてしまう。


「恐らく明朝はいつもよりも多くの者が参内するでしょう。何も知らずに赴く者でなければ、少なからずの緊張が見えるのではないでしょうか」


 知らないのは皇帝本人ということだな、朝廷に登るような奴らが耳にしないはずがないんだ。或いは嵐に巻き込まれないように姿を消すやつも居るかも知れん。


「それで是非を問おうとする者はどうだ」


「先の騒ぎの際は丁原殿が厳しく反対をし、董卓を罵ったとのこと。結果は洛中で命を落とす羽目に。否を発する者はその場で断罪される恐れすら御座います」


 董卓が提言すると、ダンマリを決め込んで仕方なく従うというわけだな。それは推定事項にあるんだよ、何せ歴史がそうだと認めている。


「反対をする者はすぐさま都を脱出するだろうな。董卓もそれを止めようとはしないさ、邪魔者は消えてくれた方がやりやすい。違うか」


「獅子身中の虫は扱いに困るのは事実でありましょう。ですが外へ出て無事に逃亡させるつもりもありますまい」


 追っ手を出して暗殺するわけだな。ふむ、手勢が居る奴らは何とかするだろうが、兵を持たない奴らは逃げるに逃げられんか。それとも夜陰に紛れて単身消えるかだな。その時俺はどうする?


 ここから離れると言うのは潜在的な董卓の敵、俺としては接触をしてみる価値がある人物になる。味方になるかは半々だとして、恩を売る位の計算は立てられるな。十二も外門があるんだ、全てを見張るのはかなりの労力になる。


 どれだけ厳しく閉門を命令したとしてもだ、逃げる奴も必死でそこを潜り抜けるんだ、買収だって起こるし昼間に外に出て戻らない事だってあるだろう。


「……荀彧、もしお前がごく少数で離脱しなければならないならどうする?」


 質問の意図がどこにあるか、どういった返答を期待しているのか。荀彧クラスになれば一手も二手も先を考えて返事をしてくるものだ。


「手勢も権限もない身で都を密かに離れるならば、河を使うわけにも参りません」


 船か。確かにそれでは目につくし逃げ場もない、その上足跡をたどるのも船頭からなので比較的容易だな。


「陸路と言うことになるだろう。馬はどうにか都合をつけることが出来たとしたら」


 駿馬を求めるのでなければ農家に繋がれている馬を買いあげればいいんだ。足さえあれば多少の駄馬だろうと関係ないからな。


「まさか函谷関を抜けるわけには参りませんので、西へは行きません。虎牢関、汜水関も同じく東へも参りません」


 洛陽の東西を守る関所だ、ここは中央の一声で誰一人通さないようにするのが役目だからな。兵も多いから捜索でもされたら逃げ切れんぞ。


「して、北部山地をぬけ壺関を抜けて業から平原へ抜けるならば可能性もあるでしょう。ですが異民族に襲われる危険が御座います」


「では南だとどうなる」


「伊河を下り魯へ出ることが出来れば、そこから南陽郡へ抜けられるので宜しいかと」


 こっちの河は下れば追いつけないわけだな、距離が短いというのもあるか。だが道が狭いので待ち伏せには便利かもしれんな。


「さて、知者は時に同じ橋を渡ると聞くが、荀彧がその時選ぶのはどの道だ」


「運を天に任せるつもりはございませんので、北部山地を踏みたいと考えます」


 なるほど、最後の最後まで他人を頼らず、自身の機知及ぶ限り思案し、その足で生を望むわけだな。


「では北部へ脱出するものとして考えを限定する。どうすればそいつらを追っ手から守り、無事に逃亡させることが出来るかだ」


「我が君は都に残られるわけですね」


 意外だったのかそうでもなかったのか、確認の意味を言葉にしたか。


「俺は友を見捨てるつもりはないからな。足手まといで邪魔だからどこかへ行けと言われたらそうするがね」


 肩をすくめて苦笑する。実際、お互いがお互いを人質にように利用されてしまうならば、いっそ遠くにいたほうがいい。大切な者ほど遠くにとは言ったものだ。


「文若が言上致します。北部には奔景、青天、太行の三本の山道が御座います。河南の平野とその出入り口付近に部隊を伏せておくのがよろしいかと」


 西から順番に、というやつだな。山を登るのはそのまま自殺するのと大差ない、道を行くのは当然だろう。どこかに絞り込むことは出来ない、ならば三か所すべてに伏せておくのは道理だな。即ち三人の将が必要になる。


「その言を採る。今回は相手が人だ、ならばこそ動きも顛末も見えてくる。張遼! 泰山兵を率い、奔景に伏せ脱出しようとする要人を援けるんだ、牽招を連れていけ」


「わかった、島殿に吉報を届けよう!」


 若者に経験をだ。人選については張遼に任せておけばいい、要人かどうかは二人ならば充分判断つくさ。


「甘寧、典偉は郷土兵と武兵団百を率い青天に伏せろ。荀諶殿、補佐をお願いしたい」


 元から補佐をしてくれてはいるが、ここで俺が改めて頼むのが筋だろう。郷土兵も荀諶が居れば素直に動いてくれるだろうしな。


「承知致しました。幾人か通りそうな人物もおりますので、お引き受けいたします」


「友若殿、宜しくお願い致します」


 荀彧もその場で一礼する。甘寧と趙厳には否は無い、どのように実行するかを考えているくらいだな。


「文聘、趙厳は、そうだな……」小黄の兵を何と呼称すべきだろうか。親衛隊というとあいつらを思い出しちまうんだよな、うーむ「……陳留の兵らは黒い甲冑を着ていたな、黒兵を率いて太行に伏せろ」


 趙厳は郷土兵と共に居たら杜襲らと顔を合わせることになり、今はやりづらかろうから別運用だ。ここだけやや不安定だな。


「我が君、文聘殿の隊には公達殿の助力を願ってみてはいかがでしょうか?」


「荀攸殿のか。迷惑をかけることになりはしないだろうか?」


 明らかに敵を作るだろう動きの一環だ、俺らは良いが荀彧殿も荀攸殿もいささかマイナスが大きいような気がするんだよ。


「ははは、公達殿ならば迷わずに由とするでしょう。なあ文若」


「はい、友若殿。我が君、どうぞご懸念無く」


 ふーむこいつらがそういうならば間違いなんだろうな。進言に従うとしよう。


「わかった、ではそうする。だが俺が直接頼むから場を設けてくれ」


「畏まりまして」


 これでそのうち逃げ出すような奴らは、ある程度の努力と運があれば身一つで離脱は出来る見込みだ。これ以上は持って生まれた何かで命を落とすかどうかが決まる、天に任せるしかない。


 無事に手配を終えて翌朝、武官服を身にまとい朝廷へと赴く。俺が一番かと思いきや、随分とあちこちに姿があった。まだ公卿らが来ないうちにあれこれと私語を交わしながら。こちらに気づいて近づいてくる奴がいる、ご存知曹操だ。


「不在と思っていたが姿を見せましたな」


「丁度昨日戻って来てね。こんな朝早くに参内するとは、曹操殿は勤勉だ」


 お互い軽く笑って隅っこの方へと歩いていく。警備兵もおらず周りに人が居なければ盗み聞きされる心配はない。誰か一人が知れば全員知っている体で居ないと不意を突かれる。そういう意味では曹操が知っても同じなんだが。


「この時期で戻ってくることが出来たのは運が良いのか悪いのか。自ら判断出来るだけマシなのは確かだが」


 歯切れが悪いな、内容が内容だけにそうもなるだろうがね。曹操は反対なんだよな、それを口に出すかどうかは知らんが、反董卓で挙兵するんだから逃げ出す一人。こいつは手勢も武将も抱えている、自力で上手い事やるな。


「どうあれ帝を抱えている董卓が押し切るのは間違いないだろ」


 結論から言えばそこなんだよ。もし羽長官が守護を担っていたら、クーデターのような形ですげ替えを狙うはずだ、そうなれば劉協にだって危険が迫る。あの時の判断は最善だったんだな。って、そんな怖い顔をするなよ曹操。


「島殿がどうお考えか聞いてもいいだろうか」


 真剣そのもの目つきでこちらを穴が開くほど見詰めて来るが、本音を漏らす程若くはないんだよ俺は。


「朝廷は武器無き戦場だ。戦士は一秒でも長く戦場に留まっているのが本分、俺はそう思っているクチでね」


 十秒以上は互いが睨み合う、そのうち曹操が折れて表情を崩す。軽く頭を左右に振った。


「島殿に先見の明があるのは間違いない、願わくば敵対したくないものだな」


 仲間になりたいとかではなく、敵対したくない、か。曹操だって先が見えているじゃないか、相容れないと知っているんだからな。


「俺だって好き好んで曹操殿のような人物とぶつかりたくなどないさ。出来れば良き隣人として、酒でも飲みながら笑って居たいよ」

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