第240話
「ゆえに、諸官と漫然と面会するのは危険でありましょう」
その選択肢は封印か。賈翅、どうやって排除したもんかな。こいつは……いつの時代まで生きていたのか、全く記憶にない。前世では耳にしなかったな、とはいえ数十年先のことだから参考になりゃしない。
「すると二択だな」
「司空は陳留王を帝に立てたく、画策をしていると聞いております。そんな折に我が君が接触をすれば訝しみ、圧力をかけて来るでしょう」
「俺はそんな圧力に屈することなど無い」
来るなら来いと即答する。荀彧は表情を変えずに続ける。
「我が君の動じぬ心に感服致します。文若や司馬らも圧力には屈しませぬ。ですが、舎人や兵らはというと、そうもいかないでしょう」
「うむ……」
まあ、兵らが全員跳ね付けられるかと言えば、それは流石に無茶を求めすぎているな。
「孫羽将軍の遺産を手にし、基盤を得て後に行動するのがよろしいかと愚考致します」
耐えられる背景があれば上手くいく見込みが上がるわけか。蜀では孔明先生の影響下での勢力争いだったが、ここでは後ろ盾がないからな。勝手が違う、そんな文句を言っても始まらんか。
「そうか。では陳留行きを優先し、その後に劉協に会うのを想定しよう。その間は諸官らがどちらを向いているかを見定めるのに尽力する、それでどうだ?」
「良き判断かと存じます。どうぞ文若へご命令下さい」
寝技の類は全くだ。そういうやつらの整備も、結局は基盤を得てからだな。考えてみれば当たり前だってのに、焦っていたのかも知れん。
◇
馬で駆ければそれほど遠くもない、都を留守にするのは不安があったが、それでも現状で何が出来るかと言われたら疑問が残るだけだからな。選りすぐりの兵を供回りにつけ、こっそりと洛陽を後にした。甘寧を筆頭に、文聘と趙厳が居るが一大事あれば兵をまとめて離脱するのが限界だろう。
「我が君、甘寧殿の補佐を一時的に友若殿に任せてありますのでご心配なく」
「そうか」
俺の懸念などお見通しなわけだな。それにしても荀諶殿には世話になる、何かお返しをせねばならんな。ふと付いてきている兵らの顔を見た。武兵団から抜いてきたが、よい面構えだと思うよ。そうだな、一人一人が下士官のような感じだ。
右手に連なる山が目に入る、手前には河か。幾度となくここは利用することになるぞ、おぼろげに知っているだけではうまくないな。
「荀彧、あの山について知っているか?」
「三皇山で御座いますね。河南地域を取り囲む山脈の東端山地、都と平原を結ぶ出入り口を狭くしている地形の最大の理由。かつては天険として人の侵入を拒んでおりましたが、今は少数ではありますが集落もあるとか」
こちらの意図がどこにあるかを思案してから「調査に人を送り込みますか?」こちらから言わずとも進言をしてくる。
「あの山を軍が通ることは出来ん。だが、ここを監視して軍が通過したことを知らせることは出来る。これからは情報こそが最大の武器になるぞ」
「御意」
武器を手にしての衝突は副産物、或いは手段の一つでしかない。無論それでなければ決着がつかんことはある、だがより広く、より多く、より早く解決するためには情報を重視すべきだ。
部隊から一騎が離脱して山地へと向かって行った。言われたらすぐに行動する、俺から言うことはないな。
途中、郷で宿を得て、いよいよ陳留へと足を踏み入れた。小黄県目指して馬を走らせ続ける、なお目的地は県都のあの城じゃないらしい。すぐ北部に羽長官の屋敷が別途あり、そこに向かっている。何度かみたことがある小黄城を右袖にして馬を北へ向ける。丘を登ったり、林を抜けたりして、山の麓へとやって来た。
「なあ荀彧、俺は羽長官の屋敷に向かっていたはずだよな」
「左様に。アレがその屋敷で御座います」
曲がりくねった山道の付け根には関所が置かれ、裾野には河が堀のように流れている。山道は途中どこへ繋がっているかわからない場所や、行き止まりが多数見受けられた。だが中腹からは全く道が見えないように木々が植えられているのか、最初から生えているのか。
それらを登って行った先には木柵が張り巡らされている上に、石垣を備えた大きな総構えが見えた。全貌が見えんが、二キロ四方はあるんじゃないかこれは?
「これが屋敷とはな、砦どころか城だな。城邑を自分で作ったのか」
開いた口が塞がらないとはこいつだ。
「漢のどの行政区域下にも置かれていない私有地、ただの邸宅ということになっております。住民は全て使用人の括りになっていたとか」
どんだけだよ。とはいえ俺だって中県で似たようなことをしていたからな、何十年もかけてこの地に勢力を蓄えた羽長官ならば当たり前とも言える。
「まあいい、進むぞ」
見えている関所にゆっくりと近づいていく。こちらは旗など掲げていない、少しうねって盛り上がっている小高い場所を越えると、急激に櫓が視界に入って来た。茂みが邪魔で見えんかったが、向こうからは射界に捕えているわけか! 陣地構築が上手いな!
ピー!
笛の音が鳴り響く、すると櫓に弩を持った兵が数人並んだ。関所の上にも兵が姿を見せる。ふむ。
「後方に歩兵が現れました!」
言われてチラッと首をひねると、なるほど脇道から退路を遮るようにしてならんでいるな。大楯兵に長槍か。つい笑みがこぼれてしまった。
「見事だな」
「完璧な備えです」
相手がどうであれ賞賛に値する、これぞ軍隊というのを体現しているぞ! 関所の門が開かれて騎馬した一団が現れた。数は二十騎、こちらよりやや少ない。一騎が進み出る。
「ここは孫侯が城、呼ばれもしない者は黙って即刻立ち去れ! さもなくば痛い目を見るぞ!」
山賊か何かにでも見えているのかも知れんな。悪い虫がうずく、腕試しをしてみたくなった。
「お前達は動くな」
そう言い残して矛を片手に一人で進んでいく。いいぞこの緊張感、まるで戦場に来たかのようだ。騎兵らに睨まれるがこちらからもじっと睨み返してやる。
「聞こえなかったか、立ち去れ」
「ああ聞こえんな。御託はいらん、掛かってこい」
にやりと笑って挑発する。騎兵は怒りもしなければ笑いもしない、何が目的なのかを探っている様子だ。
「来ないならば俺から行こう!」
馬の腹を蹴って一騎で駆ける、前に出ていた男もこちらへ向かってきた。獲物は同じ矛だ、体格は兵にしては大柄で肉のつき方も良好だな。両手に力を入れて目一杯矛同士をぶつけあう。
金属がぶつかり合う鈍い音がして、相手がグラっと態勢を崩して落馬した。控えている奴らがざわついた。
「一人ではつまらん。そこの奴らも全員掛かってこい」
クイックイッと四本の指先を使い手招きしてやると、我先にと突進して来る。そこらに落ちていた枝付きの木片を矛の先で引っ掛けて、群がる馬の鼻先にぶつけてやる。すると竿立ってしまい後続と衝突して勢いが乱れた。
向かって右手側へ馬を走らせる、すれ違いざまに矛の腹で強か打ち付けてやると見事に落馬した。それを避けようとして左右でぶつかり足を止める騎兵が散見される。そんな騎馬の尻を叩いてやると、驚いて駆けだす。一度こうなると馬は制御を外れて手綱を引いても無駄になる。
「ええい何をしている、取り囲め!」
五騎が距離を取り周囲を固める。肩の力を抜いて背後まで動きを感じられるようにし、ぐるりと一瞥する。右手の後ろ側が前進攻撃をしてくる、騎馬しているとそこが一番弱いからな。矛を突き出して来るが、馬を一歩二歩後退させると、後ろ向きのまま石突の方で腹をどついてやった。
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