第239話
天子を廃するなど、どれだけの反対があるか。ではどうするかというと、反対者を消していくんだろうな。
「それですが、執金吾の丁原殿が落命いたしました。強硬な反董卓派でしたが」
「確かあの男には国士無双の呂布が護衛についていたはずだ。そうそう簡単にやられるとも思えないが何があった?」
執金吾は都の警備司令官だ、部隊を持っているので軍兵に押し込まれることなぞないぞ。その上で暗殺も呂布が傍に居たら無理だろう。毒殺でもされたか?
「養子である呂布の裏切りにあいました。その手で義父を切ったと聞き及んでおります」
「そういうことか……」
裏切りではかの烈士もどうしようもない。しかも信を預けた養子にそうされては、最早逃れられん運命とでも言えるかもしれないな。
「我が君、何進や丁原の兵を董卓が調略し集めております。ですが何苗の兵は未だに去就を決めておりませぬ。それに、孫羽の兵をおまとめになるべきかと」
「張遼と典偉には陳留へ帰還する孫羽兵に同道するように言ってある、俺は何苗将軍の残党に会うとするか。文聘が連絡をつけに行っているな」
手持ちの兵の事は甘寧と趙厳に任せている、動くべきだろう。だがそうしたら最後、出来ませんでしたにはならんぞ。じっと荀彧を見る、勝算がなければ進言をしても来ないんだろ。
「何苗の兵は門を閉じ籠もっています。楽隠長吏が保全を行い、沈黙を保っておりますがそれも限界でしょう」
元より文事を取り仕切ることしかできない爺さんだ、今の状況はかなりの負担だろうさ。だが董卓に屈することが出来ないのは、何苗を殺したのが董卓の弟の董旻だから。かといって誰か頼れるかというと、何進も居ないんだ、何皇太后が浮かぶくらいだ。
皇室に忠誠を誓っている将軍、皇甫嵩や朱儁、袁家の筋ならば成立する可能性は高いか。だが皇甫嵩も朱儁も自身の兵力は持たないと聞いている、ならば袁家か。ところが袁紹は何進の幕僚だったから外れる、袁塊は将軍職を退き宮中に籠もっているから難しい、後任の袁術がいるがあいつは反袁紹で董卓派になっているから論外になる。
「潮時というやつだな。吏路と牽招に先触れを出しておけ、今夜楽長吏と会うぞ」
門下生の小僧らではあるが、師である楽隠への影響力はある。ならばそいつらの賛同を得て置けば、後はきっちりと流れるだろうさ。
「仰せの通りに」
いずれ来る動乱、そこで力を振るえるように準備の手を抜くつもりはないぞ!
◇
太陽が沈み切ったところで屋敷を出る。きな臭い昨今なので、文聘と荀彧の他に、武兵団から二十の供回りを率いて車騎府へと向かった。何苗が戦没してからもその屋敷はそのままで、手を入れられずに放置されている。
門衛が立っている、こちらに気づくと文聘が「楽先生と約束があります、文聘が来たとお伝えを」しっかりと来訪を取り付けていることを知らしめる。
「聞いております、どうぞお入りください」
門が開くと文聘が先導する。結構な数の兵が居るな、手を出さずにいるのはこれが原因か? まあいい、行けばわかる。母屋に入ると大きな部屋に二十人程が居た、こちらの護衛は外で待っている。中央に立っていた老人、楽隠が腰を折る。
「恭荻将軍、よくお出でになられました」
取り巻きの奴らも同時に礼をした。こちらも同じように礼を返す。
「楽隠先生、お久しぶりです」
「どうぞお掛けになってください」
「年長者である先生からどうぞ」
お互い席に座るようにと勧め合い、最後は楽隠が先に座り俺が向かいに腰を下ろす。随伴者は皆が起立したままだ。
「聞きまするに、恭荻将軍は少帝陛下をお助けし、上洛を果たしたとのこと」
にこやかに先日の話題に触れて来たか、当事者以外がどう受け止めているかを知る機会だと思うとするか。
「そういうこともありましたが、今は一介の武官でしかありません」
「司空殿が百官を取りまとめていると聞いております。ここへも使者がやってまいりました」
ふむ、兵を渡せって来たんだな、それに俺への牽制でもある。誰がやって来たかはあまり関係ないから掘り下げることもないな。
「董卓は俺を避けているようで、あれ以来何とも言って来ません」
「……恭荻殿、本日のご用向きは?」
立ち位置は別にあると示したところで確かめに来たか。供回りにこれといって敵意は無いが、緊張はしているか。
「将軍は、兵を集め、それらを故郷に帰すまでの責任を負っている。何苗将軍の兵等の行く末が気になったまで」
「この場に在るは車騎殿の部曲兵、恭荻殿も彼らをお求めか」
あの楽隠が表情を無くしてこちらを凝視する。
「俺はな、別に誰がどこで何をしても構わんのだ。最終的に国の為に働いてさえくれたらそれでいいと思っている。もし帰郷する奴らが居るならば、帰路の食糧と路銀位は手当てしてやる」
文聘が意外そうな顔になる。そりゃそうだな、麾下に組み込むべく通っていたんだから。でもな、嫌々働くような兵が欲しいわけじゃないんだ。無言で大きく目を開いている楽隠、どうした?
「部曲兵全てが都を去ると言っても?」
「ああ、そうしたければそうさせたらいい。各々の郷で、今日までの経験を活かして暮らせばいい」
斜め後ろで平然としている荀彧は驚きもしないか、今までこれだけ好き勝手やったのを見ていたからな。
「……ふむ。恭荻殿は車騎殿と変わらぬ思想をお持ちのようだ。ようやく私も官を辞して帰ることが出来る」
肩の力を抜いて目を閉じた。背負う荷が重かったんだろうな、一か月に満たない短い間とは言え、その責任は莫大なものだからな。立ち上がると一礼する。
「楽先生、今までお疲れさまでした。吏路、牽招、先生をお守りしてしっかりと帰路につけよ」
急に話を振られて二人が慌てて頷いた。
「恭荻殿、兵には自由にするようにと伝えておきます。お前達も好きにするとよい」
門下生は他にも何人かいるようで、互いに視線を合わせは帰ろうと囁き合っていた。
「……先生、俺は都に残ります」
「おい子経、なにいってるんだよ。残ってどうするっていうんだ!」
吏路が牽招に詰め寄る。こんな混乱する都に居れば、命を落とす可能性が高い。それも自身ではどうにもならないような、理不尽な責めに会うことが多々ある。
「牽招、理由を聞かせてはくれるかね」
「俺は天に誓ったんです。種族を問わずに、民が暮らしていける世の中を作るって。いま帰郷したら、もう手が届かない気がして」
思いつめたかのような顔で素直に述べた。
「言うのは簡単だけどそんなの無理だ。なあ子経そんなこと言わずに帰ろうぜ、郷の皆を守って暮らしていけばいいだろ」
「吏路、男が決めたことを翻意させるものではないぞ。牽招よ、お前が残りたいならばそうすると良い」
「はい師父。俺はまだあきらめたくありません」
白くなった髭をしごいて楽隠が何度も頷く。少し時間をかけて立ち上がると楽隠がこちらを向く。
「恭荻殿に一つお願いが御座います」
「なんだろうか」
「我が門下の牽招、役に立つかは解りませぬが、決して他者の足を引っ張るような真似は致しませぬ。どうかお傍に置いてやってはいただけないでしょうか?」
まあそうなるよな、俺は構わんよ。だが本人の意思確認が必要だろ。
「牽招、お前はどうしたいんだ」
そう問いかけると、牽招は両膝をついてこちらを見上げる。
「楽一門が牽子経、どうか恭荻将軍の末席にお加えください!」
楽隠も拱手してこちらを見詰めた。いや意志さえわかればそれでいい。
「島伯龍が牽招を認める。楽先生の名を汚さぬよう、その行いをよくよく律するのだ。以後は荀彧の指示に従え」
「快諾ありがたく! 荀長吏、宜しくお願いいたします!」
さて、こいつが拾えたならそれだけで満足だ。残りの兵は全員帰郷して貰って構わんぞ。
「では私は解散の手筈を整えます」
場を去って翌夕、部曲のうち百人が帰順してきたと聞くことになった。この百人こそが部隊のエッセンスだったんだろうな、ありがたく雇用させて貰うことにしよう。
◇
さて問題だ、選択肢が三つあるぞ。どれを優先するかで今後が大きく変わる可能性がある。こういう時は荀彧に相談しよう。使いをやって小一時間すると、荀彧がやって来た。
「急に呼び出してすまんな」
「我が君のお呼びとあらば喜んで」
にこやかにそう言い放つと、向かいの椅子に腰を下ろす。下男に茶を持ってこさせてそれを一口。
「すべきことの順番で悩んでいる。お前の考えを聞きたい」
「お聞かせ願います」
堂々としたものだよ、ちょくちょく五荀だの荀氏だの聞くが、みなと会ってみたいものだ。
「陳留に行き、羽長官の遺産を確認する。宮廷に入り、劉協との連絡を取る。董卓を快く思っていない諸官と会う。どれも外せないことだが、この身は一つだ。こんなことで俺は失敗して居られんのだ」
荀彧は目を閉じて何やら考えをまとめている様子だ。なんでもそうだが望んだ時に実行できればどれだけ楽かってことだよ。
「されば申し上げます。宮廷は今や董卓の牛耳る所となり、どのような動きをしても察知されてしまうでしょう。有能な軍師が傍に侍っておりますので」
「軍師とは誰だ」
あいつの知恵袋というと……誰だったかな? 武官はあれこれと浮かぶんだがね。
「涼州の威、賈翅殿で御座います」
「おおそういえば聞いたことがあるな」
人となりは不明だが、あの董卓と仲良くやれているんだ、遜る有能者か或いは董卓が失うと面倒だと思えるような技能を持ち合わせているんだよな。
「賈翅は軍事でも政治でもなく、謀を得意とするいわば謀士で御座います。人と人とを近くも遠くも出来る者」
そいつは特殊だ、多少なりとも真似できるかどうかも確かめる術もないからな。それに痒い所に手が届く、他者を操れるならば保身もうまかろう。
「そんなのが宮廷に出入りすれば、厄介この上ないな」
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