第237話

「私は陳留王の劉協だ。董卓よ、そなたはなにをしにこの場に来たのだ」


 子供が胸を張って兄である皇帝を守るかのように間に立つか、さすがだ。


「無論、皇帝陛下をお守りするためですぞ」


 にやっと笑う。不遜な態度を咎めることが出来る奴は一人としていない。まだ俺の出る幕じゃない。


「ならば何故下馬して拝礼せぬか。陛下はそなたに不拝不礼の権を与えてはおらぬぞ!」


「むむ、一刻を争う事態だったゆえ動転しておりました、お許しを」


 軽く舌打ちをして下馬すると軽く拝礼した。だがそれだけだ。


「さあ早くこちらへ」


 歩みを進めようとした董卓に怯える少帝。劉協がチラッとその姿を見て「董卓よ、そなたは皇帝を守りきたのか、それとも奪いにきたのか! 答えよ!」なんと叱責を加えた。董卓の顔はみるみるうちに赤くなってしまう、恥じてではなく怒りでだ。


「陳留王はお疲れだ、誰か休ませて差し上げろ」


 そういうと兵士が数人駆け寄って劉協を捕らえようとした。


「動くな!」


 一喝すると兵士が足を止めた。よくがんばったな劉協、後は俺に任せろ。劉協を背に庇って董卓を睨んでやる。


「何だ貴様は」


「俺は島介、歩兵校尉と恭荻将軍を兼務している。さきほど陛下の守護をしろと命じられたばかりだ」


 実際は勅令を受けていないが、少帝の口から出た言葉は取り消しにはなっていないからな。高官らもだんまりを決め込んでいる。


「たかが雑号将軍風情が陛下の守護とはちゃんちゃらおかしい。俺は五万の軍勢を率いてきている、逆らうつもりか」


 五万とはふかしたな、居たとしてもここに辿り着くのに何日かかるやらだ。だがしかし目の前の一万は実在する、ぶつかっても勝てる見込みは全くない。近衛騎兵も武兵団もこちらに注目しているな。歩兵全体がこちらを包囲するような動きをしている、逃げることも出来ないぞ。


「返答次第ではこの地の土になるぞ」


 こいつならそうするだろう、しかも平気で。だとしてもだ、俺はここで譲るつもりは毛頭ない。


「なら答えてやる。何と言われようと退くつもりはない!」


「五万対千で戦うつもりか?」


 一気に周囲の温度が下がったかのような殺意が迸った。言葉が通じずとも、異民族が董卓を恐れたワケはこいつだな。


「この島介、たとえ百万対一であろうと、友を見捨てるつもりはない! 董卓、お前こそ誰に刃を向けようとしている!」


 シーンとしていた郷の盆地に俺の声が木霊した。遠くで聞いている者の耳にも入るほどの声が出た。


「よかろう、それではなます切りにしてくれるわ!」


 鬼の形相になり董卓も負けずに声を張り上げる。攻撃命令が出される寸前だ「待て待て! 皇帝陛下へご注進!」一般の騎兵というには少しきらびやかな装飾の者が一騎でやって来て注目を集めた。どこかで見たことがあるなあいつは……誰だ? 最近じゃないぞ、前世か?


 南東の道から土煙をたてて軍勢がやって来た。ん? 典偉が居るな。老将が騎馬して近づいてくる、東への伝令はしっかりと届いていたようだな。しかもそれを聞いて即座に出撃しなければ今ここにはいないはずだ。


「董卓よ自重せい!」


 威厳の塊のような声が郷に響いた。戦場にあって軍を指揮し続けた将軍特有のやつだぞ。『冤』『呉』『孫』『右』『陳留』の旗印がなびいている。


「従祖父上! 陛下、あれは陳留の軍勢です、援軍です」


「陳留の? そうか、それはよかった、協の兵だったのだな。これで助かる」


 ほっと一息するにはまだ早い、いま押しかけられたら間に合わん。だがその為に俺がここに在る。


「近衛兵は陛下をお守りしろ! 武兵団は陳留王をお守りしろ!」


 人垣を作り時間を稼ぐ、孫羽将軍が董卓を牽制してくれている間に安全を確保するぞ!


「死にぞこないのくそジジイがどうしてここに……くそ」


 聞こえないように言い捨てるには感情がこもり過ぎて声が大きすぎるんだよ。


「五代前順帝の頃よりお仕えする、右将軍都督冤州儀同三伺小黄侯孫羽である! 前将軍董卓、もし貴様が謀反を企んでいるならば俺の軍三十万が相手をしてやる!」


「むむむむむ!」


 あの董卓が言い返せないとは、孫羽将軍ならばそれだけの軍勢を集められると知っているわけか。あの歳で現役なんだ、確かにどうとでもできそうだ。


「ふん。呉懿、後軍に臨戦態勢でいるように伝えろ」


「御意!」


 お、あの騎兵は呉懿だったのか! どうりで見たことがあるわけだ。蜀の皇后、劉禅の母親の兄貴だった呉懿車騎将軍。若いころはきっちりと武官をしていたんだな。


 下馬すると皇帝の前にやって来て拝礼した。互いの軍勢が睨み合っているが、争いにはしないだろう。仕掛けた方が賊軍決定だからな。


「のう協よ、こういう時はどうしたら良いのじゃ?」


 あー、守護の件だろうな。俺が何か口を挟むのもおかしいから黙っていよう。


「陛下、この董卓に改めて守護をお命じくださいませ。先着したのはこちらですぞ」


「うーむ、確かにそうじゃな。しかしどうしたものかのう」


 俺か? うーん、ここで守護の権利を奪われるのは暴政の始まりなんだろうな、けどそれを止めると劉協は皇帝にならない可能性があるのか。あいつにとってどちらが幸せなんだろう。


「陛下に申し上げます。先着という意味では島介が一番に駆け付けました」


「まあそうではあるのだが、小勢ではのう」


 進言するも事実を言われてしまうと苦しそうに下を向いてしまう。それが劉協の意志か、ならば俺はそれを受け止めるぞ。


「勝手ではありますが言上させて頂きます」


「下郎が、陛下に――」


「よいよい、なんじゃ」


 高官のじいさんが却下しようとしたのを、少帝が制した。安全が見えてきて落ち着いてきたのかもな。


「自分は歩兵校尉であり恭荻将軍であり、右将軍司馬で御座います。これを」


 司馬の印綬を取り出して示してやる。まさかここでこいつがモノいうとはね。董卓の目が大きく開かれた、そりゃそうだよな知ってる奴は殆ど居ないぞ。


「ほう、すると孫将軍の部隊の方が先着していた上に兵数も多いわけか。では決まりじゃな、そのままで良いぞ」


「御意。改めて守護の件を拝命致します!」


 これでいいんだろ、どうだ孫将軍。チラッと顔を除くと、しかめっ面で鼻を鳴らしている。無事に孫羽軍へ皇帝一行が合流すると、騎馬した孫羽が「形はどうあれ俺の部下だからな、功績には報いる」こちらを見ずに言葉だけ残していってしまった。


 じいさんのツンデレとか誰得だよ。まあいいが。というか武兵団の奴らの視線が変わったな、認められたようだ。


189-8

 洛陽に皇帝が戻った。城門の前で袁紹と曹操がこれ以上ない位の意外な顔をしていたのを今でも思い出せる。なにせ皇帝の馬車のすぐ前を俺が騎馬して進んでいたからな、守護を仰せつかっていたからだぞ。


 その上で、武兵団も近衛も洛陽に入っても厳戒態勢を解かなかった。そこらに居るのがいつ襲い掛かってくるかわからない、そんなつもりでいろと訓示をしていたから。実際は平伏するのでやっと、大物を取り逃がしたって感じで武将らが悔しがっていたわけだ。


 宮廷に入ってしまえばもう武官は用済みになる。さっさと帰って良いぞと言わんばかりだった、実際宮中ではどうにもならんので近衛兵の駐屯所に入ったわけだが、これといってお呼びがかかることもなく屋敷に帰ることになった。


 大赦が行われて昭寧に改元、表面上の落ち着きを取り戻したかのように見えたんだ。実は都に戻って直ぐに、守護が董卓に切り替わった宮中で行動出来るかどうかの差異が官職にあったから俺ではどうにも出来ない。それはそれとして呼ばれていたので孫羽将軍の上屋敷へと行く事になる。


「島将軍、羽長官がお待ちであります!」


 ユイ長官? ふむ、こいつらにはそう呼ばせているのか。武兵団のやつらよりも腕が立ちそうで面構えも立派だ、親衛隊なんだろうな。そんなのが屋敷のあちこちに居て、よくぞ集めたものだと感心してしまう。


 奥へ行くと椅子に腰かけて巻物に目を通している孫将軍の姿があった。隣には癒彫が侍っている、おなじみだが俺はあいつがそこまで好きじゃないんだよ。


「孫将軍、島介参りました」


 巻物を机の上にポイっと捨てて顔をこちらに向ける。相変わらず渋い表情だよ。はっ、と軽く笑ってから「こちらへ来い」部屋の中ほどまで進む。


「何か言いたいことがあるなら先に聞いてやろう」


 実は一つ気になることがあったんだよ。


「ではお言葉に甘えて一つ。なぜ守護を董卓に譲ったのでしょうか」


 右将軍司馬として認められていた、その権限の源は右将軍孫羽だからな。この爺さんが辞めると言えばそれに従うしかない。


「なぜだと思っている。聞かせてみろお前の考えを」


 素直に答えてくれるなんて思ってないよ。これだけクセがある爺さんだ、こちらの想像通りになるわけがない。まあ、思考の方向性はあるんだ、それなりの答えは用意してある。



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