第232話

「我が忠誠を立てるのは国家であり、何者でもない。しかし、国家を主宰することになるだろう劉協皇子を支えるべく、この身を投げうつ覚悟はある!」


 なにせ皇帝は代替わりする、そうなっても俺の意志は変わらんからな。皇太后にとってもそこは納得できる部分だろ。


「ふん、あのジジイにそっくりな男だ。よかろう、協に会わせてやる。ただし一月後だ」


 仕事を終えて後ってことか、まあそこは飲める。


「快諾に感謝を。荀彧、戻るぞ」


 堂々と内宮を出て行く。あちこちに人を隠しているな、屋根裏にも弩を持ったやつがいそうだ。


 文陵への埋葬が行われる前日のことだ、速報の伝令が屋敷に舞い込んできた。寝るところだったが、外套を羽織って部屋を出た。すると官服をまとった若い男が畏まっている。


「どうした」


「驃騎将軍董重様がお亡くなりになりました!」


 投獄されていたはずだが、こいつは謀死だな。皇太后への警告だ、明日埋葬へ出かけたら殺すぞとの。ふざけたやつが出て来たな。


「ご主人様、荀彧様がお見えですがいかがいたしましょうか?」


「通せ」


 屋敷つきの下僕が来客を報せる。こちらが知ってるんだ、荀彧だって報告を受けてるだろうな。きっちりとみなりを整えてやってきているということは、こちらより早い情報だったってことだ。さもありん。


「我が君、これは恐らく何皇后の仕業でしょう」


「まあな、俺でなくてもそう思うだろうさ。証拠はないが、証拠が必要なわけでもない。霊帝に同情するよ、母親と妻が争っているんだからな」


 あの荀彧が苦笑した、そうかツボに入ったか。


「文陵へ行くまでに正体不明の襲撃や、暗殺者の類が跋扈するでしょう」


「こちらは俺達がついていくからいいが、劉協が心配だな……」


 何せこれといった勢力を囲っていないんだ、まだ九歳だっていうんだから仕方ないが。周りの大人だって簡単に寄り付けないわけだしな。


「それですが、先日叔父の荀爽が光禄勲に取り立てられました。宮中警護の手を皇族らに回していますので心配は御座いません」


「そうだったのか! 卿の地位につくとは、さすがだ。職務に忠実な人物がいるならば、うかつに下手なことも出来まい」


 ということは俺の上司でもあるんだが、どうしてそういう知らせが来ないんだよって思う。自分から調べないとだめなのか?


「袁術が虎賁中郎将に任じられております。内官の校尉が清流派に割り当てられるのが多くなっておりますが」


「ふむ。何進大将軍の派閥攻勢とでもいうべきか。増える時も減る時もあっという間だ、必要な時に動けるかどうかが重要だぞ」


 守る側は一瞬の隙を見逃せば全てを失ってしまう、不利なんだよずっと守り続けるのは。かといって攻めに転じることが出来ない状況なんだから堪えるしかないが。


「……大事が訪れるとの話ですが」


「ああ、必ず起こる。そして大変動があるのは、それこそたったの数日の間にだぞ」


 権力を乱暴に奪う時、怨嗟を買いはするが速度を最重視すれば解任を一斉に行い、後任を据えて部下を掌握する三日もあれば充分。部隊を攻め破るのとはわけが違う。


「文若では未来を予測するにその役者が足りておりません。どのように備えるべきでしょうか」


 それな。董卓はどこからどうやって宮廷を牛耳るようになったか、それは皇帝を保護してからの話だ。では皇帝はどうして宮廷を離れるようになってしまったか、宦官との争いが起こってからだ。外に逃げて董卓に捕まったわけだが、あいつはどこに駐屯してる?


「前将軍董卓の任地はどこだ」


「前将軍併州牧董卓でありますれば、太原に身を置いているでしょう」


 すると北方だな、北へ河を越えて避難しようとしたと考えるべきだ。山ばかりの南にはいかなかったんだな。西は関所があるからこっそりとはいかず、東も平野だから馬車でも見つかるとでも思ったか。北ならば山道も幾つもあるし、文陵も含めて皇族の墓地になるような場所があるから、土地勘もあるのかもしれんな。


「いずれくる大変動では、都より北部の山地、間道で変事が起こるはずだ。そこで捜索を行えるかどうかが最重要の結果を左右することになる。確信はあるが説明は出来ん。それでも荀彧は信じてくれるか?」


「この荀文若、我が主の言葉を疑うことなどいたしませぬ。お言葉、しかと刻ませて頂きます」


 俺も警戒するがこいつに任せておけばより広くを調べられるだろう。


「うむ。まずは目の前のことを無事にこなしてからにするぞ」


「御意」


 霊帝の亡骸は文陵に埋葬された。その儀式は立派で、確かにこの地を支配していたものとして相応しいと思わせるようなものだった。


 皇太后も元気に洛陽へ戻ることが出来た。なにも起きなかったわけではない、それこそ時間ごとに様々なアクシデントが起こり続けたが、その殆どを自力で退けていたんだから、あの皇太后もやはり実力者だったわけだ。


 一度だけこちらで暗殺者の類を排除したことがあるが、まあそれだけだ。何も出来ずに帰って来ることにならずに逆に安心したよ。


 約束の日が巡って来た。藍清宮に場を設けられ、そこへ赴くことになった。供回りは荀彧のみに制限され、武装の類も全て解除され中へと入る。段上の御簾の後ろに小さな姿が透けて見えた。


「名乗れ」


 宦官の声が聞こえてくると、その場で膝をついて礼をする。


「恭荻将軍島介が、渤海王に拝謁致します」


 劉協は今、渤海王に封じられている。名誉なことと共に、金銭収入的な部分もあるんだろうが、今の俺にはあまり関係がない話だ。返事があるまでは決して顔をあげるなと、きつくいわれているのでそこま守ることにした。


「近くに来るのだ」


 子供の声が聞こえたので、中腰のまま下を向いてそろそろと近寄る。そういう流儀があると荀彧にあれこれレクチャーしてもらっている。思えば蜀では随分と態度が悪いと見られていたんだろうな。今さらだがね。


「面をあげよ」


 膝はついたまま、顔を上げる。御簾からは遠いので、こちらからは向こうの表情までは見えない。


「……のう、そなたはどこかで余と会ったことは無いか?」


 あるさ、はるか未来でな。過去形での質問に適切な表現はなんだろうか。


「ここではないどこかで、心が共に在ったと確信しております」


 迂遠な表現だ、勝手にとらえてくれ。こいつは今たったの九歳の子供だ。頼ることが出来るのは婆さん一人、どんな気持ちで過ごしているんだろうな。


「島介は何故余に謁見を求めたのだ?」


「天意で御座います。我が存在は殿下を支えるために在るのだと」


「天意というか。そうか」


 この時代、神秘性が高い事柄を好むからな。まあ千年先でもそうだが、科学が発展してからだぞ理屈を求めだしたのは。


「実は余も何故か島介が懐かしく思えているのだ」


 それは……劉協にも記憶がある? いや、そんなはずはないか。こちらに影響を受けているとか、その位ならば納得も出来る。少なくとも今はこうやって知己をえたことで満足しておくべきだろうな。


「有り難いお言葉。我はいついかなる時でも、殿下のお味方です」


「皇帝陛下の供回りに疎まれ、命を狙われ島介が不利益を被ることになりかねないが」


「どのような不都合があろうとも、天に誓って揺れはしません」


 そう決めているんだよ。そっちがどう思っていようと、俺の脳裏にはあの時の劉協の顔が浮かんでくるんだ。


「その忠義、大義である。褒美として黄金をとらせる」


 謁見は速やかに終了、帰りは目録を持たされて退出することになった。夢のスタートラインにくるまでに随分と時間がかかったが、ここから先は展開が早くなるぞ。


 そこからたったの数日で、思いもよらない報告を受けることになる。董皇太后が死んだ、ということだ。後宮で謀殺されたらしい。あれだけの人物を以てしても、ダメな時はダメか。亡骸が慎陵に埋葬され、すぐに劉協が渤海王から陳留王に転封された。

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