第231話
「御意」
そそくさと荀彧が部屋を出て行く。宮で勢力争いに敗れるのは仕方ないことだ、だが、葬送の列で命を落とすことになるのはテロリストを支持するのと同義だぞ。俺は決してそれを認めん。
「張遼はいるか!」
三人の内一人が常に屋敷で侍っている、今日は張遼の日だ。典偉には好きにするようにいってあるが、文聘と甘寧、張遼は正規の将校として運用しているんだ。こいつらにはいずれ司令官になってもらわねばならんからな。
「ここに! どうされた」
「洛陽の河北にある文陵山地の偵察を厳に行っておけ。伏兵可能な場所に現地の民、飲料水になるかどうかの調査までだ」
細かすぎる指示に多少面食らった感じだが「了解した。埋葬の件ならば、表立って武力で押すのは考えづらい。毒や暗殺の類を厳重警戒すべきであろう。軍兵よりは侍従らに警戒をさせる方がより確実だ」意図を正確に把握して助言して来る。
「近侍の者らか。確かにそうだな、実際動くときにはそこに比重をおくようにする。だが偵察は別途行え」
「うむ、任された」
書類仕事を暫ししていると、陽が傾いてくる。荀彧が部屋に戻って来た。
「我が君、董皇太后が謁見を受け入れるとのことです。明日の朝に来るようにと」
「わかった、ご苦労だ。お前もついて来い」
「畏まりました」
俺が覚えている歴史とのひずみは感じれないが、そもそもが誤って覚えていることや、知らない部分が大半だ。腕を組んで目を閉じる。
董皇太后はどうなったかは知らんが、劉協は後見人を失い董卓の傀儡になっていたんだ、どこかで命を落とすんだろう。それがいつか、可能性は三つだ。一つはこのタイミング、二つは何進と宦官の騒乱時。三つは董卓に狙われてだ。
ここは俺が警戒すれば耐えられる、そのくらい出来ずに劉協を守れるものか! 翌朝、後宮がある場所へと出向く。後宮には男は入れないので、中間にある乾健宮という場所で謁見を果たすことになった。
内宮に入るまでの道には花が敷き詰められており、多くの女官が左右に並んでいた。こいつは圧巻だな、だが俺はこんなものを見に来たわけじゃないぞ。案内に連れられて奥へと進むと、宦官や侍女を侍らせ背もたれ部分がやけに大きな椅子に座っている老婆がいた。真っ赤な絨毯を進んでいき、段が変わる手前で片膝をついて拝礼する。
「恭荻将軍島介が永楽太后に拝謁致します」
こいつはひとつの入れ知恵だ。永楽宮に住んでいる太后、つまりは董皇太后のことだな。このあたりは日本と同じで、出来るだけ直接的に名前を呼ばない方が気を使っていることになるらしい。日本でも宮様とか呼んでいるだろ、アレだな。
「一介の将軍が妾に直接会うことが出来たのを感謝すると良い。だが気に食わぬ言をするようならば、ここから無事で帰れるとは思うでない」
頭から一発かましてきたな。後ろに荀彧一人を連れてやってきている上に丸腰だ、大立ち回りをするつもりはないがね。
「永楽太后に三つの感謝を。一つはこの場で得られた機会に。二つは天下が治まっていることに。そして三つは――我が天命の友を援けて頂いたことに」
こいつはこいつで俺を利用出来るかも知れないからと謁見を許可したんだ、ならば前へ進むのみだ。顔色を変えはしないが意味が解らないといったところだろうな、何せ俺との接点など何もないからな。
「妾を愚弄するような言を吐くならば、即刻獄に落とすが」
しわが浮かぶ顔を険しくする、思考の外に居られるのが気に入らないといったところだろうか。かといって短腹ではこの地位を守り抜けてきたはずがない。
「至極真面目に申しております。我がこの世に生を受け、ようやく手が届くところにまで参りました」
ここで生まれ育ったわけじゃないが、世に現れてから常にそうだからな、嘘じゃないぞ。そうだと信じている、だからどれだけ疑われようと意志を貫くことは難しくない。暫しの沈黙が続くが、目線を逸らすこともなく口を開くこともない。
「…………続けよ」
「天命の友が窮地を得るまでに一年とありませんでしょう。その時、永楽太后が不在では守り切ることが出来ません。此度、文陵への行幸があるとのこと、私に護衛をお命じください」
「お前は何苗将軍の部下であろう、なにゆえ妾に近づこうとするのだ」
まあそっちから見ればそうだろうな、俺だって最初はそう思ったからな。今だってどうなのかわからん部分が多いんだが、はっきりとしているのはこの婆さんが劉協の味方ってことだけだ。
「何将軍は国家を守護すべく真摯に取り組んでおります。それを援ける為に配下として与しているのは事実。ですが、我が目的は軸を共にしておりません」
「ふん、国家を蔑ろにするかのような言を吐きおってからに。そやつを投獄せよ!」
宦官がにやりとして「太后陛下が仰せである、その不埒者を捕らえよ」捕縛を命じて来た。腰に剣を履いている宦官が十人程距離を詰めて来る。
「我が天命の友は劉協皇子、我は彼の為にここに在る!」
宦官が太皇太后に顔を向ける、このまま捕縛するのかと。
「なにを出まかせを、さっさと捕らえよ!」
「荀彧、印綬を」
「御意」
巾着に入った印綬を剣を持った宦官に差し出す。それを受け取った男が、そばに侍っている宦官へ持って行った。袋を開けてそれを太皇太后へ見せた。
「太后陛下、これは右将軍司馬の印綬で御座います」
宦官を見てから印綬を見る、確かにそう彫刻されているので一瞥して正面を向く。
「孫右将軍より劉協皇子を擁護すべく兵団を託されております。不審あらばご確認くださいますよう」
「あの孫翁が?」
「そこにある印綬が動かぬ証拠。信じられぬのでしたら結構、投獄でも何でもなされればよろしいでしょう」
こいつは賢い、数少ない大駒である孫羽将軍を利用しないはずがない。俺を含めて全ての中心は劉協だ、損な取引ではあるまい。
「陛下、孫右将軍が属吏を抱えた話は聞きませぬが」
「ふん、孫翁が印綬を紛失なぞするものか。それにあ奴の兵が簡単に騙されるとも思えぬ。そこな下郎よ、荀氏の出と聞くがどうか」
両膝を衝いて指先を重ねて拝礼すると「潁川は荀昆が子、荀彧で御座います。我が君に不審あらば、叔父の荀爽、従兄荀諶、甥の黄門侍郎荀攸らにお尋ね頂ければと愚考致します」最近関わりをもった奴らってことなんだよな。
「…………下らぬ出まかせを吐きに来たわけではなさそうだ。下がれ」
宦官らが剣をしまい引き下がる。どうやら話をする気にはなってくれたようでなにより。
「話を聞いていただく気になられましたか」
「どこの閥にも屈せぬ孫翁を信用したまで、決してお前のことを信じてはいない」
それで結構。あの爺さんはやっぱり頑固一徹なんだな。ちなみに違和感は一切無い。
「経緯は何でも結構、ここで後見人を失っては皇子の身にも危険が迫る。文陵への行幸では毒殺、暗殺への備えを厚く願います」
目を細めてこちらを睨んで来る。言われずともそうするってことならそれでいいぞ。
「後宮を取り仕切って来た妾にそのようなこと効かぬわ。しかし、董重が下獄しており武力に一つ不安はある。お前はどれだけの兵を持っているのだ」
武兵はいるし、八百の近衛も居る、あれやこれやの兵だって動かせるが、合計で千を超えて二千には大きく届かないくらいか。だが数の問題ではないぞ。
「命を惜しまぬ武兵を百人直卒しております。不足でしょうか」
「雑兵なぞ十万いようと役には立たぬ。その武兵団あらば危急に耐えようぞ。よかろう、この度の護衛はお前に任せるゆえ役立て」
「御意。一つ願いが御座います」
こういうのは持ちつ持たれつだろ? それに何も無く従うだけなんてお互い気持ち悪いだろ。
「申してみよ」
「劉協皇子への謁見を願います。我が存在する理由に会うために、官を得てここに登って来たゆえ速やかな考慮の程を」
「何とあさましい。陛下、このような輩を皇子に近づけてはなりませぬぞ」
そばの宦官が妙に甲高い声で諫言する。恐らくはこいつのいうことは正しい、だが俺はそうですかと引き下がるわけにはいかんのだ。
「お前が忠誠を誓うのは何者だ」
本来ならば皇帝だと言うべきなんだろうな。だが!
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