第229話 右将軍司馬恭荻将軍騎都尉
雪が積もり、年始の大祝賀があった後、皇帝へ官が挨拶をした。そこからは必須儀式は無いので、三が日の間は警備担当者以外は結構自由になる。今だ、ということで俺は典偉と荀彧を連れて陳留へと向かった。河を下って寝ている間にも動き続け、翌日の昼間には小黄の城の前にやって来る。
「久しぶりだなここも」
「前は結構来ていたんですがね、会った瞬間に怒られそうだ」
正装をして城門を潜ると衛兵から抱拳礼を受ける。城主の間に入ると、見覚えがある老体と脇にあの癒彫の姿があった。あいつまだ生きていたか、面白くない性格だが仕事はそれなりにしているってことだな。
「恭荻将軍島介、新年のご挨拶に参りました」
椅子に座っている孫羽はこちらをじっと睨んでから小さく鼻を鳴らした。ほんと気難しい爺さんだな。
「数年ぶりにやってきたら将軍か。典偉も随分と間があいたではないか」
「へへへ、お久しぶりです。ちょっと親分とあちこちに」
憎めない態度だな、こいつはこれでいい。
「ふん、たまには母親のところに行け。心配だから人をやってある、必ず行けよ」
「人を? 孫将軍、ありがとうございやす!」
これは俺の手落ちだ、そうだな母親を見て居てやる一人や二人は手配できたはずだ。こういうのは李項や呂軍師が全部してくれていたんだものな。
「で、荀氏の若造を伴ってわざわざ挨拶だけしに来たわけではあるまい」
この爺さんはご長寿だ、既に八十歳超えてるって話だからな。その割には元気すぎる。何せ睨んで来る眼光が随分と鋭い。
「朝廷の現状をご存知でしょうか。宦官が蔓延り、悪政が行われていると」
「司徒や司空がいてそのザマとはな、未熟なガキ共ではその悪腫瘍が何かわかっていても手も足も出んのか」
辛らつだな、だがその通りで言い返せそうもない。俺だってそう思ったことがあるんだよ。
「仰る通り。自分は将軍として軍兵を統率するのが役目、一つの確認がありここに参りました」
「ほう、聞いてやろう。だが下らんことをいうならば、そのそっ首をもらい受けるぞ」
事前に人となりを聞いてきた。四代の皇帝に渡って仕えて来た孫羽将軍、対匈奴戦線の専門家。常に戦場にあって異民族を防ぎ続けて来た男。一人娘を失い、孫を唯一の肉親とする。その孫である王美人も死去し、忘れ形見である劉協の後見人。
「危急の際に自分が動かせる兵は僅か、さりとて兵符もなく率いるわけにも参りません。宮には自分の大切な人物が居り、一年を出ずして災禍に見舞われることになります」
「貴様は何を言っているのだ? 気が狂ったならばここではなく黄河にでも臨め」
癒彫も変な顔をしている、そうも受け取られるだろうがやめんぞ。怒らなければそれでいいが、起こるならばそれに対する備えをすべきだ。
「天啓を受けました。自分がこの世に存在している理由は、友を援ける為だと。前世では全うすることが叶いましたが、今世においては力不足。ゆえにここに」
「天啓に前世だと。いつから漢はこのようなろくでもない者を将軍に採り上げるようになったのやら、嘆かわしい。興が失せた、さっさと立ち去れ」
首もいらん、出て行けと右手を軽く振る。確かに俺でも呆れる内容だ。
「我が君――」
「人を人とも思わず、暴虐の限りを尽くす者がどさくさに紛れて朝廷を握ることになるでしょう。その者が傀儡を立てる時、より幼く聡明な人物が選ばれることは自然なこと。その場に在って忠誠ある軍兵の百騎でも居れば本懐を成し遂げましょう」
譲らずに見つめ返す。荀彧が言う側近は荀彧の為に命を投げ出せとは言えるが、俺の目的の為にそうは言えん。だがこの爺さんの兵ならば、目的が合致する。
「荀氏よ、お前はどうなのだ」
眉を寄せて呆れながらそう問いかける。
「某は己を知る主にこの身を捧げる覚悟で御座います。協皇子をお支えになられるならば、全力でお仕えするのみ」
「典偉はどうだ」
「俺は……親分は俺より強いし、今までだって考えもしなかったことをしてきた。だからついていく!」
孫羽は大きく息を吸い込むと目を閉じる。馬鹿は馬鹿なりに真っすぐに生きるものだ、俺にあるのはこの誠実さだけだからな。
「貴様は何苗のところの者であったな」
「はい。ですが何苗将軍にはこのことを話してはいません」
だってそうだろ、甥っ子が皇子なんだからそっちを支持するのは当たり前だから。
「癒彫、右将軍司馬の印を持ってこい」
「しかし閣下」
「やかましい! さっさとせんか!」
「は、はい! 直ぐに」
怒鳴られて速足で出て行くと、程なくして戻ってくる。盆には巾着に入っている印綬か。
「信用するわけではないぞ。投資のようなものだ、お前が上手くやればその時初めて評価してやる」
「その者の本性は言葉ではなく行動、ということですね。承知致しました」
盆を持った癒彫がやって来て印綬を差し出して来る。それを手にして孫羽へ向きなおる。
「対異民族戦線で鎬を削った者らの子弟を集めた武兵団百を預ける。協皇子の為ならば死すら厭わぬ者らだ、使いこなせるものならば使いこなしてみせよ」
「その想いは同じですので、やってみせます」
「ふん、良く言う。疲れた、下がれ」
礼をして城主の間から出てくる。まずは「典偉、母親のところへ行ってこい。戻るまで俺達は城下に居るから急がなくていいからな」送り出してやる。
「すいやせん親分、行って来ます!」
見送ると兵舎へと向かった。三が日だというのに訓練をしている兵が見られる。右将軍司馬の印綬を見せてやり後日集合をかけると命令を下して宿へ入ることにした。
◇
衛門内が騒がしい、何かあったぞこれは! 足早に車騎府に入ると、何苗を中心に主要なものらが集まっていた。
「何苗殿、何か騒がしいようですが」
「おお島将軍、帝が崩御された。すぐに辨皇子が帝に立たれる準備が行われるぞ」
ついに始まると言うわけか。俺の方の準備は道半ばではあるが、時代は待ってはくれんぞ。
「荀彧、これからの見込みはどうなる」
「はっ。立太子されていますので、辨皇子が帝になられます。年少者ゆえに、皇太后が後見をされるかと。程なく大赦が行われ、協皇子は王に封じられ中央で帝の補佐を行うようになるでしょう」
補佐か。とは言っても何一つ権限はない、そればかりか利用しようとするやつらが群がるな。辨皇子の味方は皇太后だ、劉協の味方は董皇太后か。
「速やかに新たな帝に権力を掌握して頂く必要がある。俺もこれから宮に赴く、楽長吏ここは任せる」
「御意に」
何苗は車騎府を出て行こうとするが俺はどうしたものかな。チラッと荀彧を見ると「我が君も同道されるがよろしいかと」それが答えか。
「わかった。これから先はいつ何が起こるかわからん、待機を掛けて置け」
兵を動員できるように禁足令を出させる、屋敷の中でも訓練は出来るので文句は言わせんぞ。何苗の直ぐ後ろをついていく。内宮への参内は二千石が殿上へ行けるかどうかの目安になっている、今の俺は将軍職で銀印青綬の二千石だ、資格はあるぞ。
履物を脱いで剣を預けて堂々と参内した。そこでは百官が集まり大きな声でああでもないこうでもないと騒いでいた。文官列は司徒丁宮に司空劉弘が上席についていて、馬日碇は日食で罷免されたらしい。後任は幽州牧で転出している劉虞ときいているが、任地からまだ帰還していないようで空席だ。
武官列の先頭は言わずと知れた何進だ、その次に驃騎将軍董重、そして車騎将軍何苗と続く。俺はその何苗の後ろに控えると周りの面々を見渡す。
右斜め前には朱儁将軍がいるな、その横は誰だ? 耳を澄ませて聞いていると袁隗後将軍と聞こえて来た。何進の後ろに立っている袁紹の叔父だか何だかだな。その横には皇甫嵩左将軍、そしてでっぷりとしてふてぶてしい表情のが前将軍董卓。ここでは前将軍でもあんなに席次が下になるのか。
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