第225話 議郎
「暑さよりは寒さの方が得意だが、そこまで気にはせんぞ。長いこと暮らしたことはないが、そこまで暑いのか?」
「北方の夏が南蛮の冬になると思ってくれ、ぐったりはするが死にはせんか。そのうち感覚を確かめに、手下を派遣してみたら良い。こんなのは慣れだが、いつかその経験が尺度になることがある」
俺は何を言ってるのやら、丘力居も飽きれているじゃないか。
「変なことをいうやつだ。だが確かに必要になってから知っても遅いこともあるだろう。若いのを遊学させてみよう」
素直に耳を貸すとは、烏桓族というのは結構丸い性格の族なのかもしれん。
「よし、では戻るとするか。騰頓も副使を選んで同道してくれ、拠点は一日の距離にあるがその先は少し時間がかかる」
「承知した」
こうして烏桓の使者を伴い文安城に戻ると、荀彧を唸らせてしまった。この先は丸投げの予定なんだがね。手配を一任して少しすると、部屋に荀彧がやって来る。
「手配を終えましたので、ご報告にあがりました」
「ご苦労。俺では手が届かなくてね」
「何苗将軍へは荀氏を通して話を持ち込みましたので、これを反故にすることも捨て置くことも出来ますまい。三日以内に朝廷で卿に面会を果たすでしょう」
圧力というやつか、名士の陳情を無視したら何苗にとって損失が大きいからな。受け入れたとしてもどう転ぶかは解らんが、戦わずに済むなら取り敢えずは和睦をまとめるだろう。
「ならいい、後は向こうで上手いことするさ。結末を見届けたら安楽県へ赴任するぞ」
随分と遠回りしたが、これでようやく収まるべきところへ収まる。顛末を聞き届ける為に数日待機していると、朝廷から使者がやって来た。
「島介の官職を解き、新たに議郎とする。都へ帰り職務を全うせよ」
なんとまあ、県令に赴任する前に戻ってこいとはな。その場では謹んで承りますとだけ答え、後で荀彧にどうしたものかを尋ねた。
「こういうことはあるものか?」
「郎として任じられ、数日のうちに四度転じて卿となった者も御座いますので、珍しいことでも御座いません」
そういうものか、では気にしないようにするぞ。しかし、給料は出るが権限はないな。曹操のやつがそんなことをもらしていたからな。
「取り敢えずは洛陽に戻るとしよう。行ってからその後を考える」
本当にこれといって目標もなく今度は生きているが、ビッグイベントまであと一年か。
◇
翌春だ、相変わらずあちこちで反乱がおこりまくっているぞ。一々中央から派兵して対応していると時間もかかるし、費用も掛かる。そこで州ごとに兵権を持たせて対処したらどうかってのを、劉為とか言う奴が提唱して、採択されたらしい。
その結果、反乱が大きい益州、予州、幽州へ牧が派遣された。その益州に劉為が任命されたのだから初めからそれが目的だったんだろうって話だ。幽州へは劉愚という皇族が任命された、前に刺史だったことがあるらしく再任で勝手も知っているので期待してのことだそうだ。
相変わらず三公は簡単に任命されては罷免されている。あの馬日碇が太尉に任命されたらしいぞ。
「さて本当になんら仕事らしい仕事をせずに夏になってしまった。張遼らも自由気ままに暮らしているが、そろそろだ」
官についているのは俺だけで、あいつらは城下で好きにしている。それぞれ交友を拡げているはずだが、荀彧は潁川に行ったり来たりで何かを画策していた。そんな折に久しぶりに何苗から声が掛かる、無視も出来ないので呼ばれて車騎将軍府へと出頭した。
大将軍は何進、次いで驃騎将軍は董重がついている。董卓の偽物じゃなかったんだなお前。三席が車騎将軍で何苗になり、なぜか右車騎将軍に朱儁、左将軍に皇甫嵩が居る。これ車騎将軍が居るのになぜ右車騎将軍まであるんだか。左右将軍がいるほうが自然と思うんだが。
「島介、久しぶりだな」
「何苗将軍、御無沙汰しておりました」
武官服をまとってはいるが、河南尹として政務を行いながらの勤務だな。これだけ全土が荒れているんだ、首都だって治安の程は不安があるだろう。
「知ってはいると思うが西園八校尉が設置された」
知らないよ。高級将校ズのたまり場のようなものか?
「ことさら指揮系統を増やしても、どうにもならないと考えますが」
「そうだな。太尉が指揮する中軍、大将軍が指揮する外軍、執金吾が指揮する衛軍などがあるが、それとはまた別の軍を立てて陛下が中央に座るらしい」
皇帝の直属軍が二系統ってことか。光禄勲がまとめる中軍じゃダメだったのかね。
「誰がその校尉に?」
「なんと宦官の憲碩が筆頭で、袁紹や曹操が名を連ねている」
ほう、いよいよだな。しかし、宦官が軍事指揮官とは随分と眠たいことを。
「名ばかりの売官ということなのでは?」
皇帝が官職を売っているのは皆が知っている、これだって席次を売るためのものだろきっと。八校尉というんだから八人居るんだよな?
「官を売るのは構わんが、これはひと悶着では済まないことが起こる。軍自体は陛下の私費で賄うとのことなので良いが、陛下の軍ということで校尉らにある権限が大将軍をも上回ると取り決めがある。流石にねじれが起こると解りそうなものだが」
「校尉が大将軍に命令を出来ると?」
おいおいそれはおかしいだろ! 皇帝が指揮するなら良いが、その下の指揮官が機関的優位を以てして自前で指揮出来るのはいただけない。現実ではそうでないとしてもだぞ、制度としてどうして通したんだよ。
「俺は宦官をそこまで嫌ってはいないが、これはやりすぎだ。憲碩がその気になれば、兄上に命令できるのでは反発が起こる。双方兵権を持っているんだ、穏やかではないぞ」
そいつが俺を呼んだ理由なのか? こっちは議郎で何の権限もないんだ、相談する相手が違うぞと言ってやりたい。
「対立は起こるものだとして考えてしまうのも一つの手では?」
「なに……」
だってそうだろ、どうしたってそいつらがぶつかり合うのが未来だ、止めたってどこかで再燃する。そんなのは一度ぶつけてしまう方が健全だよ。問題は喧嘩ではなく政争になるってところだ。
「軍部と宦官、相反するのは至極当然の成り行き。先手を取った方が圧倒的有利、反撃を行えないほどに徹底的に叩きのめすことでしょう」
ようは殺してしまえばいいってことだ、気づけよ、何進の反撃には何苗が行うと言う選択肢も入ってることを。まあ心配するまでもなく、むむむと唸って何かを思案する。
「兄上は常に大将軍府で兵に守られている。朝廷へ呼び出された時が唯一無防備になる。その瞬間こそが宦官ら濁流派の仕掛ける瞬間だな」
ほう清流派の反対は濁流派というのか、知らんかった。朝廷内は兵を引き連れてはいけない、専門の武兵らが守りを固めるはずだが、指揮権は衛尉になるんだったた? あれは宮の防衛だったかな、都に居ることがほぼなかったから守備範囲がおぼろげだ。
「仮にですが、軍兵で押し入って宦官を一掃してしまうというのは?」
だってそうだろ、こうなると解っているならばさっさと乗り込んで処分してしまえばいい。兵の数も質も恐らく大将軍に軍配が上がるぞ。
「それは皇后も皇太后も許さないだろう。宮を犯すものは反逆者として扱われてしまう、それだけの名分を与えてしまうのはあまりに危険すぎる」
身を守るつもりの行動が逆に窮地に立たされるわけか、確かに下策だな。とはいえ宦官というのは後宮に暮らすやつらだ、そこから出ずに長い腕を伸ばすことが出来る以上は、時間が有利に働くと言うのは無いぞ。
「時に、不躾ではありますがなぜ自分をお呼びで」
これ以上の深入りをするならばそこを明らかにしておこう。属に入れると言うならば給料分の働きはする。
「清流派よりの推挙があってな、島介ならば宦官の息が掛かっていないのでとり上げるべきだと」
「はあ、清流派ですか。これといって心当たりもありませんが」
荀彧が相談もなくわざわざそんなことをするとは思えないし、どこのどいつだよ。
「謙遜することはない。荊州や揚州、そして冀州での働きぶりをみれば明白だ。悲しいかな今は漢という国で自分よりも周りの者を大切にと行動する者は少ないのだ。だが俺はこの国を諦めるわけにはいかん。さりとてこの身だけでは限界がある。島介よ、どうか俺に力を貸してはくれないだろうか?」
真っすぐにこちらを見詰め、胸の内を明らかにされてしまう。相変わらず車騎将軍府はこじんまりとしていて、これといった人材が無いな。かたや兄を大将軍に持つが、妹が皇后で宦官に取り巻かれているか。どちらに肩入れをしても良くないとは、困ったものだ。
「自分の常識は世の非常識とほど近く、学もなく、これといった地の縁も持ち合わせておりません。親類縁者も誰一人おらず、財貨もなく、どこまでことを為せるかの保証もありませんが」
「その者の本性とは言葉ではなく行動が示す。貴官のそれは紛うことなき足跡を示している。それに、保証というのは俺がそなたに与えるものだ。頼む、国家の為にその能力を生かして欲しい」
上を指折り数えるだけで残りは全てが下だと言うのに、何苗というのはこうも真剣か。こうまで言われてのらりくらりとしていられる俺じゃない。こいつの志は俺の心に響いた、やってやるさ。
拳と手のひらをあわせ、胸を張る。目線はきっちりと何苗とかわした。
「何苗殿のお志に感銘致します。この島介を末席にお加えください」
近寄ると手を取って感謝を態度で示してきた。
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