第223話 安楽県令河間仮軍従事


「うむではそうする。お前たちは部隊を四つに分けて、それぞれ訓練を行うんだ、まとまって歩くぐらいは絶対にさせろ」


 ここから少し離れたところで、とりあえず返事を待つようにしよう。その間休ませてやる道理はないぞ、訓練中に逃げ出すようならばそいつら元からいないほうがマシと言うことだ。


 二日の後に返事が来た、もちろんOKというものが。理由は知らん。都は楽成県、もっと南に下ったところだ、冀州の北端が今いる場所だな。漁陽も含めて三つの郡の境目を通って来た、そういう場所は取り締まりが疎かになるのは、世界の共通認識で間違いない。ともあれ、大勢で押しかけたのに棗太守は笑って迎え入れてくれた。


「良く来てくれた、私が太守の棗範だ」


 中年で小太りの男、ご機嫌に見えるが腹の底はどうか。


「漁陽郡安楽県令の島介です、赴任出来ずにこのようなことに」


 事情は既に届いているとのことで、大幅に省いての挨拶になる。むしろ俺よりも詳しかろう。


「緊急事態なのだ、致し方あるまいて。途中賊徒と遭遇はしなかったか?」


「姿を見掛けはしませんでした。こちらをみて逃げたのかも知れませんが」


 数の暴力で圧倒できない相手は避ける、生物として至極真っ当な保身能力だと考えているさ。落ち武者は農民の獲物ってのは日本でもそうだったよな、集団を保つことこそが自衛になっているんだ。


「そうか、して文若殿、今後はどのようにするおつもりかな」


 そいつを俺に聞かずに荀彧に聞くか、まああいつのことを買っているっていう証拠だな。苦笑いをしそうになるが、ここは我慢しよう。


「まずは旗幟を鮮明にさせます。烏桓族と漁陽郡がどうするかを。敵でもない相手をこちらから攻めるわけにもまいりませんので」


「どちらでもないというのはやりづらいからのう」


 まったくだ。かといって返事をするわけでもないだろうに、黙って力を行使するのが一番賢い。


「張純を共同して倒そうと呼びかけるのです」


「有耶無耶にして明かさぬのではないか?」


 確かに俺もそう思う。検討しようとか、準備をするとかで動かんとかな。


「返事はどちらでも良いのです。誘いに応じたと噂を流せば、どうであれ行動を起こさないわけにはいかなくなります。そこで見極めるのです。といっても恐らくは反旗を翻すことになりますが」


 直接気楽に連絡を取り合えない時代だ、嘘がまかり通ることがある。時間差を利用して離間も出来る、そいつは妙案。逆にやられると困るが、互いの信頼があれば笑っておしまいだ。ではその張純と烏桓の丘力居とか言う奴の間にどれだけの絆があるのかとなると、まあ大したことじゃないんだろうな。


「それならばはっきりとしよう。して、敵と解ったらいかに?」


「主力の公孫賛軍が動きやすくなるように努めるのが我等の役目。烏桓族の国を攻める素振りを見せたりして誘引するだけで良いのです」


 ほうそうなのか、実際に戦うわけじゃなくてもいいならどうとでも出来るな。防衛戦はしなければならなさそうだが、城に拠って良いならどうとでもするぞ。


「文安と東平裾が突出しているので、そこが圧迫されるだろう」


「棗太守へ具申いたします。我等にその二城をお貸しください、烏桓の攻撃を耐え守り抜いてご覧にいれます」


 荀彧プランではそうすべきってことか、任せきりではいかんぞこちらも意気を示そう。


「守城戦は自分の得意とするところ、相手が一万程度ならば守り切る自信があります」


 胸を張ってそう強調した。住民の協力を得ることが出来れば出来なくもないだろう、この際相手が異民族なのは大きいぞ。何せ皆殺しにされる恐れだってあるんだ、嫌でも防衛に力を貸すさ。


「荊州軍の別部として功績を打ち立てた実績があるゆえ、島介殿を信じよう。郡の兵士二千も貸し与えるゆえ、二城を何としても守り抜くようにお願いしたい」


「どうぞお任せ下さい。ですが他所の郡の県令でも問題はありませんか?」


 そのあたりの制度は気にしたことが無かったが、それは俺が責任者だった場合だ。間借りをする側の身ではどうなんだ?


「仮の軍従事として督権を与える。県令には支援をするように命じておこう」


「ご配慮に感謝します」


 こうも好意的となれば努力を惜しまんぞ。後は公孫賛がしっかりと敵を討ちとってくれるのを待つわけか。あの鼻息の荒さだ、待機で過ごすわけがない。領土欲しさにあちこちに攻め込むだろう。それとわかっていることだが、この俺への信用は荀彧を介してのものだ、勘違いしてはいかん。


 物資が豊富な文安城、こちらに本拠地を置くことにした。東平裾には守備隊を送り込み、文聘と典偉を指揮官として配備させる、なお文聘が主将だ。多分だが張遼とでは文聘が働きづらい、甘寧では指示に従わない。張遼と甘寧でも角が立つ、そういう意味では典偉はこれといった文句は言わんからな。


「県の守備兵が五百で、こちらが二千五百の素人、向こうは同じく五百と郡兵二千。戦力的には東平裾の方が安心だ」


「我が君ならばそのようになさると考えておりました。こちらの負担が多大になりますが」


 まあな、逆だと申し訳なさ過ぎてな。それに守るだけなら民間人の労働力も見込める、そちらの方は大の得意だ。


「物資の堆積所とはいうが、あまり頑丈な城でもないぞここは」


 五百メートル四方の城は大きいとは言えない、城壁の高さも誇れる高さかと言われたら否だ。でもそこは心配していない、相手が異民族だから。城攻めをするのが得意なわけがないんだよ、漢にしか城はないんだから。


「略奪のし甲斐はありそうだけどな」


 観点が奪う側のそれになっているぞ甘寧。騎兵を相手にして平野では歯が立たんが、城を前にして馬では意味がない。相関関係とかいうやつだ、だから守るだけならなんとかなる。


「城門の管理だけは厳しく行う必要がある、そこには必ず俺達のうち誰かが傍に居るようにするぞ。暗夜開かれないように門の裏に兵の指揮所を置く位の注意が必要になる」


「されば仮の城門司馬を置かれると宜しいでしょう」


 そういえばそんな理由もあって存在するんだろうかあの役職は。


「ああ。公孫賛はどうしている?」


「啄郡を支配下に置いて、兵を増やしているようです」


「官軍として動いているんだ、住民の支持も違うだろうな。予想通り烏桓だけでなく、漁陽の張挙も反旗を翻した。真っすぐ赴任していたら苦労してたかも知れん」


 漁陽の都がすぐ傍だ、幾ら俺でも敵味方の判別もつかんうちに包囲されていては戦いにならん。


「朝廷でありますが、中郎将の孟益に討伐の詔を下したようです。出兵準備中とのこと」


 ふむ、全く知らんやつだ。冠無しの中郎将ってのも聞かんな、そういうものなんだろうか?


「そいつが来るまでここで籠もっていればいいんだろうが、人任せってのもなんだかしっくりとこないな」


「悪疫が広まらぬように抑えるのも立派な役目で御座います。少なくとも一度は襲来が見込まれるでしょう」


「そいつは道理だな」


 守るだけならどうとでもなる、囮として存在しているのだからな。だが本当にそれだけで良いのか? 力でぶつかるのは最後で良い、何を思って烏桓は反乱を起こしているんだ?


「……我が君、何をお考えで?」


「うむ。烏桓の丘力居が何故反旗を翻そうとしているか、理由を知っているか?」


 荀彧は少しだけ躊躇した後に「確たる理由は存じません」諜報の不足を認める。目の前の敵が何を思っているかを知らない、荀彧にしては珍しい。


「烏桓族は使者を受け入れるだろうか」


「まさかご自身が行かれるおつもりでしょうか。それはあまりに危険です」


 みなまで言わずにそう思ったということは、恐らくは転機はそこにあるぞ。烏桓といえば骨進がいたな、今は産まれても居ないだろうが。

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