第221話


 明瞭すぎる張遼の答えが、選択肢を狭くしてくれる。異民族に会いにいっても今は仕方がない、そこを目指すとするか。


「では薊近隣に居るだろう公孫賛を目指すとしよう。多少の兵力は必要かも知れん、道々で小集団を糾合していくぞ」


 場当たり的な行動だが、歴史というのはたったの一行だっていうのに、現実になると色んなことがあるものだな。


 ツレが増えたせいで動きが鈍くなったが、目的地が近くなったことで、六月の頭になり公孫賛軍と接触することが出来た。啄郡の方城県。義勇兵だの私兵だの言われるようなのが五百、ろくな装備もなければ訓練も出来ていない。ただ、ここに来るまでに典偉と荀彧が合流した。


 接触するかどうかを相談してみたところ「県に赴任するにしても、無視してはいけないので会われると宜しいでしょう」という助言を受けた。公孫賛の軍は騎兵が三千近く居る上に、歩兵までわんさかいて驚きだった。招かれて幕に入ると、七人の部将が侍っている。一人だけ文官の装いだな。


「漁陽郡安楽県令の島介です、これより赴任するところでして」


「都督行事公孫賛だ。都からということは、途中で聞いたかね」


 途中でというとあの布告だろうな。


「張元中山太守の戯言でしょうか?」


「はっはっは、戯言とは宜しい。何を思ったかあのような言を放った以上は捨て置くことも出来ん。不眠不休で早馬を走らせて、朝廷より鎮圧の令を受け取ったばかりだ」


 さてここで道は二つだ。このまま赴任するか、公孫賛に協力するか。もっともあちらが俺なぞいらんと言えばおしまいだ。


「安楽県がどうなっているかわかりませんが、私が赴任すれば滞りなく落ち着くでしょう」


「公孫賛様、見たところ何かの役に立つかも知れませんので、島らを手元に置いてはいかがでしょうか?」


 あの小役人かのような文官、こいつはソリが合わんのが確定的な雰囲気だぞ。こちらが居ないところで聞こえないように言う内容だろうそれは。


「関靖の言う通り、県一つに使うのは惜しい。どうだ島県令、暫し幽州の平定に力を貸してはくれんか」


 あいつは関靖というのか。さて荀彧の顔をちらっと見るも、特に反応はないってことは受け入れておくか。


「そのように仰られるならば、微力を尽くしましょう」


「幕を一つ貸し与えるゆえ好きに使うと良い」


 話は以上だ、って言葉が聞こえそうだよ。黙って引き下がり、言われるがまま幕へと入った。どこで聞き耳を立てているかも知れんから、取り敢えずは当たり障りが無い会話にしておくか。


「ここで厄介になるにしても、安楽県へ一報を入れておくべきだろうな。いつまで経っても来ないでは心配するだろう」


「左様で御座います、文若が手配しておきましょう」


 何か言っておけばことを運んでくれる、やはり荀彧が居ると楽でいいな。


「反乱だが、随分とあちこちで起こるものだな」


 単純に回数は多いし、規模が大きい。統制が効いていないと言うことだが、国家にガタがきているってことだぞ。いずれ滅びるんだからその序章ってわけだが。


「中華は広く御座います。西には西の、北には北の民族が居りまして、それらの首長がどうするかにかかっておりますので」


 単一民族なんてのは奇跡だからな、多数の民族が居てあたりまえだ。中央集権をすることで地方が蔑ろにされていると感じれば乱れもする。では地方に権力を分散したらどうかというと、そのまま独立反乱するんだよな。


「人なんてのは力で押さえつけても一時的にしか従わせることは出来んよ」


 それは千年先でもそうだ。多くの民族がそうやって抑圧されても、いずれは盛り返す。それが出来ずに世界中に散ったら散ったでネットワークを作り出し、民族の自我を持ち続ける。


「我が君はどのようにして人を治めるべきとお考えでありましょうか」


「ふむ。功績があれば賞して、罪があれば罰する。能力があれば重用する。ともあれ見守ることが大切だ。若いうちは乱れても、いずれ規律を重んじるようになれば、それで良しとする。人は成長するものだからな。経験者が若者を導き、年配者は後進に道を譲る。生活が安定すれば自ずと全てが向上する、そうしたら上の人間など居るだけで皆が上手くやるさ」


 兵士というのは見ていてやる、功績があればそれを褒めてやって報奨を与え昇進させれば喜ぶぞ。経験を後進へ継承し、老兵は去るのみ。一つの意志が培われれば、その思想の下に大勢が集まり支えようとする。まさに俺の軍人生活だな。


「おおっ、我が君のお言葉に文若は感動すら覚えます!」


「ん、どうしたんだ荀彧?」


 妙にはつらつとした顔だ、というか興奮しているのかこいつが。珍しいこともあるもんだ。


「孫卿新書の篇節でしたので」


「なんだそれは?」


 こいつが読むような書物を俺が知るわけないだろ。いってて自身が少し残念ではあるが。そのせいか、荀彧の顔に驚きが広がる、そのくらい知っておけってことだな。


「孫卿新書とは荀子に御座います。即ち我が祖先。荀子を知らずに荀卿の思想をこうも言葉にされたとは、文若は我が君を尊敬いたします」


「そんな大層なものじゃないぞ。ただ、体験からそうすべきだって感じただけだからな」


「無上の喜びに御座います」


 うーん、この空気はあまり馴染まん、お前ら何とかしてくれよ。と目で助けを求めても、素知らぬ顔をされてしまう。裏切り者たちばかりだ。


「上手いこと付き合えば土地は治まるだろうってだけの話だ。公孫賛はどうするつもりだと思う?」


 話題転換だ、もう敬われるようなのはお終いにしたい。


「張純をぶちのめして新しい太守を送り込んでお終いだろ」


「甘寧殿、烏桓族もおりましたが」


 苦笑いをしてそう指摘する、どのくらいの勢力なんだろうなそれぞれ。公孫賛にぶら下がるのは良いが、被害を受けるのはごめん被る。


「んじゃあ両方殴り倒すだけだ」


「先の泰山太守であった張挙は張純と従兄弟で、現在は郷里に戻っているとのこと。恐らくは十中八九、呼応するでしょう。漁陽郡、中山郡、西遼郡と右北平郡は時を同じくして立つはずです。啄郡のみは漢室へ忠義をたてるでしょうが、周囲が全て敵となれば程なく」


 ふむ、孤立無援で勢いがある敵に囲まれていれば、降伏やむなしだ。公孫賛がどうするつもりかだが、あの様子ならば大元である張純へ真っすぐ向かうか。


「張純の奴は何処にいるんだ?」


 相手が中山に居るかのように動いていたが、啄郡を制圧するならばもっと北にいるんだろうな。薊付近だとしたら案外傍にいるな。


「三者の中心は薊県、州治府でもありますればここを勢力下にすべく動くでしょう。或いは既にそうなっているかも知れません」


「公孫賛殿が募兵をしながら洛陽へ向かっているのは知っていただろうから、それより早くに決起して押さえようとするのではないか?」


「それならば、兵が集まる前に攻撃を仕掛けた方が有利ではないでしょうか。しかしそれをしなかった、または出来なかった理由があるとすれば?」


「文聘、続けろ」


 確かに情報を得ていたならば、準備が整う前に叩いた方が良いからな。


「年が改まり四月、五月では畑からの収穫が見込めません。六月になるあたりならば、葉物、根物、そして麦が手に入るので、それを当て込んでいるのではありませんか?」


 動員をするにしても食わせないといかん、麦は六月から八月にかけて刈り取るならばちょうどいいな。そういえばこの地域というか、中国ではその頃だ。日本なら米が秋ってイメージだから夏場ってのは少し馴染まんが。


「どうだ荀彧」


「実ったものが行った先にあるならば、食い詰めた者も共同することがあるでしょう。それこそが反乱を勢いづかせると考えます」


 一部の者だけでなく、広く薄くどういう風潮を産み出す為に、敢えてギリギリを選択したわけか。馬鹿では務まらん、用意周到な計画に違いないぞ。


「薊が占拠され、張挙と烏桓が同時に挙兵し、幽州全土で離反の空気が強くなると仮定するぞ。そうなれば公孫賛だけでは対抗出来まい、中央はどうする」


「涼州へ中郎将らを派遣したように、こちらにも中郎将を派遣することになるでしょう。到着には三か月はかかるかと」


 俺達で一か月だ、歩兵を連れて万の軍勢を集めてから移動させるならば、確かにその位はかかるな。すると九月までは自力で生き延びる必要がある、その上で逃げ回っていれば良いともならんな。決めるならば今すぐに薊に攻め込んで、張純を討ち取るべきだ。


「考えは決まった。公孫賛に意見具申をしてくるとしよう」


 その日の夜に公孫賛の幕へと荀彧と共にやって来た。傍にはあの関靖とかいうやつがいた、邪魔だな。


「おう島殿、いかがされた」


「意見具申に参りました。張純を即刻攻め殺すべきです」


 これ以上ない位に真っすぐ告げると、公孫賛は表情を失う。心を引き締めた、とでもいうべきかな。直ぐに乗って来ないと言うことは、反対の意見を練っているってわけか。


「それは島殿のご意見かな。それともそこの御仁の?」


 うん、こいつは荀彧を知らないわけか。やや後ろに控えている荀彧にチラッと視線を送る。


「某、潁川の荀文若と申します、どうぞお見知りおきくださいますよう」


「ほう、あの荀子の一族か。清流派の主流、我が師の盧植先生も一目置かれる氏族の者がこんなところに。するとこれは荀彧殿の意見かね」


 おや、今までの奴とは反応が違うな。恐れ入るとか、敬意を持つとかではなく、なんだ……毛嫌いしているかのような?


「これは私の考えです。張純らは他の賊徒と手と結び、反乱を大きくするでしょう。そうなる前に首魁を討ち取るべきかと」


「島は功を焦っているのではないか? 公孫賛殿は、お考えあって直ぐには攻めようとしておられないのですぞ」

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