第220話 安楽県令


「島司馬殿、後は我等に任されよ! これより河南軍が相手だ、進め!」


 続々と兵が入り込み奥へと踏み込んでいく。門の脇に寄ると水を口にする。肩に腕を掛けて「あんたすえげぇよ!」甘寧が大喜びしている。褒められるような内容じゃないぞこれは。


 屍累々の城門付近に騎馬した将がやって来る。


「ほう、これは何とも。島司馬よ、ご苦労だった」


「何苗殿、これが一番早い上に損害も少ないでしょう」


「はは、そなたの言う通りだな。私は烈士に報いるぞ、後方で休んでいるんだ」


「御意」


 皆で引き下がって城外で座って戦いを見ていると、官軍の圧勝で推移した。城を守っていると城門を抜けられると士気がガタ落ちになる、野戦ならそこがスタートなのにな。心理ってやつだ。


「俺には一つだけ心配があるんだ」


 ぼそっと言ったのを張遼が拾う。


「何か手落ちでもあったか?」


 皆が注目をした、こういう雰囲気を作るのは上司の役目だって散々言って来たからな。それぞれと目をあわせてからニヤリとして「危ないことをするなと荀彧に叱られるんじゃないかってね。はっはっは!」あいつが居たらもっと確実で危険が少ない手段を提示してきただろうことを示唆する。


「隠そうとしても明日の今頃には知ってそうですな!」


 いや全くだ。この戦の結果どころか始まりから推移までを把握して居そうで怖いね。何はともあれ、何と無くで始まった戦はあっという間に終了してしまった。


 中郎として今日も仕方なく宮でうろついている。戻って数日すると何苗は車騎将軍に昇進してた、属官だった俺はどうなっているのか今一つ不明だ。別にずっと使ってくれとも思わんが、あの後一言もなく解職ってのは寂しいよな。


 涼州方面は苦戦しているらしい、刺史が戦死したとかなんとか。そちらに行けと言われても何もおかしくないのに、どこからも何も言われない。あれ以来曹操も姿を見せないし、時間を垂れ流しているようで気味が悪い。


 あの兵士らには一時金があったらしいから、必要な措置はしっかりとしているんだろうと思っているぞ。張遼らは毎日遊び歩いている、その遊びが賭博などではなく、酒や女、時に訓練や学問だっていうから何も言わないでいる。


 上公って呼ばれている司徒、司空、太尉が罷免されては任命されるが繰り返される。どうなってるんだ、これじゃ仕事にならんだろうに。と思っていたが、こいつが売官の結果というものらしい。三公になりたければ五百万銭を出せば売ってくれるそうだ。


「島介の中郎の職を解き、幽州漁陽郡安楽県令に任ずる。即刻赴任せよ」


 なんの前触れもなく、突然そんなことを言われたのは五月の初めだった。どこだよそれは……まずは受け入れておいて四人に相談というか報告をした。


「幽州とは、また辺鄙なところへ派手に飛ばされましたね」


 文聘に笑われる。江南よりも田舎ってことか、だからって雲南ほどじゃないんだろ? 地図上の右上の方角、内モンゴル、北京の北四百キロ、北朝鮮の西北西六百キロ、何でも良いがもう住んでいる民族が違いそうだな。


「勝手にやって良いぞって思えば、まあ悪くもないだろな」


「県長ではなく、県令というならば人口はそれなりに存在しているはずだ。行くだけ行ってみてどうにもならなければ、遠出したと思って帰れば良い」


 取り敢えずはついてくるって意思表示なんだよなそれは。


「荀彧に報せるだけ報せて、さくっと出かけるとするか。経路はどうしたらいい?」


 地理感覚がない、何せ正反対のところで生きて来たもんだからな。


「そうだな、陳留、濮陽、業、中山、薊、そして安楽県といった感じだろう。郡都を経由しておけば道もあるし迷わんですむ」


「じゃあ張遼に任せる。典偉は荀彧への連絡を頼むぞ。もしすれ違ったらお互いに経由地の南門の兵士に伝言をしておくようにな」


「わかった!」


 何か忘れていることは無いかと頭を捻ってから「あっちは寒くなるだろうから、防寒具を買って行こう。この真夏のくだりに何を言ってるのかと、頭を疑われそうだがな」というと皆に笑われたが、用意していく事には賛成を得られた。必要になってから慌てて揃えるのは失策だよ。


 地図を思い浮かべてみて、下関から東京までより少し遠いなとあたりをつける。そこが大体千キロだから、千二百キロくらいか? 世界地図を想像して、大まかな距離感を掴む時に良く使うので大雑把に計算をしてみた。


「街道を使い、馬で俺達なら一日の距離はどのくらいだ?」


「百五十里はいけるのではないですか?」


 里は四百メートルだったな、六十キロか。何の障碍もなく真っすぐ進んでも二十日、途中で馬を休ませる日を挟んで二十五日。どうせ面倒があるだろうし、一か月かかると思っておけば大体外さんだろう。


「今が五月初旬だ、六月の頭頃に到着と見積もっておこう」


「いや大将、あんた行ったこともないのによくすぐに日にちが分かったな」


 皆に驚かれる。こんなことでか? 正確な地図や距離を知っているわけじゃないからな、そうもなるか。


「実際どうなるかは知らんぞ。道があって、馬が素直で、長雨もなく、順調に進んでのことだからな?」


 一日二日の余分な食い物くらいあれば、後は道々で買いあげながら移動すればよい。適当に準備をすると、俺達は洛陽を出た。誰かに別れを告げなければならないわけでもないからな。陳留、濮陽、業と何の問題もなく通過して、中山で異変を感じる。


「なあ、時折見かけるあの集団は何だと思う?」


 百人くらいの集まりで、あちこちをうろうろとしているのを見掛けたりする。巡礼とかではなく、何と無くだが暴徒のように見えなくもない。


「九門県でちらっと耳にしたのですが、何でも漢へ不服がある者達が狼藉を働いているとか」


「反乱だろ反乱。まあこんな外れに来たら、大人しく従っている方が稀だろ」


 そういうものか? 中央政権から離れるほど、地方の政治は反発が酷いとは思うが。北海道や沖縄がそうだからな。近づいてくるぞ。


「おうお前ら、ガン飛ばしやがってケンカ売っ…………えーと、お兄さん方、何かお手伝いしましょうか? へへへ」


 出オチか! 十人位できたはいいが、こちらを見てあっさりと手のひらを返したな。甘寧が睨むからだぞ。


「中山郡都の盧奴に向かうところだ、案内しろ」


「へい!」


 先頭を行く張遼が眉をひそめて低い声で威圧しながらそう言った。素直に従うんだなお前達、まあいいが。手綱を曳いて腰も低く案内をこなす、なんなんだろうな一体。


「このあたりの有力者はどなたでしょうか」


 丁寧に聞いているが、尋問のようなものだな。文聘はきっと何とも思っていないだろうが。


「そうっすね、まずは中山太守の張純様は大きい。んで、公孫賛や丘力居あたりですかね」


 お、公孫賛だけは知ってるぞ。北の方の一族だよな、似たのが沢山いるはずだが。


「丘力居殿とは、異民族でしょうか?」


「へい、遼西烏桓の大人で結構こっちのほうまで来るんすよ」


 朝鮮の西側だったか? 海の見えるあたりから来てるってことだろ、何しにと言えば略奪なんだよな。


「あちこちで見かける小集団はどなたの影響下なのでしょう?」


「あー、誰ってわけじゃねぇんですがね、税金入れるのも嫌だってはみ出し者でさぁ」


 不服住民をまとめている奴らは居ないんだな。そんなのがのさばっているのに、太守は何をしてるんだよ。張純というのは役立たずだな。


「盧奴に入ってはまずい身の上でしたか。近くまでで結構ですよ」


「へへへ」


 遠くに見えていた百人の集団、こちらを見たはいいが目を合わせようとしない。半グレ以下の農民か、まとめ方次第ではどうとでもなりそうだ。城から騎兵が飛び出した、それも結構な数が。バラバラということは伝令か。


 こちらの方にも走って来るので「甘寧、一騎捕まえてこい、話を聞くぞ」サラッと命じた。今まで無言だった俺のことを不服住民らが見る。


「あいよ大将!」


 荒くれ者を体現したような甘寧が素直に言うことを聞いて馬で駆けだすものだから、恐れ入ったかのように身を小さくする。馬を併せて少しすると、二騎でこちらへとやって来る。官兵? いや少し違うような?


「大将、布告の伝令だってよ」


 視線をやると一礼して暗誦していた布告内容を告げた。


「元中山太守である張純は、これより弥天将軍・安定王を称し、幽州、冀州一帯の支配者となったことを世に告げるものとする!」


 うーむ、役立たずではなく扇動者だったか。この布告はつまるところ漢への反逆だよな、面倒な現場に居合わせてしまったものだ。騎兵を解放すると盧奴を見据える。


「別にあそこを通らずともたどり着けるが、どうする島殿」


「そうだな、公孫賛を探すとするか。近くにいるとのことだが、居場所を知っているか?」


「へい、幽州の都、薊に向かってるって話で。何でも涼州にまで遠征するってんで、行く先々で兵を募集してるってことで」


 董卓と董重だったかの増援? いやもう別人が指揮しているか、まだ反乱は収まっていなかったんだな。血の気の多いのを根こそぎ引き連れていくと、このあたりの治安が良くなるという戦略的募兵でもある。


「安楽県というのは?」


「薊のまだ北側だな」

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