第217話 郎中河南尹司馬


 やっぱり有名人だったか。変だとは思ってたんだよずっと、こうも軽く知っていると言われたらおかしいだろ。テレビもネットもないんだぞ?


「向こうでは大した争いもなく、落ち付いていた。少しやんちゃをする奴は居たがね。何より暖かい」


 どうでもよいことを一番強調してやると、曹操は笑って同意してくれた。こいつの目に俺はどう映っているんだろうか。


「順番は逆になるが、郎中から県令に転出し、歴任して中央へ戻り、太守で転出し、卿へと昇進する。一応それが推挙された者の一つの道だが、島殿は何を目指しているのか」


 それだが、別にもうやりたいことはないぞ。だから誰かに言われるがまま何と無く生きているんだ。俺のようで俺じゃない気がする。


「どこか辺境で畑でも耕して暮らすさ」


 取り敢えず宮で暮らすのはあまり長いことはごめんこうむる。息苦しくて仕方がない。


「そうだな、外に出て力を蓄えた方がいい。俺も議郎で召し出されるまでは故郷で鍛錬の日々だった。今や中央は何皇后と何大将軍、何河南尹の何一族の力が極めて大きい。大将軍と宦官の軋轢に巻き込まれてはたまらん」


 さあ知らんのが出て来たぞ、何大将軍は何と無く聞いたことがあるが、他はなんだ? 皇后ってことは劉協の母親だったりするのか? いや、王氏だったか? うーむ、わからん。


「そんなに凄いのか?」


「君は知らないのか? 皇后は帝の寵愛を受け、弁皇子を立太子させた。王美人が協皇子を産んだ際には嫉妬でこれを謀殺した。その後、協皇子は董太后に養われているがね。兄である大将軍の何進は軍事に明るく、漢の治安は守られている。次弟の何苗もまた有能で、帝は信頼を寄せているわけだ。河南尹として首都圏の行政を、大将軍として軍事を、皇后として後宮で強大な力を振るえるんだがどう思う?」


 皇族の姻戚とうやつだな、確かに黄巾の乱を平定し、首都の政治まで握っていたら手も足も出せんな。そのうえ有能ならそれでいいじゃないか。


「民が暮らしやすい世の中になるなら、願ったりかなったりだな」


 でも世が乱れていたんだろ、こいつらだって何をするやら。にしても何皇后、劉協の母親を殺した犯人か、俺はそいつと仲良くなれそうにない。ということはこの何兄弟とも敵ってことだ。


「俺が言えた義理ではないが、宦官が居る限りそうそう平和にはならんよ。何大将軍も手を焼いているらしいが、皇后に邪魔をされて排除も出来ずにいる」


 ん、この兄妹は仲たがいをしているのか? というか宦官、これが全ての悪だと言われているな。ただただ世話をするだけなら良いが、そうもいかんだろうな。権力者の傍仕えは難しい。


「そういう曹操殿はどうしたいんだ?」


 どうなるかは知っているぞ、世界制覇だ。きな臭い道も通るが、大衆の支持なくしてそれは出来ないんだ、名君だな。この頃からそうなりたいと思っているとしても、口には出さんだろう。


「さて乱世の奸雄と呼んだのは君じゃないか」


 おっとそう言えばそうだった、ひねた英雄になるために権力を得るつもりだと知っている体だった。すっかり忘れていたよ、それ俺の言葉じゃないからな。


「上手いこと宦官の力を奪うことは出来ないのか?」


「それは……ここで話すことじゃないな。もっと保身に気を付けた方が良い」


 押し黙って聞かないふりをしている女たち、か。そうだな、どこで誰が聞いているかわからん。


「働かんで酒ばかり飲んでいるわけにもいかんだろ、俺はそろそろ行くよ」


「ああ、君が洛陽に居るとわかっただけでも収穫だ。屋敷はどこだ?」


「宿なら借りているが、あれは飯店の二階だよ。友人らと雑魚寝の予定だ」


 笑って内情を暴露すると、ほぅといった表情になり頷く。


「郎中など長く居るようなものではない、それが正解だろう。後日酒を届けさせる、友人と飲んだらいい」


 いかにも話が分かる好人物を演じられてしまった。或いはこの頃は本当にそういう感じだったのかもしれないな。そこらを適当に散策して宿に戻ると、部屋には誰も居なかった。夜中になっても戻らない、文聘すらも。口ではああ言ってたが、興味がないわけではなかったか。


 どうでも良い感想を持ったまま、朝を迎えることになる。下の飯店で肉まんと茶を腹に入れてから、内宮へと向かう。官服のおかげで差し止められることも無かった。内城のところで武官服の一団とすれ違う。腰に下げている銀印青綬が二人。足を止めてこちらを見た。


「貴様見ない顔だな、何やつだ」


「昨日着任した郎中の島介です」


「うーん…………朱儁将軍が荊州で言っていた島介か?」


 朱儁は将軍だったか? なったんだってことでいいよな、浦島太郎に無茶ぶりをしないでくれよな。


「荊州で別部司馬をしていたことならありますが」


 興味を持ったのかこちらに向かってくる。この時代の標準的な成人、百五十センチをいくらか出ている位だ。俺が大男で盧植は巨人だな。


「俺は河南尹の何苗だ。詔が出て蛍陽の賊を鎮圧してこいとのことだ、司馬に取り立てるゆえついてこい」


 おお、なんて強引なんだ。だが宮でぼーっとしているよりは百倍マシだ。


「承知。直ぐに出兵でしょうか?」


「そうだ、お前も準備しろ」


「部将が宿に居りますので連れてきます。すぐに河南軍へ合流を」


「よし。おい牽招、武庫令を呼びだせ、すぐにだ!」


 供回りを連れていってしまった。なんだ、もしかして何苗ってやつは普通に仕事をするタイプ? まだわからんが、皇后は敵だとしても兄弟は別なのか? うーん、荀彧に今度聞いてみよう。というか郎中というのは随分と雑な扱いをされているんだな。


 取り敢えずは宿に戻りはしたものの、まだ朝方なので誰も居な……いや、朝帰りという奴か。そこらに転がって四人がいびきをたてていた。ふむ。


「おいお前達、仕事だぞ!」


 まずは声をかけてやる。帰って来たばかりだろうが今動きたいんだよ、別に寝てたいならそれでもいいが。


「んー親分、さっき帰ったばかりなんですよ……」


「俺もだ、仕事って?」


「寝ぼけているのは解るがしゃきっとしろ。詔が下って賊退治に出る首都軍の司馬になった、直ぐに軍に合流しろって話だ。ここに居たければついてこなくても構わんぞ」


 やれやれと腕組をして顔をしかめると、転がっていた奴らが飛び起きる。


「詔ですか、では禁軍ですね! 私は行きます」


「面白いじゃねぇか、俺も行くぜ!」


「じゃあ文聘と甘寧は連れて行こう。お前達はどうする?」


 張遼と典偉に視線をくれてやると、にやにやしている。


「親分が行くなら俺も行く」


「行くに決まってんだろ! しかし、郎中ってのはどうしたんだ?」


 それな。兼務してることになるんだろうが、こっちが聞きたいよ。


「さあな、俺にも解らん。大将は何苗河南尹、要は洛陽太守だな。目的地は蛍陽、今すぐに軍へ行くぞ!」


 どこに駐屯しているかは知らん、そこらの奴に聞けばわかるだろう。宿の主人に聞くと、兵営は東の方だと聞かされたのでそちらへ歩いて行った。途中で巡回の警備兵がいたので捕まえると案内させることにした。


「これより先は立ち入り禁止だ!」


 城門司馬とかいう奴が区画に立ち入るなと差し止めて来た。一般人は入るなってことらしい。


「俺は河南尹軍司馬の島介、何河南尹に命令を受けてやって来た」


「では入られよ」


 郎中の官服を纏っていたせいか、まあ細かいことはどうでもいい。忙しそうに兵が動き回っているな。

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