第216話 郎中

「荊州に辟召されしも署さず、江南にあって孝廉と推されし島介を光禄勲府の郎中に任ずる」


 意味不明な言葉を残し、巻物を手渡すとその使者はさっさと帰って行った。困った時の荀彧だ。


「我が君は孝廉に推挙され、中央への栄転を命じられました。おめでとうございます」


「うーん、これはめでたいのか? まあ荀彧が言うんだからそうなんだろうが、実際はどうなんだ」


 中央って、つまりは朝廷だよな。俺にはあの雰囲気で大人しくしていろってのは無理だぞきっと。しかも郎中ってのが何かよくわからんが、中郎将は聞いたことがある。郎中と中郎は別か?


「本来ならば不惑を経たものしか推挙されませぬが、我が君は既に荊州や揚州で功績を打ち立て、民の評判もすこぶるよろしく、郎中はさほど時間をおくものではないでしょう」


「これに従った方がいいと考えるのか?」


 軽く頭を下げてそうだと肯定する。うーむ、ではそうするか。


「わかった。だがそうなるとお前達や県はどうなるんだ?」


 陳紀らも避難してきたのに、それを放置して行ってしまうのは流石にどうかと思うぞ。


「我等も官を辞して、潁川へ戻りましょう。そう遠くないうちに動きは見えましょう」


 にこやかに大予言をぶっこんで来たな、そういうものなのか? なるようになるさ。


「そうか。で、こいつはいつ実行させれば?」


「可及的速やかに、と申し上げておきましょう」


 おっと、こいつは参ったな。ここでもその言葉を聞くことになろうとは、何故だろう少し嬉しいのは。


「よし、では全員に触れを出せ。ここを出発するのは七日後だ!」


 潁川までは同道し、その後は張遼、文聘、甘寧、典偉の四人がついてきた。洛陽に入ると物凄い意外性があった「なんだ都会だな」前に来た時は瓦礫を端に寄せて復旧している最中って感じだったが、許都よりも栄えているぞ。


「島殿は都に来たことが無かったのか。さすが帝がおられる場所だぞ」


 ふーむ、張遼はそう言うが、他の奴らは目を開いてあちこちを見ているが。まあいい、まずは寝床を用意するか。城内にある宿へ行き、大部屋を一つ貸し切りにした。金は暮らすに不自由しないどころか、何年か働かなくてもいいくらいあるぞ。


 離任すると布告した時に、住民らが持たせてくれたんだよ。銭は受け取ったが、モノは持ち歩けないので貧民に分け与えるようにって残してきたんだ。


「荀彧の話では、そんなに長くないらしいから、適当に過ごしていてくれ」


「都でなら暇を持て余すこともないからな! なあ仲業」


「訪問したい屋敷が幾つもあります、確かに暇はしないでしょうね」


「そうではない、花街のことだ。面白味のないやつだなお前は」


 今回に限り張遼の意見と同意だよ、口には出さんがね。今も昔、いや未来も男が欲するのは酒と女と力だってのは変わらんよ。さて、旅装のままだが禁城へ行ってみるとするか。大きな内城の前には、武装した兵士が立っていて目を光らせている。ほう、真面目な奴もいたもんだ。


「止まれ、身分を示せ」


 一日中これをやっているんだよなこいつらは、職務熱心でご苦労様。印綬を取り出そうとして、やはり布切れを取り出す。


「孝廉に推挙された島介だ。通って良いかね」


「どうぞ!」


 荀彧曰く、孝廉という国家一種のような資格を持ったのが毎年二百人前後こうやって推挙されるらしい。それでも二人に一人以上は呼ばれても来ないそうだ。喪中だとか、地元で働きたいとか、大変だから嫌だとか、或いは拒否ってやったぜ俺すげぇ……というわけでもないが、箔をつける意味でというのも居たらしい。


 内宮に進んでいくと、今度は別の装いの衛兵にとめられてしまう。ここでも同じようにして門を潜ったが、衛門を抜ける先は今までと景色が違った。これが国家の中枢か、厳かな感じがするぞ。難しい顔をして突っ立ていると声をかけられる。


「その方、いかがした」


 振り向くと、何とデカいやつがいる。これは! 二メートル近くあるぞ、文官服を着ている。印綬は……銀印青綬か。一礼する。


「推挙を受けて今しがた出仕したところです。島介と申します」


 両手で布切れを差し出すと、それを手に取り読む。この体格で文官とかどうなってるんだよ。


「ふむ、尚書令の盧植だ。府まで案内してやろう、ついてくるのだ」


「はい」


 聞いたことがあるな、盧植っていうと黄巾賊を退治しにいった軍団長の名前だぞ。だとしたら納得だよ、そっちが本職で今は内勤のようなものだろ。謝辞を述べて別れたが、何とも印象深い人物だと思ったよ。丁寧な中にも芯がある。控室のようなところで着替えをするよう言われ、儀礼的な風味がある武官服に着替えた。


 こいつはプロイセンやナポレオン時代の騎兵服のような感じだな。勇ましさの中にも、気品があるような。多数の人がこれといった用事もなく屯しているだけ。なんなんだここは? よくわからずに壁際で背を預けて立っていると声をかけられる。


「ほう、貴殿は島殿ではないか!」


 ん、誰だ? そこにはこちらと違ってゆったりとした服装に、綺麗な刺繍が入ったものを着ている人物がいた。黒印青綬は今のところ上官だな。


「お久しぶりです曹操殿」


 こいつどこかの太守じゃなかったのか? まああれから年月が経っているからおかしくはないが。


「こんなところで顔を会わせることになるとはな。噂は聞いているぞ、荊州や揚州で随分と名をあげたそうではないか!」


 どこからそんな話を聞きつけて来るんだよ、まったく。


「お陰でわけもわからずここに放り込まれた。野山を駆け回ってる方がよっぽど性に合ってるんだがね」


「俺もだよ。議郎というのは定職がない、思いついたら奏上しろというものだ、つまりは出仕だって自由だ。何となしに顔をだしたら思いがけない再会とは、天も粋なことをする。どうだこれから一献」


 おいおいまだ昼だぞ、まだ挨拶もしてないのに。


「実はまだ着任の挨拶すらしてない。光禄勲というのはどこに?」


 名前は丁宮だと聞いたぞ。ひととなりは知らん。


「出仕などしているわけがないだろ、名ばかりの卿だよ。その下の中郎将、董卓も董重も今は西涼へ遠征中だ」


 董卓ねぇ、董重ってのはそっくりさんか?


「それでは何故ここにこんなに人が?」


 上司が全部不在でうろついている理由を知りたい。結構な人数が居るぞ?


「それは島殿のように知己に声をかけられるのを待っているからだ。そういうわけだ、付き合え」


 ふむ、暇つぶしのようなものか。それなら抜け出したって構わんな。


「なら行くとしよう。来たばかりで店なぞ知らんが」


「心配するな、良いところを知っている!」


 そりゃそうだろうな、仕事は無い金はあるとなれば、遊ぶというのが多くなる。全てを研鑽に費やそうとする奴が誘ってくるはずもないからな。悪びれることもなく、街に出て酒屋に入る。ただし女が侍るような場所にだ。しかも官服のまま。


 それが珍しいことではないようで、特に驚くこともなく普通に受け入れられてしまう。きっと高級クラブのような場所なんだろうな。酒が出されて、テーブルには珍味が並べられた。色っぽい女が隣について酌をしてくれる。久しぶりだなこりゃ。


「再会に乾杯」


 真鍮の三本足がついた器を少し掲げて飲み干す。おちょこ位のものなので、一口だけだ。曹操か、今はまだそこらの中堅と変わらないんだな、どうしても晩年の姿を浮かべちまうよ。


「荊州で官を捨てたと聞いたが、何故江南に?」


 一度捨てたからと官にならないわけじゃない、してくれるかは別だが。


「そうしたらいいと荀彧という奴に勧められてね。荊州で賊と戦ったのも、似たような経緯だったが」


「荀文若の助言を得られるとは、何とも羨ましい限りだ」

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