第215話


「そんなあの方のお気に入りが主君なのです、どうぞ気を大きくお持ちになりますように」


「俺が? どうしてお気にいりなんだよ、何もしていないぞ」


 いや、本気でだ。話をしたのも数回で、あまり関わりはない。


「それは、我等清流派の求める姿が、主君と重なるからで御座います」


 そういわれてもな、よくわからんがこいつの勧めを容れて動けばいい、深く考えないことにした。


 県を張遼と文聘、そして甘寧に任せて、俺は百人の兵を引き連れて宛陵を目指した。部隊は典偉が指揮しているので、道中は陳紀、荀彧と雑談を楽しみながらだ。真冬、年が改まって早々に出かけたので日中だけ移動して、隣の郷に辿り着いたら一泊するのを繰り返し、七日掛けてやって来る。


「ほう、中々の賑わいがあるところだな」


 どこと比べたら分かりやすいだろうか、大都市とか首都よりは格段に落ちるが、県庁所在地のような感じか? しっかりと行政が機能しているし、人口も居るが街の面積がそこまで広がっていないような。ともかく、最近行き来している県とは格が違うと感じられるだけの規模だ。


 内城の門衛に黒の印綬を示すと招き入れてくれた。それなりの雰囲気を出している城主の間、その主座に中年が座っている。真っすぐ進んでいき「襄安県令の島介です」名乗る。丹楊郡の県令でなくてすまんね。


「丹楊太守周欣だ、よく来てくれた。そちらは?」


 左右に控えている二人に視線を送る。荀彧が一礼する。


「潁川の荀文若に御座います。周太守のご高名はかねがね」


「なんとあの荀氏であったか! いや、文若殿にお会いできるとは光栄」


 やっぱりこいつ名門のお坊ちゃまなんだよな、こんな時代で名前を知られているって凄いことだぞ。


「私はただ主君に従っているまで御座います」


「主君とな? この島介殿がか?」


 俺で悪かったな。だがその言葉、完全に同意するぞ。荀彧はにこりとするだけで押し黙ってしまう。


「申し遅れました。私は潁川の陳元方、目下島県令のところに厄介になっております。以後お見知りおきを」


「ち、陳元方殿と! これは失礼仕った、某、周泰明で御座います。おお、こうしてはおられん、歓迎の宴をご用意させて頂きますのでどうぞこちらへ。ささ、どうぞどうぞ」


 荀彧と目を合わせて、こういうことかと声に出さずに通じ合う。もしかすると荀彧は控えめに言っているのかも知れない疑惑がある。


 別室で席を設け、陳紀を上座にと勧めると「私はただの居候。島県令が上座に」などという始末だ。おいおい勘弁してくれよな。


「ここは丹楊の治府ですので、太守が上座に座るべきでしょう」


 もっともな一言を吐いてすっと脇に座ってしまう。陳紀、荀彧もそうしたので、太守も仕方なく上座に腰を下ろした。妥当だろ? どこの地方でも酒は独自に作っているようで、似たものはあっても風味は全てが微かに違う。丹楊の酒もうまかった。


「しかし驚きですな、陳先生が江南にいらっしゃるとは」


 調べないと知ることが出来ない、時代だな。こちらだって上司の顔すらしらんかったわけだが。


「少し騒がしくなりましてな、江の風は気持ちよいとのことで少々」


 深くは聞くなってことか、中央に招聘されてそれを断ったから近くにいるのもどうかってやつだよなこれは。すまし顔で肴を口にする荀彧が、一瞬だけこちらに視線を送って来た。何かしらのタイミングってことか。


「時に周太守、自分を呼んだ御用件は」


 ってことでいいよな、何と無くで呼んだでもいいが、それじゃ恰好がつかんぞ。ああ……みたいな空気があってから、何かを思いついたような顔つきになり「春穀と頸の県令は島殿の手勢とのこと、その手腕を見込み島殿を丹楊郡尉に招きたいが、どうか」郡尉というと、ようは郡の武官長だよな。


 襄安は誰かに任せるとしてだ、丹楊全域での自由が利くのは果たしてプラスかマイナスか。荀彧どうなんだ。視線を送るとこちらをじっとみて頷こうとはしない。ダメか、じゃあお断りしよう。


「先だって朝廷より県令の印綬を受け取ったばかり、職務に専念したく思います」


「そうか、そうだな」


 他郡の県令だからこそあまり突っ込んだことは言えない、グレーゾンでの活動をしているからな。襄安だけが盧江郡で残りは全て丹楊郡、だが指示は俺が出す。敵対しているわけでも何でもないがね。


「周太守、山越の動向はいかがでありましょうか?」


 荀彧が話題を変えた、あちらもこれ以上俺に何かを言うことも無いとばかりにそれに乗る。


「丹楊の南半分は統治が行き届かずとの有様。己の不徳を恨めしく思うよ」


「それでありますが陵陽は島殿が影響を受け入れました。夥県も連絡こそつけづらくはありますが、漢の下に御座います。ただ……揖県は少々不安が」


「ほう陵陽、夥のことは嬉しい限り。して、揖で何が?」


 アヘンの拡散を防ぐために太守に行動をしてもらいたいが、見たことも聞いたこともなければどういう反応を見せるやら。


「南越の毒草が蔓延しておりました。速やかにこれを焼き払いましたが、根絶するには今しばらく掛かるでしょう」


「なんと毒草が! 夥県令に警告を与え、揖県を支えるようにさせよう」


 郡の中では飛び地ではあるが、その二つは隣接している、助け合うようにってならそれでいいさ。しかし、この太守は随分と荀彧や陳紀に対して遜る感じがする。やはり俺なんかが傍に置けるような奴らじゃない可能性が濃厚だぞ。その後、小一時間ほど雑談が続き、これといった話題も尽きて来た時のことだ。


「陳先生、是非とも私に教えを説いて頂きたく」


 周太守が陳紀にお願いをした。即座に断らないか、では俺達は邪魔だな。


「周太守、自分はこれでお暇します。城内を見て回りたいのですが、許可を頂けるでしょうか?」


「ああ、構わんよ」


「ではこれにて失礼」


 そういって一礼して立ち去ろうとすると、荀彧もついてくる。


「周太守の願いですからな、無下にも出来ません。ではこちらで」


 陳紀が一つ段が高い小あがりのような場所へと席を移すと、周太守もそれに従う。屋敷を出て城下へ出ると肌寒い、酒が入っているので出た直後は少し気持ちよいくらいではあるが。


「我が君、練兵場へ行ってはみませんか」


「どうしたんだ急に、何かあるのか?」


 兵士がいるだけだろうに、別に嫌じゃないが。


「丹楊兵を見ておくのも宜しいかと思いまして」


「うん、丹楊兵? この地の兵だな、どういうことだ」


 そうまでいうなら何かしら理由があるはずだからな。そうまで言わなくても荀彧なら全て色々考えた末のことだと知ってはいるがね。


「かつて、呉より出でた諸将らが率いた軍兵は非常に精強で、中原の諸兵に比べ頑強との誉れ高い評価が与えられております。わざわざここへ徴兵しに来るものすら御座います。その丹楊兵がいかほどかを、この目で確かめておきたく思いまして」


 この目でとはいうが、俺に見ておけってことだよな。強兵を産む地域か、気になって来たぞ!


「なるほど、では行ってみるとしよう」


 練兵場に近づくと、気合いの入った掛け声が聞こえて来た。門を開けて中に入ると、そこらの者よりも少し身体が大きく、若干肌が焼けたような感じがする兵士らが素手や棒を使って訓練をしていた。


 …………これで雑兵だというなら確かに化けるぞ。二年兵だとしても、概ね下士官に使えるくらいの戦闘力だ。


「おい、この中で一番階級が高い奴はどいつだ!」


「はっ、俺です!」


 駆けて来た二十代前半の男、筋肉がついていて骨からしてそこらの奴らとは違うな。伯長か、腕試しをしてみるとしよう。


「島県令だ。少し運動がしたくなった、相手をしろ」


「畏まりました」


 棒を受け取ると軽く振ってみる。さて、丹楊兵の腕前拝見! 真っすぐの突きから始め、徐々に難易度をあげて行き、防戦一方になる若者の喉元に棒を突き付けた「もう二人来い」覚えがありそうなのを呼び寄せて三人を同時に相手してやる。


 真剣ではないので多少苦しい場面もあったが、少なくとも現在の手下にはこれだけ出来る兵は居ない。結局は三人を二度ずつ棒で突いたり叩いたりしてやり訓練を終える。


「これが丹楊兵か、確かに強い」


 そういうと荀彧が微笑む、というのもだ、兵らの熱視線をあびているからだな。


「島県令、我等が三人で対したというのに一太刀すら与えることが出来ないとは! 感服致しました!」


 膝をついて首を垂れる。これは経験の差でもあるが、叩かれた位じゃ死なないと思って大胆に動いた結果でもあるからな、あまり褒めるなよ。


「なに、丹楊の酒が美味かったからだよ。縁があればまた会おう」


 練兵場を後にすると、総員から見送られる。良い運動をしたな。丹楊兵か、配下に欲しくなったぞ!


 春がやって来て、梅があちこちに勢いよく芽吹いてくる。時には暖かい日が混ざる頃、不意にその使者はやって来た。わけもわからずに取り敢えずは会うことにする。



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