第208話 春穀県令


「このあたりの食糧事情はそこまで不足しているのか?」


 気になったことは隣にいる荀彧に、細かなことでも尋ねてみて常識を拡げることにしている。


「江南はまだ良い方です、一度不作で飢饉が起これば人が人を食らうことすら御座いますので」


 うむ! そこまでなっていても政治は正しい方向へ向かわんのか、こいつは命数が尽きたと言われても文句は言えんな。きっちりと耕作して牧畜を行えば、どうとでも養えるだろうに。これも官僚制度が悪さをしている。土着の有力者を作らないようにと、長いこと赴任している長が少ない、だから長期改革出来ない制度で来てしまっているからだ。


 ざっと見たところ、倉から引いてきた食糧があれば百人でも一か月は食っていける。狩猟しながらならば目減りは防げるので、全て持ち運ぶのは邪魔でしかないが、手元に無ければ持っていないも同然の時代、権利はきっちりと確保しておくべきと身に染みていた。


 朝から晩までずっと歩き通しで来させたが、兵の体力は全く問題が無かった。どうやら飢餓状態ではあるが健康体で、食事が出来るなら脱落している場合ではないと感じたらしい。夕食にも狩ってきた鹿肉入りの汁を出すと、これまた嬉しそうに食べた。


 腹が落ち付いたあたりで立ち上がると中心部へ行き周囲を見回す。


「聞け、俺が島介だ! 募兵の際の取り決めを決して違えるな、忘れた者は思い出すようにしろ。何せ言う通り従っていれば飯は食わせてやるし、上手い事運べば酒だって振舞ってやる。いずれ住む場所に家族を呼ぶことだって出来るようになる、だからよく考えて行動しろ!」


 奪われるだけ、見捨てられるだけだった兵らの半生に、一つの転機を与えてやるんだ。優秀者が欲しいわけではない、今必要なのは手駒の数だ。ある程度居ればそこから先はどうとでも膨張させることが出来る。


「俺は大将についていくぞ!」

「メシさえ食えれば文句は無い」

「こんな好待遇を続けられるのか!?」


 反応は上々だな、ブラックな内容に思えたが時代はそれを許容しているか。城を落とせばそれで解決する、明日の朝だ、ここできっちりと決めるぞ!


 地べたに毛布を敷いて転がる、傍には典偉も転がっていてあくびをしていた。事の前でもリラックスしているのは良いことだよ。荷物をまくら代わりにして目を閉じ、ふと肩をゆすられる。


「島殿、もうすぐ夜明けだ」


「ああ、お早う張遼。朝は熱い汁物と少量の肉にするんだ。兵にも腹を負傷したら命を落としやすいから制限しているだけだとちゃんと説明しろよ」


「了解した」


 早速飯をケチられたと言われてはかなわんからな。肌寒い風が吹くとついブルブルと震えそうになる。今まではボロ一枚だった兵も、与えられた衣服を上から重ねてきているので辛くはなさそうだったから安心か。


 空が白み始めたので早くに移動を始める。張遼と典偉に先行偵察をさせるため部隊から離れて行動させた。馬に乗っているのは俺達五人、騎兵として使うのは難しい。一時間程歩く間に二人が行って戻って来る。


「春穀の城門は開きっぱなしで門衛も居ない、まだ静まり返っていた」


「ああいう城門は朝晩開閉するものじゃないのか?」


 言葉を向けた先は荀彧だ、こういうのにもルールはあるだろ?


「猛獣の乱入を避ける意味でも、そのようにすべきと取り決めが御座います。ですが面倒な開閉をせずとも、罰する者が居なければそのままにするのも理解出来ます」


 要はサボりか、こっちにとっては好都合だよ。


「見張りも居ないならば、全員で接近して気づかれるまでは一団となっていた方が良いな。一度ことが起これば、俺と張遼、文聘、典偉は切り込むぞ。荀彧は部隊を率いるんだ」


「御意に」


 寝起きの素人相手なら四人で勝てる気すらするが、油断大敵だ。やがて城が見える丘まで来る。少しだけ高地にあり水没はし無さそうなところに低い崩れた城壁が見える、あれでは籠城してもさほど役には立ちそうにないぞ。亡いよりはマシだが。


 歩兵を走らせないように歩調を調整して城門まで数百メートルのところへまでやって来る。それでも何ら反応はない、城壁の上を注意して見詰めながらさらに進む。いよいよ門の目の前にまでやって来た。


「典偉、張遼、入城だ」


 二騎を前に出して伏兵が無いかを確認させたが、門の内側で手を振っている。問題無し、無防備だったわけか。


「よし、突入するぞ!」


 歩兵を小走りにさせて残りの二百メートルほどを一気に進み、そのまま中央の道を行く。ひときわ大きな屋敷を見付けると「取り囲め!」兵に包囲させる。


「典偉、中を調べて来い」


「おう!」


 十人兵士を連れて屋敷へと入っていく。早朝の町、たまに騒がしいのに気づいて外に出てくる住民が居た。十分もすると中から中年の太った男を引っ立てて戻って来る。


「こいつがここの首領で唐紺です!」


 馬を近づけて矛を突き付ける。


「お前が一帯を取り仕切っているのか」


「へ、へい! 唐紺と言いやす!」


 ふむ、反抗的な態度ではないな。少し話を聞いてみるとするか。


「貴様は何を以てして春穀県に君臨していた」


「へ? 徒党を組んでるうちに、ここくらいなら何とか出来るかなと思って。でも親分さんが欲しいと言うなら、あっしは大人しく消えますんで、へへへ」


 流石にあちこちから住民が現れて、何が起こっているのかと伺っている。


「荀彧、住民にこいつの評判を聞け」


 兵を数名走らせて、一般住民らの代表を傍に来させる。不安でいっぱいの顔をしてはいるが、一縷の希望も見えるな。


「尋ねる、この唐紺とやらが春穀を統治していたそうだが、住民はそれをどう感じていた。正直に答えろ」


 それぞれが顔を見合わせてから唐を見ると、少し怯えたようになる。中の一人が「ぜ、税が重くて。出来ればせめて七割にしてくれたら……」ぼそっと呟く。ここでも重税か、それに素直に従うのもどうかと思うがな、誰もが反抗できる力があるわけでもない。


「暴力が酷くて怖い」

「家畜を奪われました」

「酒の代金を払って貰ってないです」


 おお、出るわ出るわだな。疑いの余地はない。


「この島介が、盗賊唐紺に処罰を下す!」


 矛を振りかぶり首を跳ねると、住民が「おお!」と声をあげた。注目を集める。


「今より島介がこの地を牛耳る! 異論があるやつはここに来て述べてみせろ!」


 城内に主が代わったと触れ回らせて、文句があれば言いに来いと大きく宣伝する。どんなやつかと見に来たのもいたが、張遼と典偉を左右に立たせて腕を組んで座っているのを見ると、何も言わずに家に戻って行った。


 暫くしても誰も来ないので「今から俺が県令だ。唐紺の手下は広場に集まれ!」早速の命令を下してやる。どいつがそうかは知らんが、狭い町だからどこかしらに顔見知りが居ていずれバレてしまう。逃げるなら朝のうちにさっさと城外へ逃げているだろうさ。三百人程が集まってこちらを見ている、懐疑的なのは理解出来る。


「今後は俺が主だ、認めたくない奴は出て行け。そうでなければ三つの恩徳を与えてやる。一つ、居場所の確保。お前達の住む場所を認めてやる。一つ、役目の確保。部下になるならば仕事と銭をくれてやる。一つ、将来の確保。命を預けるならば未来を拡げてやる。さあ決めろ!」


 私語を交わすものが多かったが、元々誰かに従うのが当たり前の奴らばかりだったので、全てがまとまって部下に加わった。これで最初の障害は乗り越えられたな。まだスタート地点にすら立っていないとも言うがね。

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