第207話

 翌朝になり倉の中身を改めると、財貨の他に食糧や衣料品が詰まっていた。荷車に多くを載せて広場に引っ張っていく、何事だと人々が集まって来た。足場になる石の上に荀彧が立ち演説を始めると、より多くの人だかりが出来るようになる。


「此度、破格の報酬で兵を募るものであります。一つ、食事は提供する。一つ、衣服を提供する。一つ、武器を提供する。一つ、功あらば銭を提供する。我こそはと思う者が居るならば名乗り出てもらいたい」


 するとあちこちで浮浪者じみた奴らまでもが手を挙げた。畑を耕すことが出来ればまだマシで、どうにか日々を食いつないでいるだけの者が沢山いる。飯を食えるだけでもう志願する気満々といった感じだ。


 広場にいる典偉に打ちかかってみろと言われて、臆したやつはその場でお引き取り願った。反撃をしないわけでもないが、そもそも争うのが苦手では困る。歩けない奴、明らかに老人子供、女も弾いて、最後に言葉がわからない奴まで混ざっていたので外すと、百人ほどが残った。


「兵営に連なるならば軍令は絶対だ。背いた者は厳しく罰する、それでもついてくると言う奴だけ残れ!」


 文聘が禁則事項や、規則を三つに絞り大まかに述べた。これについては嫌だとか無理だと去る者は居なかった。


「直ぐに郊外へ移動する、そこで衣服の支給と飯を食わせてやる。用事がある奴はここで一旦抜けて構わんが、その後はしばし自由はないと思え!」


 ざわついている奴らに張遼が大声で指示をする、何人かが走ってどこかへ行ってしまう。まあ家に戻って出かけると家族に伝える必要があるのも混ざってるだろうさ。


 何もない丘に集まると、約束通り衣服を与えて飯を食わせる。その後に典偉が班別けを行い、文聘が訓練を行う。ハードなことはしない、そもそもがそんなものを望んでも居ないからな。


 突然不在になられても困ると、張遼は山道の地図やら注意点を案内人に聞いて予習をする。荀彧は人を派遣したりと何かしらの準備をしたり、名簿の作成を行っていた。この位なら俺が居なくても平気か。


 腕組をして各位を見ているだけ、それはそれで良かったが、俺もこのあたりについての予習をすべきだな。地図を見たり、兵の顔を覚えたり、物資の数量を頭に叩き込んだりと、出来ることはやっておく。真面目か! 最初から躓いていたら恥ずかしいからだよ。


 手が空いたあたりで荀彧と差し向かいで話をする。


「荀彧、このあたりのことについて聞かせてくれ」


 それはもうふわっとした範囲での質問だ。あちらで説明しておいたほうが良いことを選んで聞かせてくれるだろうし、それでいい。


「江南の地は中原の漢族だけでなく、南方の越民が暮らす地に御座います。先の住民にも居たように、時に我等とは別の民族が居住をしております」


「越民か、かなりの部族がいるんだよなそれは」


 何せベトナム語だったらそれなりに理解出来るのに、さっきの奴が何を言ってたのかさっぱりだった。


「百越と呼ばれるほどに多彩な族が御座います。揚州はまだ漢人が多いですが、これより更に南方の交祉では比率が逆転します。ここ丹楊郡は十六県に六十万人以上が居住しており、中級の郡との認識を。郡都は宛陵でありますが、丹陽県もありますので、取り違えに注意が必要かと」


 うーん、南はさておき、どうして似たような名前を使うかな。益州もそうだったが、耳で聞いても解らん時はあるだろうに。伝統よりも実務を優先したいぞ俺は。


「その宛陵と春穀はどのくらいの距離だった」


「陸路七日の距離で御座います」


 直線距離では百二十キロくらいってことか、近いとは言えんな。それだけ離れていたら、統治から外れても何とも言えんか。いや、太守としてはそんなこと言ってられないんだが。


「丹楊太守の周欣殿は赴任して間もなく、全域の把握はしきれていないと思われます」


「その太守についてもう少し」


「揚州会稽郡の出で、清流派の士である陳蕃に師事した清廉な人物に御座います。太尉の属官として功績をあげ、統治が及んでいない江南の地である、丹楊太守に任じられた人物で御座います」


 武官なんだろうか、少なくとも今すぐはどうにかなるわけではないからいいか。荀彧的にはどちらかというと、自分よりな考えを持つ人物ってことだよな。だからこそこの地を選んでやって来たってことに繋がるのか。


 県を治めたら太守が追認してくれるとか、そんな考えはありそうだな。


「で、このあたりは他にも県令が不在のところがあるが、どうして春穀を選んだんだ」


 この質問に様々含みがあるんだよ、それは荀彧も理解しているだろうがね。


「黄山の北端で、越族の影響力が比較的小さく、江より近い場所であるからです」


 その答えは全てではないな、俺に問いかけているのが何かは解ったが、それに乗ってまた突き上げられるのは受け入れろってことだよな。嫌ではないがもう一つ気持ちが乗るなにかが欲しいのも事実だ。


「山狩りでもするつもりか」


 そう言うと微笑を浮かべた。どうせそんなものだろうと思っていたよ。


「漢の支配は丹楊北東部のみにしか届いておりませんので」


「嫌がる奴らを無理矢理押さえつけるのはどうかと思うがね」


「泰山でのことをお忘れですか?」


「言うようになったな荀彧」


 互いの瞳を覗き込む、笑ってはいるが本気だ。遠くを見据えて決して誤らない、か。いいさ、付き合うって話だものな。


「俺は越だろうが何だろうが、別に誰とどうなっても構わん。だが――」表情を厳しくし「誰であれ約束を違えることは許さん。これだけは肝に銘じておけ」


「荀文若、そのお言葉確かに受け取らせていただきました」


 これだけは絶対だ、戦いの最中に謀略を巡らせるのは別として、約束は何があろうと絶対に守る。それでどれだけ俺が不利を被ろうとな!


 街道を使わずに俺達は計画の通り山越えを行う。季節は初夏にまでもう少し、朝晩は寒い。出発前に熱い汁物と飯と肉を与えると、誰かにとられまいと必死に掻きこむ奴が幾人も居た。昼にも夜にも食事はあたると再度強調すると、兵らは嬉しそうに行軍することを受け入れる。

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