第205話



 はははははは、あいつはまだ世に出てなかったか! うん、このあたり色々荀彧に相談だな。


「どこぞの賊が言ってたのを覚えていただけさ。ところで曹操、孫堅、劉備という奴らをどう思う?」


 まずは根っこの確認をしよう、そうしよう。孫堅はこの前一緒だったな、にしてもどうして従軍してたんだ、そういうのも含めえてこいつとは話足りてないな。


「曹操殿はかの大司農曹嵩殿の息子、此度潁川方面での活躍で済南の相に任じられた優駿。軍事の才があり、任地での評判も良く、良人でありましょう」


「俺も優秀だと思うよ、桁違いだ。ことが大きくなればなるほどに、才能を発揮するタイプだろうな」


 という答えを知っているわけだが、序盤どうしていたのか俺にはさっぱりだよ。董卓と戦うあたりでは負けが込んでいたような気がする。


「流石の見立てで御座います。孫堅殿は当代の英雄、勇猛果敢で腕が立ち、文民には恩徳を与える統治者でもあります。より高みを目指し、無茶をする気があるのが見受けられます」


「太く短く、前へより前へ進もうとする姿勢は大層好感が持てる。それだけにどこかで不幸に見舞われるんだろうが、本人はそれを本望だと言うだろうな」


 グダグダ愚痴っている姿が想像出来んぞ、ダメだと解っても無駄な悪あがきをせずに、綺麗に逝くんだろうな。俺も男としてそうでありたい。


「お好きなのですね、彼のお方が」


「そうだな、男が惚れる男はいるもんだよ」


「清廉な人物ですので、大成することを祈りましょう。さて最後に劉備殿ですが、寡聞にして耳にしませんが」


「そうか、ならいいさ」


 劉備の奴も黄巾賊退治に参加したんじゃなかったのか? 随分と下っ端だったせいで知られてないのかもしれんな。


「文若も一つお聞きしてもよろしいでしょうか」


「そんな前置きなんていらん、答えられることなら答えるぞ」


 目が慣れて来たせいか、多少は顔色が見えるようになった。神妙な、それはそう表現するのが良いんだろう顔をしてる。俺も姿勢を正して真っすぐ前を向いた。


「某を知る人物にお尋ね致します。官の徳治は乱れ、その地位を銭で売買する始末。地方の民は疲弊し、邪教が蔓延り、良民は死線をさまよっております。中央の政界では、自浄をすることかなわず、党錮の禁が解かれはしたものの、清流派の勢いは鈍いまま。漢室の行く末を島殿はいかようにお考えでありましょうや」


 大義……というやつか。今の俺は別にこれといって誰かにどうしてほしいというのはない。漢室というのもな。産まれて間もないが、気になる奴はいるんだがどうしたものか。


「何故、そう問われても自分でも上手く説明できないが、それでも聞いてくれるか?」


「無論。島殿が言を幾日かけてでも聞き届ける所存」


 随分な気合いの入り様だな。居なくなると俺が困るが、大志を抱いているならばもっと良い人物のところへいくべきだ。下手な引き留めになるような言葉は不要。


「正直俺は漢室というのにさほど興味はないんだ」


 荀彧は顔に出さずに黙って聞いている、話が終わりではないと解っているんだな。


「世の中がどうなっても、国が右を向こうと左を向こうと構いはしない。ただ……近しい奴らの幸せだけを願っている小さい奴だよ」


「君子たるもの、目が届く範囲の者すら幸福に出来ずに、大業は為せません」


「そうかもな。それぞれが何を信じ、どうしようと好きにしたらいい。荀彧もだ、黙って行かれると寂しいが、どこか行くというなら笑顔で送り出す」


 ……その気はまだないってことか。一介の山賊の客人になにを求めているんやら。


「一人だけ、こいつの力になってやりたいと思う人物が居る」


「どなたかお聞きしても?」


「ああ、荀彧なら当然知っているだろうが、劉協だ」


「それは、帝の第二皇子の劉協様でしょうか?」


 まあ不審に思うよな。いまだ二歳だか三歳の幼児だぞ、確かめたくもなる。


「そいつで間違いない」


「……島殿は王美人の親戚でしょうか?」


「誰だそいつは。俺に親戚など一人も居ないよ、天涯孤独の身だ」


 この時代には誰一人血縁者はいない、それは確実だぞ。


「では何故?」


 と言ってからはっと気づいたようだ。


「そういう運命だとしか言いようがない。他はどうでもいいが、俺は劉協が蔑ろにされるのを見たくはない」


 じっと瞳を見詰めて想いの程が真実だと語る。こんなことで欺いたところでどうにもならない、それは荀彧も理解している。目を閉じて呼吸を整えると、ぱっと目を開けた。


「天命とは、天より与えられた命であり、理由など存在し得ないもの。劉協様は漢の宗室であらせられれば、忠義を立てるに何一つ不足は御座いません。いずれは帝を盛り立て民を導かれる御方に島殿がお力添えすると仰るならば、この文若どこまでも御身の支えとなりましょう!」


 指先を重ねて深々と礼をする。こいつ基準では劉協もOKなんだな、なら何も心配は要らん。


「嘘偽りはない、もし背くことがあるならばいつでも俺の首を持って行って構わん」


「献策申し上げます。先の南陽での結末に不満多大、中央は腐敗しており今まさに悪疫を振りまいております。年が改まり春になって後に、江南の地を目指し力を蓄えられてはいかがでしょうか」


「そうか、じゃあそうするとしよう」


 即答はしたものの、江南ってのが何だか知らんぞ。そういう郡でもあるんだろ?


「何故と問われないのですか?」


「荀彧がこうだと考えた末のことなんだろ、ならそれを容れるのが俺にとってきっと良いことだ。お前を疑う位なら、俺の頭を疑うさ」


 軽く笑って肩をすくめる。すると荀彧はまた深々と礼をした。


「良き主君に出会えたことを天に感謝いたします!」


 主君ってガラかよ。でもまあ、こいつの言う通りするのも悪くないだろ。


 年が改まり春を迎えた頃、俺達は泰山を去ることにした。何だかんだでそこに住んでいる奴らと結構仲良くやれたのは、臧覇や昌稀が気持ちの良い男達だったからに他ならない。


「行くんだな島」


「ああ、ちょいと南に向かい見聞を広めてみるさ」


 あての無い旅をするなど命がけの時代に、気分で放浪するのは某大夫だけで充分と思っていたが、なるほど自身がそうなるとはな。


「そうか、いつでも戻ってこい。俺を負かしたのはお前だけだ、頭目の地位を譲ってやる」


「臧覇を慕って集まってる奴らなんだ、お前がしっかりと面倒を見てやれ。それじゃ行くぞ」


 五人で泰山を去ることになる……かと思いきや、南方へ帰郷したいと言う奴らや、臧覇がつけてくれた案内役やらで三十人規模になっていた。別に急ぐわけでも困るわけでもないので「一緒に来たけりゃそうしろ」軽く言い放ち認めてしまう。


 ある程度の規模になれば道々で襲われることも無く、持たされた路銀もあってかそれなりにスムースに進むことが出来た。汝南から東へ折れて九江郡へとやって来た。


「さすがにここは水辺ばかりだな。船で動いた方が良いものか?」


 読んで字のごとく、河が集まっている交通の要衝で、商業活動も活発。実際に九本の河ってわけではないが、多くの河川が寄っているのは事実だぞ。


「陸路合肥を経由して、臨湖県で河を渡り、陸路進むのがよろしいかと」


「ではそうするか」


 不明な点は荀彧に尋ねて、答えられた通りに進んできている。船に乗れば江賊に襲われた時に、陸兵の俺じゃ対抗出来んしな。何せこのあたりの川幅の広いこと、一キロ二キロはあるんだから海と同義だよ。


 臨湖県で船を借り切り、明るいうちに官憲の目がある場所を選んで渡らせる徹底ぶりだ。大雑把という部分が全然見られない。気を張り続けるのは難しいというか無理だ、そのうち機を見てこいつを休ませる必要があるな。だが今は張り切っているんだ、見守っておこう。


 渡河すると空気が違ったかのように思えた。まばらだが住民が居るのは河沿いが主で、そこから離れていくと極端に人の姿を見掛けなくなる。


「人口が少ないんだな」


 南蛮はもっといたぞ? 益州の中でも田舎がこんな感じだったのか?

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