第202話

「……朝廷では、南陽の進捗が捗々しくないのは朱中郎将が思うところがあるのでは、との噂が流れているようです」


「馬鹿な、それは誤りだ。包囲は効果を発揮し、黄巾賊は勢力を弱めているじゃないか」


「この場を見ていればそうでしょうが、報告だけを聞けば停滞の原因を作っているとも解釈可能ですので」


 そうやって次々と讒言を繰り返すやつを八つ裂きにしてやりたい気分だ。陥落まであと一息だというのに、余計な真似をするってことは、朱儁に功績を立てられるとまずいか、それが気に入らないってことだな。


「朱儁殿が聞けば行動を起こさざるを得ないな。近く攻撃を仕掛けることになるか――」


 見ているだけとはいかん、かといって城を攻めるような手立てはない。どうしたものか。


「時に戦は騙し合いを行うもの。包囲に瑕疵を作り、敵をおびき寄せてこれを討つのはいかがでしょうか」


「城の外で戦うことが出来るなら、道化にでも何でもなってやるさ」


 今までどれだけピエロになってきたと思ってるんだ、もうそんな逡巡はないぞ。


「それでしたら、警鐘地の兵らに酒を振る舞い、夜半には居眠りをさせてしまうのが宜しいかと。多少の被害は仕方ありません」


 餌を吊り下げてやるってことか。生け贄を差し出すのは好みではない、だがやらなければより悪夢のような未来が広がるわけだな。


「典偉を失うわけにはいかん、任務を外して実行するんだ」


「畏まりました、お任せくださいませ」


 済まんが敵を誘い出す為に犠牲になって貰う。運が良ければ生き残る、ここは戦場だ俺はこうすべきだと決断した。いくら命の価値が安くても、心が痛む。永年こういう役回りをしてはいるんだが、慣れることはないな。慣れたいとも思わんが。


 それから、前線に勤務している今日の奴らの評価をじっくりと見ておくことにした。


 真夜中、恐らくは三時も過ぎたところで寝所に荀彧がやって来る。


「島別部殿、敵襲で御座います」


「喰いついたか、前線の砦からも本隊へ引き上げるように伝えろ。引っ張り込んでから叩くぞ」


「御意」


 武装を整えると外へ出る。曳いてきている馬に乗って、戟を手にした。東の空に火の手が上がっている、混乱しているだろうな。


「報告します! 宛城より密かに出撃した黄巾党が、前線を突破しこちらに迫っています!」


「張遼には北の山地に退き待機、文聘は西の平地に待機するよう命令しろ。本隊は敵を中央より突き抜け、後方に展開。合図で三方向より包囲殲滅する!」


 来ると解っている奇襲は奇襲ではない。混乱する兵力を一旦引きはがし、収拾をつけた後に再度投入する。この位のことは出来る能力があるだろ、あの二人なら。


「御大将、本陣二千はいつでも行動可能です!」


 屠陽に連れて行った奴らはそれなりに経験を積んだのがはっきりと出たな。そんな大軍が一斉に出てきているわけじゃない、これで充分だ。


「よし、残りは随時ついてきたらそれで構わん。行くぞ!」


「わぁ!」


 声を出して向かってくる姿に真っ正面突っ込んでいく。こちらの動きを知らない黄巾賊の集団が、気づいて武器を構えるもフル装備の上集団で突進してくるものだから、次々と跳ね飛ばされて居場所を追い出されていった。


 あっという間に警鐘地を抜け出して、宛と陣地の真ん中あたりまでやって来る。そこから左手に進路を変えて、ぐるりと百八十度、今度は黄巾賊の背に向けて進みだす。突破の時とは違い、横に幅を広げて面で押す形で。


 黙っていても奥地へと向かうから、幅広く押してもあまり抵抗がない。


「太鼓を鳴らせ!」


 ドドドーン、ドドドーン、ドドドーン!


 進軍の合図。それが闇夜に響き渡る、東の空がこれから明るくなっていくだろう直前。張遼と文聘もその太鼓の音を聞いて北と西から包囲攻撃を行う。本陣は少数の兵だけしかおらず、先着した黄巾賊に荒らされてしまうが、それらに向けて荊州軍の攻撃が行われた。


 徐々に明るくなってくると、周囲を完全に包囲されていることに気づく。だが遅い、城を出て来た黄巾賊らはことごとくが打ち倒されて朝が訪れる頃には全滅してしまっていた。


「残敵を掃討しろ! 張遼は警鐘地の防御を整えるんだ!」


 乱れているところにいきなり攻撃を受けないように、警戒部隊をおいて態勢を整えさせる。負傷者を後方へ運ばせ、息のある賊に止めを刺す。どのくらいの首をあげたやら、随分といるぞ。


「た、大変です!」


「どうした」


「賊の中に身なりの良い奴が混ざっていました!」


 その場に案内させると、確かに他とは毛色が違うのがはっきりとわかる奴が転がっていた。息は無い、さてこいつは何者だ? 荀彧を呼び出して尋ねると、数人の吏をこの場に連れてきて面通しをさせた。


「島別部殿、どうやらこの者は趙弘のようで御座います」


「ん、すると首魁か?」


「左様で。おめでとうございます、見事敵の大将を討ち取られました」


 あたりで「おお!」と驚いている声が聞こえてくる。こんなところに本当に出張って来たってのか? 籠城続きで士気をあげて、発言力を保つ為に率先してやってきたのかも知れんな。まあいい、事実を受け入れておこう。


「死体を徐刺史のところへ運べ。包囲警戒を再構築する、整ったら今夜の飯は奮発しよう」


 そこまで言ってからようやく笑顔を見せる。直ぐに気を抜いて今度はこちらが破れたら、笑うに笑えんからな!


「畏まりまして」


 立ち去ろうとした荀彧を引き留める。


「そうだ荀彧、昨夜警鐘地で勤務していた奴らで、命を落とした者の一覧を作成しておけ」


「何故でありましょうか」


 それを敢えて聞いてくるんだな。俺は別に聖人君子でも何でもないぞ、だがこうだと信じた行動をする。


「俺はそいつらに報いるべきだと感じたからだ」


 真っすぐに瞳を見詰め、決して逸らさない。荀彧が指先を重ねて首を垂れる。


「お言葉の通りに」


 歩いていく後ろ姿を少しの間見詰めていたが、頭を切り替える。


「典偉をここに」


 暫く待っていると、走って典偉がやって来る。


「親分!」


「うむ。手柄を立てた、今夜は宴会をするぞ。お前は特別に食糧を振る舞う準備をするんだ、肉だぞ肉、それと酒も忘れるな」


「おおそう言うことなら喜んでやるぞ!」


 喜色満面で典偉の奴もまた走ってどこかへ消えて行った。これで朱儁も下手な真似をせずに済むもんかね?


 簡単に思っていたが、闇は深かった。朝廷から詰問の使者がやって来て、何故攻め落とさないかと尋ねられると、「朱儁は攻撃の準備が丁度整ったところです」と答えたそうだ。結局はこうなるんだな。だがそれはそれとして、攻め込むとなんとあの孫堅が宛の城壁に取り付いて乗り込み、城門を奪って開門。宛が落城した。


 俺の想定とは随分と違った結果がやって来たものだよ。これが本場物の乱世てやつなのかね!


不公平な論功行賞


 宛が陥落した後に、他の指導者も全て捕らえられてことごとく斬首が行われた。八月も末になり、中央軍は帰路につくことになり、徐刺史共々主要なものは朝廷へと召喚されていった。


「さて俺達も西陵へと戻るとするか」


「賊退治が終わったんだ、あとは泰太守がやるだろ」


 張遼も戦が終わって一息ついたせいか雰囲気が和らいでいた。文聘も州軍を解散させる処理を行った後、こちらに合流した。そんな中、荀彧だけが今一つといった顔をしている。


「どうしたんだ」


「これからの事を少々考えておりました」


「まだ小規模な黄巾賊がうろついているから、それらの取り締まりはすることになるだろうな」


 県単位で対処出来るかどうか、無理なら州軍か郡軍を送るって感じか。まあ居場所さえつかめれば、兵力をぶつけるだけだ。ところが荀彧の表情は晴れない、これは別のことだな。


「どういう懸念だ」


 馬に揺られたまま、隣に尋ねる。周りの兵は西陵の兵、郷へ戻る途中で顔見知りばかりだからな。


「論功行賞が行われるでしょうが、恐らくは良い結果にはならないでしょう」


「誰についてのことを言っている?」


 やはり俺より余程長い手を持っているぞ。同じ場所にいるというのに、情報の幅も密度も違う、その上解釈度もな!


「徐刺史で御座います。それに連なる吏員も」


「俺もってことか。だが州は治まり賊を退治した、難癖つけるにしても難しくはないか?」


「だと良いのですが……」


 宛から新野、樊城から南新を通り、陸安を抜けて西陵へとようやく戻って来る。兵士は凱旋帰郷ということもあり、盛大な歓声で出迎えられて終始にやけていた。家族に再会して土産話も山とあるだろう。

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