第197話


 この渠師とは黄巾党での位階のようなもので、いわゆる将軍のような称号で、黄巾賊の集団の方を指揮する人物に加えられるもの。せっかく退治したのにまた湧いて出たというわけだ。先の奴よりも優秀で功績があればこいつが主席になっていたはずだ、方向性は違うかも知れんが二番手を恐れている場合じゃない。


「島殿、聞いたところでは潁川では官軍が黄巾賊と衝突して、地方軍も禁軍も敗走したそうだ」


「らしいな、その後どうしてるかは知ってるか?」


 朱儁とかいう大将が数万の兵を集めて進んで、中原で賊と正面衝突して負けた。あまりにも意外過ぎて誤報かと思ったよ俺は。何をどうしたらこんな奴らに負けることがあるんだってな。


「長社方面に撤退して兵を集めてるって話だ」


「ああ、あそこか。数は必要だが、別の何かが足りていない可能性の方が高いな」


 そういやもう一軍出てるんだよな、そっちは全然聞かんが。


「首都への防備を考えたら長社が下がる限界だもんな、ぎりぎり潁川郡だし恰好もつく。それで皇甫嵩軍だが、逃げて来る朱儁軍を受け入れて防備を固めているだってよ。最初から二人で攻めてれば勝てたんじゃないのか?」


 あまりの大軍だから二手に分けたのか? 一カ所に集まっていても仕方ないから、半数を後方補給路で治安維持に充てるのはいいが、先鋒が負けているなら世話ないぞ。


「で、もう一軍出てるんだよな?」


「ああ、冀州方面の盧植軍だな。そっちでも刺史や太守が攻め殺されて劣勢だってよ」


 官軍は一体何をしているんだよ、どうして数も質も上なのに勝てないんだ。勝つつもりがない? 政治的な何かが絡んでいればあり得るが。


「なあ張遼、官軍は何か足かせをされてでもいるのか? どう考えても負ける要素がわからん」


「こうまで大きな軍を出したのは久しぶりだからな、将軍らにも経験が無いからだろ。もちろんその下のやつらも、兵にもだ。もたついてるうちに反撃を受けたら逃げた、それが総崩れになるが統制できない。ありえない話とは思えんが」


「ふーむ……まあ大軍になれば意志が伝わりづらいからな。お粗末な結果であることに違いはないぞ」


 俺一人で五万人動かせと言われても、今日の飯すら用意出来ずに全滅という未来もありえる。やはり幕僚が居てはじめて軍隊は成立する。そういう意味では黄巾賊も組織化を上手い事やってるってことだ、宗教集団にも階級はあるし、命令系統も存在する。


「ほう島殿ならば十万の大軍を指揮出来るとでも?」


 半ば茶化すかのような一言に「出来るさ。その五倍までならばな」やったことがあるんだよ、経験があればそれは自負に変わる。驕るわけでもなく、嘯くわけでもない、真面目に出来ると即答した俺に張遼が閉口する。


「……いつか証明される時に、傍に居れることを願おう。差し当たっては今後どうするかを決めたいところだ」


 否定するわけでも称賛するわけでもないか、こいつも本気ってことだな。


「文聘を呼んで来る」


 こちらの反応を待たずにそう言い残して部屋を出て行った。今のうちに少し頭の中を整理しておくとするか。瞑想をするかのように系統立てて内容を反芻しておく、小一時間ほどすると張遼と文聘がやって来た。


「文聘参りました」


「待っていた、張遼から聞いているな。お前はどうすべきだと考えている」


 前置きは不要、使える頭脳を使おうと早速問いかけた。文聘はこの前の戦いの時からよそよそしさが消えた、信用されたってことなんだよな?


「荊州軍がすべきことは黄巾賊の広がりを抑え、主軍がやって来るまで悪化させない尽力をするものと思案致します。中原の黄巾賊が鎮まればこちらも自ずと下火になりますので、勢いがあるうちは積極的にぶつからないのも一つの方策かと」


 確かに絶頂の相手は計略を使いその勢いを削ぐところから始めるべきだ。俺が荊州の総責任者で切羽詰まっているわけでもない、待つのも戦略だ。


「宛を賊から取り戻せないのは情けないが、無理に攻めるだけの状況にないのも事実だな」


「島別部殿は既に南陽黄巾賊の首領を討ち取られました、充分な働きをしているものかと」


 黙って見ているだけでも安全圏ってことか、そこは性格なんだよな。出来ることがあればやらないとならない、貧乏性ってやつだよ。


「涅陽、新野、棘陽の線で荊州中央への侵入は止められている。文聘が言うようにこれを維持でいいんじゃないか?」


 それがこの時代、この世界の標準ってことだと受け止めるとするか。隣の州のことはそちらの長官がしっかりと定めるし、南陽郡も太守が定める。そういえば棘陽の太守は何をしているんだ?


「泰太守の動向は何か聞いていないか」


「それですが、舞陰南東の山道を確保して、中原との連絡が閉ざされないようにと動いているようです」


「外と連絡をとって何をするつもりだ?」


 そちらにだって賊が居て、どうにもならんはずだが。屠陽が黄巾賊に押さえられているから、博望方面の道は使えないのは理解出来る。何かしらの連絡路ってなら、首都からの本軍との連絡用だな。


「あちらが平定されなければ、こちらへの増援も見込めないはずですが……」


 そこは文聘も疑問らしい、ということはこいつは寝技の一種だ。若者の実直な思考では解けない何か、これは政治だ。王宮に何がどう伝わっているかを想像するんだ、どうせろくなことではないぞ。


「……大体の察しはついた、今は関係ないとな。現有の影響下にある地域の防衛強化、それがお前達の意見ってことで間違いないか」


 二人は顔をあわせてハッキリと頷いた。そうか、それだってなら全然難易度は高くない。ではここでスパイスを一つまみ。


「わかった、ではそうするとしよう。これより新たに命令があるまでは、現状の維持をしつつ、兵の訓練を行うものとする。張遼と典偉で兵の武力面を主に意識して調練を行え」


「承知した」


 望んでいた結果になると張遼もすっきりとした顔で受け入れる。


「文聘は制度面の整理整頓をしてもらう」


「といいますと?」


「軍規の明文化、統制の規範、思想の上での方向性を定める仕事だ。こいつはこの場に居る奴らだけでなく長きに渡り残る軍制だ、手抜きは許されんぞ、出来るか?」


 敢えて厳しい表現をすると、表情を引き締めて姿勢を正した。


「そのような重任をお任せいただき、文仲業は誇らしく思います」


「よし、応佐司馬に相談しながらでいいから基礎を作るんだ。より良いと思える形が見つかれば九割九分出来上がっていても一から練り直せ。防衛任務からは外れても構わん、必要になれば声をかける」


「畏まりました!」


 二人の背を見送る、何故かな俺が嬉しく感じたのは。黄巾賊が押し寄せてきても城に籠もっていれば抜かれない、すり抜けたとしてもこちらの包囲下でどうとでも出来るぞ。しかしこんな他人任せの戦況維持でいいものかね、俺は俺でちょっと考えて動く必要があるな。


 荊州兵も今や増えて二万に迫る勢いだ、勝てば数が増えるのはいつもの事だが、一カ所に留めおくのはいただけない。それはそれとして訓練はまとまっていた方が良いという矛盾か。その後の配備先でも検討するのが妥当だな、荊州の内情が全く解ってないのが困る。


 適性があるようならば兵を密偵としてあちこちに派遣する、そいつでいくとするか。戦うだけでは本当に手詰まりになる、諜報部を拡大だよ。やっぱり呂軍師のような奴が欲しい、うーむ。

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