第196話



 涅陽城に集まり楼閣の上から遠くを見る。うっすらと黒い米粒のような塊がうごめいているのが見えたような気がする。十キロでは視力いかんで気づけんだろう、少なくとも俺は言われて目を細めても首をかしげたくなるような何かしか感じられない。


「俺が一戦してこようか?」


 意気揚々の張遼が賊など何するものぞと申し出て来た。まあそれでも良いが、ただ引っ掻き回すだけで引き返されたらたまらん。城に入られるとその先がな。


「どうせならただ勝つだけでなく、全滅を目標にしていきたい。張遼、お前ならどうする?」


 にやっとしてハードルを上げてやる。勝てと言われたら真っすぐに進んで勝つくらいは俺でも知ってる、その先だよ戦というのは。真剣になり周辺の地図を描いた布切れを見て、空を見あげる。


「もし前後不覚といえるほどの失態を犯したならば、宛、つまりは北へと逃げようとするだろう。ならばその方向から攻撃を受けて崩れたら?」


「四散するな。前は敵陣、後ろも敵軍ならば東西何かある場所に身を隠そうと考えそうなものだ」


 西は平野が広がっているので視界が開けている、東は任庄山とかいう名の小さな山があった。


「迂回して攻めるならば、この張文遠に命令を」


「ふむ。ではこうしよう、張遼は兵五千を率いて払暁で石来郷を背後から攻めたてろ」


「五千? 半数も割いてしまうと支障をきたすのではないか」


 それはそう思うよな、まあ俺もそんな気はする。だがここで奇襲が失敗したらどうにもならない、一度崩してしまえば後は運用次第だよ。


「多勢で押さねば崩すのに苦労するからな。俺は兵三千で正面に進出、典偉は弩三百と兵千で任庄山に伏せて敗走する賊が見えたら撃退しろ」


「わかった、親分」


 張遼が攻略に使った弩を今度は待ち伏せで活用することにした。城の守りは応佐司馬の兵七百と県の守備隊三百あれば充分、万が一どこからか別の敵が現れても一か月でも耐えられる。何せこの時代、城を物理的に攻めるのは至難の業だ。攻城兵器がないと人力では何年あってもまず死体の山を築くだけで終わる。


「やはり島殿の兵力が不足するように思えるが」


「だな。それを何とかするのが俺の役目だ、張遼は迂回攻撃のことに集中しろ。実行は明日の未明だ」


 空は晴れている、朝もやが出てくると風が無ければかなり視界が悪い。そんな中で戦いの音だけ近づいてきたらどれだけ怖い思いをするだろうな。応佐司馬を呼んで小道具を用意させる、準備自体は二時間もあれば出来たので問題はなかった。


 明日の朝の分の飯まで一斉に炊かせると、戦仕度がバレてしまうらしいから、小口で炊飯をし続けさせて何とか一食を余分に備えさせた。これまた細かいことだが、気づかれたら上手く行かんくなるし、腹が減っては戦は出来ん。


 翌朝未明、陽が上がる前に兵を城の外に出して五キロほど進めて左右に広げて待機をさせる。軽い土木工事を行わせて、北側からの敵襲に有効な防備を転々とさせた。強固なものは要らないんだ、ちょっとした注意を引いてくれたらそれでいい。


 早すぎる朝飯、握り飯を一個だけここで食わせておく。あまり腹に入れると動きが悪くなるのと、何より負傷したときに死に直結してしまう。太陽が登って来ると、今度ははっきりと黄巾賊の集まりが居るのが視界に入る、こちらが見えているんだからあちらからも見えているはずだ。見張りがそこまで勤勉かは知らんぞ。


「始まったな」


 何か声が聞こえてくると、人が慌てて動き出すのが見えた。あちこちで火の手があがるのも確認された。その場に留まって戦っているのは少しのうちだけ、そのうち陣から何処かへ離れていく奴の姿も見えるようになる。


「霧が出ます!」


 濡れた地面が太陽光で熱せられて、地表付近に白いものが発生した。これで腰位までの様子は見えんぞ。姿勢を低くして、簡易土塁――といっても膝位までの高さしかない――の後ろで待機を続ける。


 それなりに大きな集団、恐らくは千は居るだろう奴らが近づいてくる、逃げているだけだろうが。あと五百メートルといったあたりまでやってきたところで「立ち上がれ、声をあげろ!」一斉に起きて軍旗を掲げさせた。


「うぉぉぉ!」


 突然現れた漢軍に黄巾賊が足を止めて驚く。横に広がり、旗だけ五本、十本と持たせたやつを後ろに配置したものだから、こちらの本隊がいるかのように見えただろう? そも意気地なく逃げてるような奴がこれを突破して行こうと思うかどうか、答えは見えている。下がれず、進めずで東西に割れて走って消えて行った。


 統率を失った兵など体を為すものではない、これを促進させる。


「この場は千人長に任せる、半数は俺について来い、敵を全滅させるぞ!」


 一旦西へと進んでから北上する、途中で少数の黄巾賊と会うたびにそれを切り捨てながら数キロ進む。混戦になっている張遼と敵の本隊、意外と粘っている奴も居るな。


「本隊もこれより黄巾賊の本陣へ切り込む、続け!」


 千人ではさしたる衝撃力は無い、だが今後もいくら現れるかわからないのに平静を保って居られるかは別だ。


「か、官軍の増援だ!」

「囲まれているぞ!」

「逃げるんだ!」


 賊が十人、二十人であちこちへ逃げていく。本陣の黄色い大きな旗が倒されるとそれは一層顕著になった。代わりに荊州の旗が掲げられると、黄巾賊は我先にと逃げ出していった。


「敵を掃討しろ!」


 勝ち戦だと敵味方に刷り込ませる、もう指揮系統は乱れに乱れて組織的な動きなど出来なくなっているからな。さて俺はこんなことにかまけている場合ではない。


「千人長、本隊は東へ進んで典偉と呼応して動くぞ!」


 集合の銅鑼を鳴らすも七割ほどしか集まって来ない、それだけで見切りをつけて小走りで東へと向かう。山の中央裾野から二十メートル程度の低い場所に、横へ広がってではなく三か所に別れて隙間を多大に残して典偉は布陣していた。


 なるほど、通り抜けたければ行けと言うわけか。それなら被害は少なくて済む、賊も逃げ道が見えているならば抗戦よりもそちらを選ぶだろう。意地悪く倒木や落石で歩くのも一苦労の場所を残してあるので、移動の最中に側面から射撃されているのも多数いた。


「平地に溜まっている賊の背をうつぞ、かかれ!」


 七百とは言えこちらは戦闘集団、あちらは敗残兵、話にならん。組織的な狩りをしていると、近くで歓声があがる。


「別部様、身形の良い敵を討ち取りました!」


「どこだ」


 案内させるとそこに転がっているのは確かにただの盗賊とは思えない、身分がありそうなやつの死体が転がっている。捕らえた黄巾賊を数人連れて来させ「こいつは何者だ」質問する。


「これは神上使様!」


 そうか、首領を討ち取ったか、こいつは重畳。首に軽く触れて捕虜の処刑を命じると「その首領の死体を回収しておけ、涅陽へ帰還するぞ!」やるべきことはやった、一先ず目的を果たしたなら撤収する。


 来た時よりも警戒をさせ、張遼にも撤収命令を下すと城へと収まる。そこまできてようやく兵にも通知を出すと、城内は歓喜の声が渦巻いた。宴会をしてやりたいところだが、混乱が続いているんだそれは明日に持ち越しだ。と思ったが、そこは素直に酒宴を行わせ、不運な俺といくばくかの警備に志願した奴らで各所の警戒を行うことにした。


 応佐司馬がにこやかに「某も警備に志願いたします」と面白くない役回りに加わる。こういうのは年寄りの役目だからな、言葉などいらなかった笑顔を返すだけで。


◇ 

 華容へ伝令を送りことの顛末を報せると、周辺の治安維持に努めることにした。ひと月の間南陽郡南西部、北西部を宣撫していると、未だ黄巾賊の手中にある宛城で変化が起こった。趙弘を名乗る賊徒が志を引き継ぐと、宛で渠師を宣言した。

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