第195話
いきなりやって来てなんだと思っていたら、徐刺史によって任命された正式な南陽太守の後任らしい。おいおい、そんなのは聞いていないぞ!
とはいえ印綬を携え任官をしているならば、この地における上官であるのは事実。仕方なく県城の主座を譲り渡した。こちらの幕僚と、郡の官吏、県のそれと立場が違う者らが全員注目する。
「島荊州軍別部よ、張曼成を討伐する為に兵を出すゆえ、我に従軍せよ」
唐突にそう言われた時に、咄嗟に返答できなかった。それは指揮権を失うと言うことか? 泰太守は棘陽に集まって来ていた郡吏らを支配下に収めた、それは良い。だが州軍まで統率するとなると色々と違ってくる。
「私は徐刺史に南陽の黄巾賊を排除し、郡を助けよと命を受けて行動している。純軍事的な判断は自身で行いますが、ご納得いただけますか?」
こういうのは曖昧にしちゃいかんぞ。もちろんしかめっ面をされる、お互い様だよそれは。
「世は乱れ、先の郡守もその志を半ばに卒去した。君はそれでも力を合わせ民を守ろうとは思わないのか」
俺のことを下に組み入れたいようだな、どんな命令が下るかもわからんのに従いますとは言えんぞ。
「軍事とは、一貫した指揮が行われてこそ威力を発揮します。荊州軍は我が方針での運用でこそ、その力を振るうことが可能。徐刺史は軍権を私に与えた、従うのは徐刺史の命令のみです」
目的が同じでも手段は違うんだよ。棘陽からはこちらが離れるべきだな。
「南陽太守は私だ。領内でのあらゆる行動原則は太守へと帰属する。島別部はそれと知っていて背くつもりかね」
見たところ郡官吏は当然として、県の者らも太守の側か。仕方ない。
「荊州軍としての命令を優先させて頂きます。棘陽は臨時郡都になったようなので、私は新野へと退かせて頂きます。心配されなくとも、宛の黄賊は私が切ってご覧にいれましょう! 文聘、応倫、行くぞ!」
城主の間を出ると同時に「城に積んだ軍需物資を持ち出す、元からあったのを別として荊州軍の分は馬車に積み込むんだ急げよ」文聘にそう命令した。それでも充分籠城するだけのものはある、守備兵も居るので危険はない。
突貫作業で順次城の南側に馬車を送り出していく、俺も南の平野に姿をくらませた。現場では命令だからということで、倉庫番が阻止しようとしても荊州軍がさっさと物資を引き上げてしまう。太守への訴状も上がっているだろうが、先ほど荊州軍の指揮権は俺にあると明言してきただけに強硬手段はとれずにいるらしい。
根こそぎ持って行こうとしているわけでない、そういう報告も上がっているので見守ることに下らしいな。こう考えよう、泰太守のお陰で棘陽の防衛を任せることが出来たと。こちらは新野と朝陽に兵を集中させて、西部から進出するとしようか。
三日後に新野に到着してことの次第を聞いた張遼は、笑って頷いた。功績の横取りのようなことを潔しと思わなかったのはこいつも同じらしい。
「しかし島殿、こうなると県令らは太守の命令に従うことになるでしょう。いずれここもあちらの指示に従うことになるのでは?」
「まあな、宛にいる首領をさっさと切り伏せて退散するのが良いだろう。涅陽まで軍を進めて、一気に後方地を得るとしよう。郡の把握をするのに一か月はかかるはずだ、その間にやるべきことをやってしまえばいい」
「確かに。典偉の奴はずっと朝陽で訓練尽くしだ、そろそろ働いて貰わんとだな」
その訓練兵を寄越せと言うのはさっきのと同じになる。それらを指揮して戦えというのが筋だ、典偉を指揮すればその兵を手にするのと同じだな。
「涅陽は宛から伸びる八道の南西の要、これを押さえてしまえば南陽の南西部はこちらの影響下でしょう」
地理的な部分から文聘がそのような評価を下す。西部、北西部の山の中はどうしても情報も遅れがちで人口も少ない、十二県はこちらに靡くのは目に見えているぞ。太守が着任したのも知らんだろうしな。
「どうする、直ぐに軍を進めるなら俺が先鋒になるが」
ふむ、もう待ちの戦略が良いとは限らなくなったからな。こちらの遊軍が一万、あちらも一万から二万ならば充分戦いになる。七割も戦機が見えていて動かないのは怠慢だ。
「よし、張遼は応佐司馬を連れて、兵三千で先陣を切るんだ。可能ならば涅陽を占拠、敵が強固ならば宛との連絡を切断するんだ」
「承る!」
破顔して先陣を拝命すると、応佐司馬と共に広場へと向かって行った。さて、本陣としては物資の供給を基本として決戦兵力を戦場に送り込まなきゃならんぞ。
「文聘は張遼への補給を行う手筈を。典偉をこちらに呼び戻して、俺も本隊として三日後に五千で進軍する。万が一、棘陽に危険が迫れば無視も出来ん、その時はお前が救援に向かえるように準備だけしておくんだ」
「畏まりました。島別部殿は妙に手練を感じさせますが、不思議なものです。齢五十の将軍かのような何かを」
勘が鋭いな、齢七十相当のじじいの精神を持っているのが俺なんだよ。山からは賊は湧いて出ないが、これはおそらく中原から押し寄せてくるパターンだ。そうなる前に首領を倒さんとな。それと徐刺史にも使いを送るべきだ、どうせ左右の幕僚がまた讒言をするだろうから。まったくこれでは敵と味方、どちらと戦っているかわからんぞ!
「実は新野には各地に散っていた弩を集めてあります。三百あるのですが、張遼にはどのくらい配備しましょう?」
ほう、そいつはバラして配備するよりも効果が上がる。出し惜しみをしたって良いことはない。
「全部持たせてやれ、俺よりも上手く使うだろうさ」
「意外でした、手元に残すかと思っていたので」
「それは何故だ?」
リアルに理由を知りたいところだぞ。若者は何を思う。
「戦は兵力だけではなく、その質、時機、場所など様々な要素で変質します。弩を装備している軍を持っていれば、不利な状況を覆せるかもしれません。言ってしまえば死地を脱出する可能性が産まれることも。それゆえに、別部殿が手元に残すと考えておりました。無礼を承知の言です、何なりと処罰を」
「はっはっはっはっは! 言葉というのは耳に逆らう方がよっぽど為になるものだ。文聘が考えた事、確かにその通り。罰する必要など微塵もない」
萎縮させて得られるものなんて俺の自己満足だけだぞ。
「ではこちらからも。何故でしょうか?」
「俺の窮地など、自身の知恵と勇気でどうとでも切り抜けてみせる。張遼という大切な部将を失う可能性が減らせるなら、弩くらい喜んで持たせる。それだけだ」
そう言うと文聘は真剣な面持ちになり膝をつき「文仲業、島別部殿を敬服致します!」礼をとる。俺も片膝をついて肩に手をやり「文聘、お前のことも失うつもりはない。勝手に死んでくれるなよ」笑いかけてやる。やりたいようにやる、それだけだ。
◇
想定内といえばそうだが涅陽は張遼が奪取した、どうにも一部の騎兵で城門に突撃し、それを歩兵がやってくるまで維持しての電撃的城内制圧だったらしい。これをやられたらどんな城もあっさりと侵入をゆるしてしまうので、個人の武勇というのは恐ろしいと思わせるところ。
ここ涅陽から宛までは二十五キロ、街道もあるので軍で二日の距離にある。そんな場所をとられて平気な顔をしていられるのは、大軍を擁しているか、センスがないやつらなのか。そうでなければ排除に、或いは防備に繰り出してくるはずだ。
結論から言えば敵軍が進出してきた。黙ってい見ていたら抗議が殺到するような状況、敵も一万を宛から一日、つまりは双方の中間地点に押し出して来る。石来郷という場所に本陣を置いて、こちらの様子を伺い始めた。
「ついに野戦だな」
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