第194話

「どうぞお気をつけて」


 連れて行くのは兵千のみ、それと船頭たちだ。城門を閉ざして籠城して居れば、数か月は持ちこたえることが出来るように兵糧を積んでおいた。西鰐までは六十キロある上に、黄巾賊の影響範囲内を通ることになる、舞陰と宛の間をどれだけすんなりと通ることが出来るかで結果が大きく変わって来る。


 陽が傾いてから二十キロ進んで襲撃、夜が明けるまでに河を下り始めて宛の脇を抜けることが出来れば逃げきれる算段だ。船の用意をするのに時間が掛かったな、何せ持って歩くわけにはいかないからな、あちらに隠しておくようにするのは苦労した。


 初日は少し無理をして暗くなってからも歩いて、周囲に民家が無い山の中に辿り着く。そこで昼まで寝て、午後から移動を始めた。街道付近まで来たらそこで待機し、陽が暮れるのを待つ。暗くなり始めたところで速足で道を横切ってしまい、また山へ潜り込む。ここから先は案内人の先導で、気合いをいれて歩いた。


 月明かりを頼りにして、何とか西鰐付近の裾野へとたどり着く。百人を船の隠し場所へ向かわせ、残りで西鰐の傍へと忍び寄った。少数の見張りだけを残して、他は寝入っているようで静かなものだ。弩兵を五人手招きして、二人の見張りを倒すように割り振らせる。互いの姿を再確認、白い布を巻いているのが味方だ。


 一斉射撃で見張りを排除するのに成功すると、出来るだけ音をたてずに侵入する。叫んで乗り込むのは気づかれてからでいい、ここの中核兵は西陵の奴ら百人と、荊州兵の中でも度胸が据わった奴らだ。小屋に散らばる、息を殺して合図が聞こえるのを待ち一斉に飛び込んだ。


 あちこちで悲鳴が聞こえる、運よく小屋から逃げ出した者は外で待っていた兵に殺される。争う音は聞こえてこない、松明をつけさせて物資の確認を行わせるとかなりの量が積まれていた。


「よし、出来るだけ船に持ち込むんだ急げ!」


 ここから先は人力作業、二時間かけて運べるだけ運び、残りは一カ所に集めて火を放つ。燃え上がるのを待たずに船に盾を持った兵を五人ずつ乗せて下らせる。そちらは応佐司馬に任せて、残る兵は俺が引き連れて陸路を戻る。本当は一緒に河を下れたら良かったんだが、そんな大きさの船は無いし、数も揃わん。


 昼まで寝ていたのでまだ睡魔は襲ってこない、ここを降りて博望の山に潜り込んで次の夜を待つぞ。火事を見て陽が登れば黄巾賊が来るはずだ、今はそれらと戦っている場合じゃない。


 陽が登る前に来た道を戻り、途中で東に折れて栗蓋とかいう集落の傍にやって来る。山一つ挟んで裏側に居れば見つかることもない。昼間は時間があるから、三交代で眠らせることにした、疲労はそこまででもないから充分だ。昼間に猟師と鉢合わせた奴がいた、その猟師を拘束してしまうが害は与えない。


 暗くなると「夜明けになれば家に戻って良いが、暗いうちにここを離れるようならば命は無いと思え」と脅しておく、あまり好きではないが二人だけ残して監視をさせ、動かないようならばすぐに追いかけて来いと言いつける。もし動いたら、その時は言葉の通りさせるつもりでだ。


 陽が落ちてから南へと移動を始める、二時間か三時間もすると街道を横切る、そこからもずっと進み続けると、真夜中にどこかの河にぶつかった。


「これは奈越河です、丁度宛城の東にあたる地域でして」


 案内によれば棘陽まで三十キロから四十キロ北に居るらしい。ここから西に行けば来た時に通った橋があるが、夜明けくらいにそこを通過する、さすがに見つかるだろうな。東に行っても橋はあるが、そちらは昼頃に到着か。舞陰へ向かうべきだろうか。


「……西の橋を通るぞ」


 居たとしてもこれを押し通る、何を弱気なことを考えていたんだ俺は。相手は黄巾賊、こちらは軍兵だ、衝突して負けているようではそもそも話にならん! 寝不足は軍人の常、たった一日の強行軍位出来ずにどうする!


 先頭を行く、外が白み始めてきた頃に刻寺橋が見えて来た。その昔、寺の和尚が橋を架けたのでそういう風に呼ばれているらしい。途中で改修して元のは跡形もないが、そういった名残はあってしかるべきだよな。


「橋の傍に集団が見えます!」


「喜べ、賊を退治する好機が巡って来た。あれを蹴散らし堂々と橋を渡るぞ。総員戦闘準備!」


 旗は巻かせてあるから正体不明。お互い良く見えんだろうが、こちらの倍は居そうだ。だが丁度払暁の奇襲になるから有利だ。歩いて近寄って行くと、向こうの見張りが近づいてくる。


「えーと、どこの部隊だ?」


「俺達は荊州軍だ!」


 言うが早いか槍で突き殺す。此度は殺すのが目的じゃない、敗走させるのために声をあげるぞ。


「総員続け!」


「おお!」


 大声と共に派手に軍鼓や銅鑼を鳴らさせて幕に切り込んでいく。寝起きで状況が掴めない賊が、取り敢えず自分の獲物を持って外に出るが、あちこちで争いが起こっていて、有利か不利かもわからない。そんな時に賊がどうするか、答えは簡単だ一先ず逃げて身の安全を……となる。


 寝起きの賊があちこちに散らばって逃げていくので、抵抗する奴らを狙って集団で排除していく。


「半数は橋を確保しろ! 残りは賊の掃討だ!」


 西陵の護衛隊だけを残して周囲を流し見る。呆気ないものだ、これで遠回りをしようだなんて考えていたのは、明らかに俺の指揮能力不足だぞ。


「殆どの賊を倒しました!」


「よし、幕に火を放て。棘陽へ向かうぞ」


 冷静な態度に終始してゆっくりと移動を始める。兵もこんなに上手く行くとは思っていなかったのか、妙な興奮で顔色が良い。このまま小休止をいくらか挟んで棘陽まで行った方が良さそうだな。


 そこから二時間くらい歩いて、見通しが良いところで停まる。朝食の準備をして腹半分だけで終わらせると、またすぐに歩き始めた。すると少し先の方に軍勢の姿が見えた、あれは? 足を止めて戦闘準備をさせて待つ。目を凝らして接近して来るのを待っていると「島別部殿!」やって来たのは文聘だった。


「新野に船が下って来て、張遼が戻って来たので出迎えに参りました!」


「ご苦労だ! そうか、ちゃんと辿り着いたんだな」


 作戦は成功だな、これで黄巾賊はおいそれと攻勢に出られなくなるぞ。それにこれを聞きつけた奴らがこちらになびく。それらを糾合して張何某を打倒する、主導権がこちらに移ったか。


「はい。それだけではありません、張遼のやつが宛郊外に埋められていた許太守の亡骸を連れ帰りました」


「そうか!」


 こいつは良いぞ、喧伝材料に使える。こうなって来るといよいよ典偉の武将としての能力が心配になる。猛将ではあるが、司令官ではない。俺の護衛を任せるだけなら使えるが、それを越えることはなさそうだ。そう言えば曹操の護衛で生涯を終えたんだっけな、何と無く曹操の気持ちが分かるような気がするぞ。


 何はともあれ、殊勲者が居ればそれを称賛してやる、今は成功を喜ぶとしよう。


 南陽の士が棘陽に集まって来た、郡吏もかなりの数がその身を寄せてきている。それらを全て糾合して、兵力の増員を行った。現在のところ荊州軍は一万に膨れ上がり、各県城の守備隊も五百から千に増強して、留守中の防衛を期待している。


 戦略物資をごっそりと失った黄巾賊は、余裕を失い動きが荒くなってきた。何せ烏合の衆だ、勝手に集まっては片っ端から食いつぶしていくと、少ない食い物を奪い合うことすら起こる。先へ先へと動きながら現地調達をするのが軍隊が進出する際の習わしだが、こちらの防衛線を抜けることが出来ずに足踏みをしているせいで混乱が起きて来ているようだ。


 意地悪く籠もっていれば自壊してくれるのだろうが、民が苦しむのを放置するのは良くない。四月になり敵の集中力が失われてきた時に事件は起こった。棘陽に秦頡なる人物が少数の手下と共に乗り込んできたんだよ。


「ここを臨時の郡都に据える!」

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