第193話

 陽が出てきて朝餉を用意しているのを見ていると、陣の北側で騒がしくなる。そちらに注意を向けていると、何者かが騎馬で駆け込んで来る。じっと見ているとそれが典偉だとわかった。早いな、さすがだ。下馬して駆け寄って来るのを待っていると、どうにも様子がおかしいことに気づく。


「親分大変だ!」


「どうした典偉」


「宛が陥落して太守の許貢はもう殺されてた! 宛城は賊に占領されてる!」


 くそっ、遅かったか! しかし何故こうも簡単に落ちたのか。今は状況の把握だ。


「宛はいつ落ちたんだ」


「五日前には開城しらたしい、郡吏は落ち延びて離散、地方の軍も散り散りになってるらしい」


 ってことは出撃する時にはもう、というやつか。こちらの情報が遅い、どうする宛を攻めるべきか? いや、固執すべきではない。新野にまで下がり足場を固めるぞ。


「文聘、景庄台に行った部隊を直ぐに新野へ引き戻すんだ、兵千を率いて速やかに撤退を行え!」


「御意、直ぐに出ます!」


 新野だけでは孤立してしまうな、近くの県城を勢力下に収めておくべきだ。


「典偉、お前は兵五百を率いて西の朝陽へ入れ、棘陽と三点で結んで南部への敵の浸透を防ぐぞ」


「わかった、俺も直ぐに行く!」


「残りは俺に続け、棘陽城を目指すぞ!」


 俺が後手に回るとは焼きがまわったか! 落ち付け、この程度大したことはない。情報だ、情報を集めるんだ。この三点は南西から北東へとほぼ一直線で並んでいる、棘陽の負担が大きいが俺が詰めればそれは問題ない。新野からの補給路は一つ後ろの湖陽県を使って迂回させるなりをせんといかんな。


 考えることは沢山あったが、いち早く軍を動かして強行軍で夜半に棘陽へとたどり着く。県令はこんな時間になってやってきたことに驚き直ぐに城門を開いたので入城した。真夜中にも関わらず俺は城の一室に次々と属吏らを呼び出す。


「育陽、安衆、涅陽、比陽、舞陰を始めとした南陽宛周辺の県に立札を複数立てて来るんだ。内容は棘陽にて荊州軍が郡吏を受け入れている、黄巾賊に対峙する者を求める、だ。移動困難ならば新野でも構わんし、協力を申し出るだけでも良い。何せ荊州軍は南陽を諦めていないことを知らせて回るんだ!」


 吏員が認めた文書を布に書くと、同じものが五枚揃い次第次々と城を抜け出していく。士気を落としてはならんぞ、旗印はきっちりと掲げる。


「華容にも伝令を出せ。宛は既に陥落しており黄巾賊が占拠していた、ゆえに島介はこれに対抗すべく南陽で行動を継続する、と」


 口述筆記したものに別部司馬の印を捺すと、それを持たせて暗夜騎馬を走らせた。張遼の奴にも知らせんとな、あいつは新野に入って貰ってか。領域が広い、兵力が不足するが増員して食わせていけるんだろうか?


「兵糧官に命じろ、明日……いやもう今日か、昼までに棘陽の軍需物資の備蓄を調査して報告させろ。朝陽へも同じ伝令を送れ」


 どこが黄巾賊の影響下にあるかも一から全て調べ上げるぞ、こんなところで失敗してる場合じゃないんだ。中原から流れて来るのも監視しておかなきゃならん、あの隘路は……屠陽だったか、そこにも誰かを潜ませて置かんきゃならん。


「島別部殿、そろそろ休まれては?」


 側に控えていた年配の千人長が夜が明ける頃合いになると、寝るように勧めて来た。焦りすぎか……素直に従うべきなんだろうな。


「日の出から二時間で起こせ、それまで寝る。貴官も休めよ」


「そうさせて頂きます。貴方は、私が見て来たどの方よりも力を感じさせます。気を急くことなく大きく構えていたら宜しいかと」


「年長者の有り難い言葉だと受け取らせて貰う」


 処罰覚悟で言ってくれてるんだ、こういう人物は大切にすべきだぞ。割り振られた部屋に入ると、直ぐに横になり寝てしまう。ぱっと目が覚めるといつも通りの時間、起き上がったところで従卒が時間だとちょうど起こしに来た。


「お目覚めでしたか」


「ああ、今な。何か状況の変化は」


 顔を洗いながら報告を求めるが、従卒でははっきりとしなかった。急造の本部だからな、これからは権限をきっちりと色分けして行こう。食事をさらっとすませてしまうと、すぐさま県令の主座がある間に入った。主が不在なのでそこに座って、城内に執務の開始を報せる鐘を一つ鳴らさせる。


 あの千人長が一番でやって来ると「城内の治安は良好、城外に敵影もございません」まずは現状を知らせて来る。


「応倫、読み書きは出来るか?」


「不自由なく」


「佐司馬に任じる、忌憚ない助言に期待したい」


 使える奴はどんどん使って行かんとならんからな。応姓なぞ聞いたことがないが、体格も少しは良いし、何より気が利く。


「ありがたく。見ての通り長くはお仕えできませんでしょうが、良き上官に恵まれて嬉しく思います」


「応佐司馬はこれからどうすべきと考える」


 こいつの人となりを知りたいのと、発想を拾いたい。何せ様々やらないといかんからな、有効そうなのは全て試すぞ。


「でしたら、許太守の亡骸を取り戻すべく動くべきでしょう。それでこそ天の正道が示せると言うもの」


「うむ!」


 そうだった、そういえばすっかり忘れていたな。どんな奴かは知らんが、太守だったんだから放置はダメだ。逆にこれを弔うことが出来れば、そいつの部下もきっと支持してくれる。偵察が戻って来たようで、乱れた服装のまま城主の間にやって来た。


「報告します、宛を占拠している張曼成が神上使を名乗りました!」


「なんだそれは?」


 応佐司馬が「恐らくは天公を称する教祖を神とし、自身がその上使だということでしょう」なるほど、そこで区切れば確かに解りやすい。


「有頂天になっているのが良くわかった。だが直ぐに引きずり下ろしてやる」


 それからも引っ切り無しに報告を聞き、県令を隣に置いて一日中執務をすることになった。新野に張遼が入ったと同時に上申をしてきたよ、兵二千を使い南陽で遊軍として動きたいってね。閉じこもっていても仕方ないからな、出る時には必ず文聘に報せて後方支援を確立してからにするように厳命して許可したよ。


 兵糧だが城に居る間は県城からの提供を受けられるの心配は要らない、だが進軍するなら二十日分くらいしか余裕がないのは知るべきだ。足りなければどうするか、簡単なことだ奪えばいい。


 黄巾賊が万の軍勢を動かしていた以上、兵糧を蓄えているのは厳然たる事実。これがどこにあるかを調べる、或いは知っている奴から聞き出す。数日すると意外とあっさり判明した、宛の北にある西鰐という山中の郷に隠してあるそうだ。


 これが真実なのかは確認をしなければならない。数人の密偵を放ってさらに十日程待つと、実在することが判明した。これを奪うぞ! 問題はどうやって輸送するかだが、白河を使えば新野北に運び込める。宛の城域をどうやってやり過ごすかが思案のしどころだがね。


 今思えば襄陽から東に少し蛇行するが、新野との間を河を使う手もあったな。樊城から陸路の方が行軍に便利だというか、船が足らないのはあるが。ちなみに樊城と襄陽は目と鼻の先で、ブラザヴィルとキンシャサのように河を跨いで同じ都市圏を形成している。


 さて、船は何とか手に入れたとしても船頭がいなけりゃどうにもならん。山にそんなのは居ないだろうしどうしたものか。


「なあ応佐司馬、西鰐から白河を使い新野に兵糧を奪取したが、宛の城域を切り抜けるのには船頭が必要だ。どうしたら集まる?」

 

 金を支払うからと募集をしても、実は経験がありませんでしたなんて奴が混ざる可能性がある。いざ現場でそう言われても困るのはこちらだからな!


「それでしたら黄佳郷長に助力を求めてはいかがでしょうか? かの地ならば五人や十人の船頭が見つかるでしょう」


「そういえばそんなところがあったな!」


 使いをやって協力を求めると、喜んで歴年の船頭を送って来た。情けは人の為ならず、だな。


 下準備に一か月もかかってしまった、以前ならそれこそ三日もあれば行動出来たってのに、どれだけ幕僚の才能が際立っていたかがわかる。ないものねだりをしても仕方ないが。張遼は近隣の賊を攻撃するのを繰り返しているらしい、今次作戦時には陽動として宛西部で賑やかにしてもらうことになっている。


 典偉は城で練兵をしているが、これといった独自の動きをしていない。あいつの適性ってやつだ、仕方ない。文聘は棘陽にきっちり補給を送ってきている、兵糧だけでなく武装もだ。なにより全域の情報の報告はありがたい、こちらとのすり合わせに使えているからな。


「よし出発するぞ、県令、悪いが留守を頼む」


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