第192話
「五千の兵、一か月の物資であるならば充分か。確かに長引かせるのは悪手、速やかに一撃をいれて包囲を解かせる位はしたい」
さすがに解ってるな、目的を誤ってはいかんぞ。賊徒は南陽が与しがたいと解れば、近隣へ流れていく。探して個別に叩くよりも一緒くたにしたほうが楽でいい。
「昨年、新南で奴らと戦った時に居た者は?」
千人長に問いかけてみたが誰も居なかったか。経験者は全員初回で送ってる? まさかとは思うがこれも聞いておくか。
「実戦を経験している者は?」
すると二人の年配千人長だけが手を挙げた。おいおいこれは由々しき事態だぞ。素人が訓練だけで連隊規模を指揮するっていうのか。
「差し当たっては私も一度だけですが」
文聘が申し訳なさそうに素直に申告する、それは知ってるよ。まだ十代のお前にそこまで経験を求めちゃいないぞ。
「俺は涼州で異民族を相手に何度も戦っていた」
張遼も典偉も経験はそれなりにアリだな。もっとも典偉の方は個人のそれであって、指揮能力は無いと思っていた方が良い。
「んで親分は?」
「あ、俺か、そうだな、大小含めて十度以上は余裕で戦ってる。だから心配はするな、きっちりと勝たせてやる」
「さすが親分だ!」
数字は小さくまとめた、実は百を軽く超えてるんだが、そこまで言うと逆に信じられないだろうからな。何なら天下分け目の大決戦まで体験済みだぞ。
「序列を定める、前衛三千は俺が率いる、文聘、典偉は副将としてついて来い。後衛二千は張遼に預けるぞ」
「御意!」
戦闘経験ありの千人長は一人ずつ分けて、若い奴らの指導的立場に据えておいてだな。本隊とぶつかる前に、一旦どこかで戦いを体験させる必要があるぞ。
「明日の朝に出発する、各位準備を行え。解散!」
◇
見た目装備だけはまとまに揃っている荊州軍を率いて、樊城から北部五十キロ地点の新野へ進んでいく。間はこれといって山も無ければ河も無い、なだらかな丘があって、畑があったりする程度だ。遠回りしている暇はないし、道を使わない理由もない、だが見られているのは間違いないぞ。
ここから先はいつ遭遇戦が起こるとも限らない、それがこちらに不利かというとそんなことはない。一団となって進もうとする部隊に警鐘をならしてやる。
「千人長、先行偵察部隊を必ず出せ。情報は砂金に勝るぞ!」
「しょ、承知致しました!」
言われなければわからないならば、わかるまで言い続けてやる。新兵が大多数なんだ、手取り足取りってやつだよ。
「文聘、新野への先触れ、街道沿いへの通知も怠るなよ。それと、決して民に不利を強いるな」
「畏まりました」
本当の戦いというのは、戦場で対峙する前に勝敗が決まっているものだ。いかにして軍を最高の状態でその場へ配置するか。こいつは時代が進んでも変わらんぞ。
騎馬してしかめっ面でいるのは最低限にして、普段はリラックスして笑うようにしている。そうしていたら兵もそこまで深刻な状態じゃないと感じるだろうからな。
一日二十キロ、三日で新野へ到達したらそれで良いと思い行軍させていると、手前の黄佳郷というところに黄巾賊の小集団が見えるとの偵察情報が入って来た。
「申し上げます! この先に黄巾党と思わしい者が郷を襲っております。その数凡そ千!」
こいつは丁度良い度胸付けになる、多少道を逸れるが構わん、やるぞ!
「黄佳郷へ進路をとるぞ!」
郷が望める丘の上で黄巾賊の乱行を見下ろす。背に控えている軍に「弦を張れ! 槍を手に取れ! 良民を害する黄巾賊を討ち取るぞ、者ども俺に続け!」目測一キロ見当、走れば直ぐだが辿り着く前に息切れをさせてはいかん。
馬を緩めに歩かせて、歩兵は速足くらいになるようにする。こんな細かい調整までするのも最初だけだ。郷に火を放って略奪を行っている黄巾賊の奴らの顔が分かるまでに近づいた。
「賊共聞け! 俺は荊州軍別部司馬島介、徐刺史に代わり貴様らを成敗する!」
そこからは馬を駆けさせて、手近な賊を次々と突き倒していった。小集団でも首領は居る、それらしき姿を認めると単騎で突っ込んでいく。
「これでも喰らえ!」
槍を振り回して首筋を強打すると、賊は白目を剥いてひっくり返った。
「賊将を島介が討ち取った! 残敵を掃討しろ!」
黄巾賊らは蜘蛛の子を散らすように背を向けて逃げ出していく、荊州軍はそれを追いまわして討伐数を稼いだ。だが千人長に「周囲の警戒偵察を怠るな!」厳しい口調でお前は別の事をやれと言いつける。こんなところで攻めかかられたら、逆にこちらが驚いて敗走するからな。
郷の中の賊がすっかり居なくなったあたりで「文聘、兵を集合させろ」引き際の正しい機会が今であると示してやる。あちこち賊を探そうとしていたようだが、はっとなり「御意。退き太鼓を鳴らせ!」軍鼓手に命令した。よたよたと郷長がやって来て膝をつく。
「黄郷の長で、盛と申します。この度は賊を追い払うご助力を頂き感謝の極み。見ての通り郷は荒れ果てており、何ら礼を払うことも出来ず、これだけしか……」
布袋に銅銭と雑穀を集めて差し出して来る。それを兵が受け取ろうとしたので「動くな!」叱責するとビクっとしてこちらをみて硬直した。
「郷長よ、治安を守るのは官の役目。賊を蔓延らせたのを謝罪する、申し訳ない」
「な、なんとなさりますか!」
あわくって声をあげた、軍が頭を下げることなんてなかったんだろうな。
「被害の一部にしかならんが補填をする、軍資より一部を置いて行くので郷の復興に使って欲しい。文聘!」
「はっ、これに!」
「兵糧より二百、銅銭五十貫を分け与えよ。悪いが郷長よ、これしか渡せぬ。負傷兵と死者、賊の掃除を頼みたいが引き受けてもらえるだろうか?」
こんな戦いだとしても死傷者は出る、負担になるようなのは全てここに置いて行こう。
「おお、おお! どうぞお任せ下さいませ。徐刺史と島別部司馬に感謝を」
郷長だけでなく住民も揃って膝をつく。それを見て大きく頷いてやった。
「行くぞ、隊列を整えよ、進め!」
前列が歩き出すと、騎兵が数騎先へと走って行った、今度はちゃんと偵察をだしたな。チラッと兵らの顔を見るが、自分達が何をしようとしているかをようやく実感しだしたようだ。いいか、軍というのは民を守るために存在しているんだ、よく覚えておけ。
新野城に到着すると多数の軍が城門を潜り抜ける、県令が出てきて律儀な挨拶をしてきた。こちらもそれには丁寧に応じた。
さて、ここから宛へは北へ五十キロ、その西側十五キロに鎮兵郷があって賊の一派が押し入っている最中。東北東にはここと宛の等距離凡そ四十キロで棘陽県、宛東二十キロに社旗郷。ざっと見積もって重要な場所はこれらだ。
東西の郷は黄巾賊が押さえていて、北は山脈、南と南東への道を封鎖しているから宛が包囲されてしまったわけだ。郷を奪還するのが最善、道の敵を撃破するのが次善という風に見えるな。
実際には白河が宛南北を走り抜けている、河上を通れば行き来も可能だ。城内との連絡はこれを使えば暗夜に到達も出来る、増援がやってきているのを知らせてやるとしよう。とは言え遡上するのも一苦労だ、出来れば河上から下った方が安全だろうな。
「典偉、宛に増援を報せた後に、ここまで戻ってこい。その頃には包囲をしている黄巾賊と戦闘をしてるかも知れんがな」
「わかった。今夜忍び込む」
馬でいけば半日かからん、日没には余裕で間に合うな、こいつなら走っても間に合うだろうが。何も苦労しなくていいところでまでしなくていい、一人騎乗してさっさと城を出て行ってしまう。あいつなら一人で百人を相手にしても生き残る、心配は要らん。
前進基地が必要だな、宛の直ぐ南、十キロあたりに景庄台という小山がある、白河にも沿っているしこいつが適当だ。賊が居るか調べて居なければ急進してこれを確保するぞ。居たらどうするかは簡単だ、追い散らして奪うまで。
「文聘、この小山を直ぐに調べさせるんだ。今回の戦略重要地点になる」
地図を開いて指さしてやると、食い入るようにそれをじっと見詰める。意味を理解出来ないお前じゃないだろ。
「……南北の道、河、それに包囲をしている黄巾賊を見下ろせる場所、守りに易く、攻め上がるに難い。宛と相互の支援位置をとることができ、要塞化もしやすそうなところです。幅もある」
そうだ、二キロ四方で南西二面が河、小山といえども高低差は百メートルはあるはずだ。五千の兵士ならば充分居場所が与えられて、飲み水もあり籠もることも出来る。東には街道もあって、そこを通る賊を襲撃も可能。逆ならそっくりそのまま相手の利だ。
「お前ならここを押さえられたまま宛を解包出来るか?」
「そうですね、相手の三倍も兵力を貰えるなら力押も出来るでしょう」
それはつまりお手上げだと苦笑した。相手が気づいているかどうか、こいつは大きいぞ。もし無人なら先遣隊を夜半にでも出すつもりでいなければならん。築城用の物資は河を使って運ばせよう。
「一応だが、夜目が効く兵を三百選抜させておけ。使うかどうかは半々だ」
そのように言ってはあったが、偵察が戻るや否やすぐさま出撃させることになった。まさかあの小山が無人とは、やはり張何某とやらは戦に疎い、宗教集団なんだ勧誘や説法が上手いやつだったんだろうな。
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