第191話 軍侯荊州別部司馬守県令
「おお、そうか」
なるほど、あることないこと報告されたくなければ袖の下を渡せと。ふむ。
「いや、これは気づかなかった、すまないそういうことに慣れていないものでな」
「まあ、田舎者では仕方あるまい」
歪んだ表情で早く出すものを出せと要求して来る。言葉にはしないが、そういうことなんだろ? 焼き豚が載った皿を持ってこさせて「焼きたてだ、美味いぞ」それと知りつつ差し出してやる。皿を片手で跳ねのけると、見事に転がって行った。肉が勿体ないな。
「どうやら己の身が可愛くはないらしい! 覚えて置け!」
変な捨て台詞だよ、どの面さげて賄賂を要求してきてるんやら。
「島殿!」
「捨て置け、あんなのとは関わり合いたくない」
といってもあちらから絡んで来るんだろうがね! 秋も深まり冬になる頃、それは起こった。西陵にやって来た詰問使が州府へ出頭するようにと命令をしてきた。内容は不正利得と収賄らしい。
◇
人物を見誤っていたか。華容の牢獄で正座をして目を閉じている。監禁をされてはいるが、それ以上の罰があるわけでもない。獄に下り丸々二か月が経とうとしていた、牢番がこっそりと食事を多めに持って来てくれているので、体力が落ちることは無かった。
外に出て運動をすることは自由にさせて貰えたし、来客があれば会って話すことも出来た。禁固刑のようなものだろうか。年が改まって光和七年、そろそろだな。面会に来た文聘が真剣な面持ちで対面に座る。
「荊州で戦乱が起こりました」
「黄巾賊が大発生したか」
今年だからな、始まりは春かと思ったが、冬の終わりだったか。まだ各地で連携が取れないうちに仕掛けたってことか?
「張角が天公将軍を名乗り、全土で武装蜂起をしております。荊州では南陽郡がその騒乱の中心に」
南陽というと洛陽の南、汝南の西、荊州の最北部だな。いわゆる中原の南西部ギリギリがそこだ。
「徐刺史は?」
「南陽太守許貢へ増援を行い、州軍一万を送りましたが、張曼成率いる荊州方軍に敗北し全滅しました」
張というとあの時の奴か? それにしても全滅とはお粗末なことだ。確か方軍というのが師団のようなものだったな。
「西陵の備えはどうだ」
「四県の相互支援を促進し、予備隊を西陵に置いています。今は張遼が統括を」
なら問題ない。溶けた一万は勿体ないが、なにも死んだわけじゃない逃げただけだ。
「そうか。長くはかからんはずだ、文聘は華容で待っていてくれ」
「ここでですか? 承知しました」
その日はそれで終わりになる。一日、そしてまた一日経ったところで、一人の文官が牢獄にやって来る。
「島守県令殿、徐刺史がお呼びですのでこちらへ」
黙ってついていくことにしよう。城内をゆくと、広間に十数人が集まっていた。中央の上座に徐刺史が座っている。進み出ると「島介参りました」言葉も短く儀礼的な挨拶のみをする。
「伯龍殿、いま荊州は大変な危機に陥っている。黄巾党により南陽の地は乱れ、多くの将兵を失った。潁川、冀州などでも蜂起しており、中央からの援軍も望めない」
幕僚らの顔を見てもそれが事実なんだろうなと知る。
「南陽は厳しい圧迫を受け、増援を送るよう矢のような催促をしてきている。だが荊州には最早五千の兵しかないのだ。どうすべきか、伯龍殿に聞きたい」
「この場に居られる諸官に聞かれてはいかがでしょうか」
ちょっとした意地悪だよ。
「こやつ、何と生意気な――」
「やめぬか! 名だたる武将らは先の増援で、その全てが死傷してしまった。我が府には兵を預けられる者がおらん」
あの東曹も西曹も物凄い嫌そうな顔をしているが、口出しが出来ないってことは誰も居ないってのも本当そうだな。足を引っ張る位はしてきそうだ。
「黄巾賊など寄せ集めの烏合の衆。張何某とやらを退ければ四散するのは明白。先の新南県では州兵二千で、そいつが率いる五千を蹴散らしました。ものの数ではありません」
「島守県令、それは聞き捨てならぬ。張曼成が在陣していたなど報告に上がっていないぞ」
こいつは西曹の習範だったな、賄賂を渡さないからと俺を牢獄に送った借りは返させて貰うぞ。
「意気地なく逃げた奴のことなど、わざわざ報告するまでもないからな。そう言えば、西陵の秋祭りでもそんな奴がいたな」
キッと睨んでやると、目を細めて睨み返して来る。側近は選んだ方が良いぞ。
「口ではどうとでも言える。軍資金を持ち逃げでもするのではないか?」
今度は諷礼か、こいつらは奸臣というやつだな。地元の有力者らしいから、仕方なく席次を与えているのかも知れん。何せ身一つで赴任させられて、あとは上手くやれというのが漢の方針らしい。そんなのでは出来るものも出来なくなる。
「出来なければ俺の首を持って行けばいい。だが……ことがなった暁には、貴様等の首をもらい受けるぞ!」
何とも返事が出来ずに黙りこくってしまう二人、勝負あったと徐刺史が判断を下す。
「島介を荊州別部司馬とし、甲卒五千を預ける。南陽の民を助けてもらえるだろうか?」
「お任せ下さい。補佐に、張遼、文聘、典偉の三名を要します。西陵より引き寄せても」
「構わぬ。交代はこちらで手配する故、頼んだぞ」
諷礼、習範に視線をやってから退室する。州別部司馬かこいつは千石ってやつだな。あまり時間はないが、焦るわけにもいかん、まずは軍の掌握だ!
華容の宿に居た文聘を呼び出すと、さっそく佐司馬にしてしまい軍勢の統率をさせる……わけには行かなかった。何せまだ若輩者だ、ここですんなりとはいかない。仕方ないので兵は自分で、文聘には西陵から張遼らを引っ張ってくる役目を与えた。
真っ先に武具兵糧を押さえてしまう、これを握られたら戦いに勝てなくなっちまうからな。軍資金も要求し、密偵を多数放つところからスタートだ。部隊編制を行い、千人部隊を五つにして各指揮官と面談、どういう奴かが分かるように出来るだけ会話をする。
張遼らが合流するまで毎日晩飯を共にし、軍兵には訓練を行わせる。任官から十日も経ってようやく文聘が戻って来た。予定よりも大分遅い、馬で行き来するだけなのに何をやっていたのかと思ったら、何と百の歩兵を連れていた。
「文聘、こいつらは?」
「西陵の兵です、島守……えー、別部司馬が軍を興すと知ると、従軍したいと言うので走らせました。遅参申し訳ありません」
なるほど、手勢として参加すると自発的に言うだけの士気があるのはいいぞ! 前の親衛隊のような扱いをするか。
「わかった、張遼、典偉と五人の千人長を呼べ、軍議を行うぞ」
ようやく始められるか、二月の上旬ここからは早さを意識していかねばな。華容の本部に要人が集まる。若輩者が上席を占めているので若干面白くない表情をしているのも混ざっているが、そこは階級の上下が厳しい世界、そのうち解ってくれるだろうよ。大雑把な地図を机に広げて、赤い駒と青い駒、緑の駒を次々と置いていく。
「青が我等荊州軍、緑が南陽軍、赤が黄巾賊だ。まずは地理と配置を頭に浮かべろ」
そこは部将らだ、今までのことは全て置き去りにして規模と位置をしっかりと目に焼き付けている。南陽の首府は宛県にある、この城を囲むように黄巾賊が配置していた。
ここ南陽は山に囲まれた大きな盆地で、北東に博望坡という中原との連絡路がある山野、南に平地の中央都市新野がある。どこかで聞いたことがあるような気がするが、通過点でしかないぞ。
「俺達は華容から樊城、新野を通り宛に向かう。樊城を補給の中継地点、新野を後方拠点に据えて、宛を包囲している黄巾賊を撃滅する」
どこを向いてもあちこちで湧いて出ているような状態だ、倒すのは首領のみと行きたいが。
「樊城までは河を使って移動も補給も出来るが、新野へは陸路のみ。何か起こるとしたらこの間だろう」
確かにそうだな。船よりも陸路を行く補給部隊を襲撃するのが手っ取り早いからな。
「張遼の言う通り、その間の連絡線を保つのは計画の大前提になる。しかし長引かせるつもりはない、部隊を二つに分けて新野の確保並びに前線の偵察を行う前衛と、物資の移送を行う後衛にわける。一旦新野に積んでしまえば後は合流してしまうぞ」
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