第189話
「うおぉぉ!」
州軍の士気が上がるとわっと前進を始める、一方で賊は背を向けて逃げ出した。宿営地を荒していると、新南城の門が開いて、三百程の歩兵が打って出て来る。
「増援が来たぞ! 賊を蹴散らせ!」
挟み撃ちになり黄巾賊が戦意を失って散り散りに逃げ去っていく。典偉はどこだ! あいつの旗を探させると、ずっと東の方に少数で行ってしまったと聞く。
「行くぞ、続け!」
多くを説明する必要はない、俺に続けとだけ命じて行きたいところへ走っていく。歩兵は息が上がっても必死になって馬足についてくるだけ。少し乱れた場所を進むと、千程の輪に囲まれている賊を追いかけているのが見えて来た。歩兵で歩兵を追いかけてもラチがあかんぞ! 伏兵も無ければ騎馬隊もないからな。
「仕方ない、集合の銅鑼を鳴らせ」
ドドーンドドーンドドーン。戦場に音が響き渡ると、各級指揮官が兵を集めて伯単位で本陣へと集まって来る。戦場には死体と呻き声をあげて転がる敵味方の姿が見えるのみ。
「我等は目的を果たした、勝鬨を上げろ!」
「うおぉぉ!」
城の城壁に上がって来た奴らがこちらに手を振っている、これでいいんだ。
「文聘、負傷者を新南へ運び込み治療を行え、大至急だ」
「承知!」
「張遼、賊を集めて止めを刺しておけ。物資は全て没収するぞ」
「御意」
これも戦場の習わしだ、負ければこちらが身ぐるみはがされるからな。新南軍を率いていた指揮官がやって来て下馬すると一礼する。謝意を述べて城で休んでいくようにと言ってくれた。県令とも会って欲しいとも。まあ必要なことなんだろうなこれは。
「典偉、補給部隊を城へ入れるんだ。今晩は城内で休み、明日帰還するぞ」
「おうわかった親分!」
順当と言えば順当な結果だ、兵の経験になったのは大いなるプラスだな。
訓練を任せてしまっている間に、各所の情報を集めようと諜報員を組織しようとしたがうまく行かない。商人に資金を与えて探らせに行くのが関の山だった。
「上手く行かんな、優秀なフタッフが居てこその話なのは分かってはいるが」
まるで重荷を担いで片足で歩くかのような感覚、これでは早晩行き詰ってしまうな。とはいえ俺は別に全てを一人で整合させなきゃならん立場でもない、未だにお題ははっきりせんがどうなんだろうか。
途切れ途切れで入って来る情報に、黄巾賊が大きな師団のような軍事部隊を編制してあちこちで猛威を振るい始めたと耳にする。この荊州にもそういった師団、あちらの名前で方と呼ばれるものがあるそうだ。
場所は南陽、ここから北北西に二百キロも行ったところの地域をそう呼んでいる。その郡都が宛だ、ちょっと聞き覚えがある場所だよな。許都の攻防戦で攻略に行った経緯があった。華容からも北に百八十キロ見当でこことの三角地帯だな。
「島守県令、報告が」
「おうどうした張遼」
兵を訓練するようになってから随分と態度が落ち付いてきた、やはり立場が人を作るんだ。
「怪しい者を拘束しました、そいつがこれを持っていて」
差し出してきたのは黄色い布切れ。昨今活動が活発な黄巾賊の目印となっているのは、何でも良いので黄色い布を身に着けると言うルールだ、非常に明確で参加もしやすい。
「このあたりに影響力を伸ばせるかどうかの偵察だろうな。目的を吐かせるんだ」
「承知」
十中八九は命令で探っていたって言うだけだろ、それはいいんだが、恐らくは住民にも同調者は居る。暗夜城門をあけられないような備えは必要だぞ。正面からぶつかるならば、城というのは簡単に乗り越えられるようなものじゃない。
籠城時の陥落は大きく分けて三つだ。一つは裏切りによる開門。一つは糧食の枯渇による開城。最後に戦意の喪失による敗北だ。近隣から援軍が見込める状態で籠城するのは、戦術的にも戦略的にも妥当、攻めるならばそうさせない行動を狙うが。
「文聘を呼べ」
下僕にそう言いつけると、暫くして文聘がやって来た。
「お呼びでしょうか」
「うむ。暗夜城門をあけて敵を招き入れられないような手立てをとりたい、どうだ」
方法は何でもいいんだ、これといった正解はないからな。
「城兵の信頼を得るのが最善でしょうが、不便を承知で門の使用数を減らすのも良いでしょうか」
「さして大きな城ではないんだ、二カ所あれば通行に支障はないな。その案は採用しよう。他は」
東西だけあれば構わん、どうせ内部は一キロとない、回り道は我慢してくれ。これで守衛兵は半数で済む、その分兵の待遇が改善すると考えよう。
「内通者がこっそりと開門することが出来ないよう時間稼ぎの意味で、門の内側に岩でも置きますか」
「ふむ、裏切り者が多数では別の問題が生じているものな。物理的に障害を転がしておくのは名案だ」
「お気に召しましたでしょうか」
「州軍が詰めている今はその心配もないが、今後それが出来るように準備だけは行っておくんだ。一年以内に大事が起こるぞ」
黄巾の乱だが、来年だ。ただ何月かは覚えてないぞ。そもそも一年で終わったのかあれは? まあ起こることだけ知っていれば、後はどうとでもなるか。
「州軍の訓練と関わりがあるのですね。その時、我等はどのように動くことに?」
「訓練を施した者が軍を指揮するのは大いにありえるだろうな」
としか言えんぞ。実際は誰かが将軍に任じられて、全て戻すってことかも知れんし。ただ、俺が無関係で卓とは思えないんだよ。
「余分な糧秣が城内に積んであるのもその意味でしょうか?」
そいつはな欲しい時に求めても遅いからだよ、余剰物資を規定数以上置くのは禁止されているが、そんなことは知ったこっちゃない。俺は品行方正な官じゃないぞ?
「そのうち城外演習をするので、それ用のものだ。郡内からの反発はどの程度あった」
「徐刺史の統治が素晴らしいのと、荊州各郡は穀倉地帯でもあるのでこの位の徴発ならば特にそのような恨みもございませんでした、ただ……」
「なんだ?」
「この城に堆積してある分を、飢民に与えれば死なずに済むものもいるだろうなと」
それは言う通りだな。そう言う奴らだって民なんだ、恩恵を受ける資格はある。ただ甘い顔をするのは良くないが、手を差し伸べないのも褒められたものじゃない。
「では文聘はどうするべきだと」
「城外で構わないので、そのような民に今日の糧を与えて頂きたく思います」
じっとこちらを見詰めて提案をしてくる。それによって得られるのは僅かだ、失うものもまたわずかだが。ではそれと無関係のところで起こることと言えばどうだ。
「……よかろう。島介が認める、文聘の思うようにするんだ。責任は俺が取る」
「ありがとうございます! 直ぐに準備を」
そそくさと退出する文聘、目が輝いていたな。あいつはそういうやつってことだ、だがきっと戦になれば非情にもなれるはずだ。
◇
城外での訓練風景も日常化し、いよいよ秋も深まって来る。南陽の黄巾賊の動きが更に激しくなり、バラバラに動いていた奴らに俄かに統率が感じられるようになってきた。
江夏、江陵の平原と南陽の平原を結ぶ隘路が二本あって、西が宜城県、東が南新県だ。この南新県の城が黄巾賊に襲われているとの伝令が陸安にやって来て、それが西陵へと知らされてくる。直ぐに三人を集めて話し合いを行う。
「南新城は賊徒に取り囲まれ、何とかこれを防いでいる模様」
張遼が地図を広げて、場所と地形、双方の規模を論じる。城兵は五百以下、住民を動員すれば一か月は抵抗できるだろうとの見通し。一方で黄巾賊は三千とも五千とも言われている。
「南新県は江夏郡の領域、現在太守が空席なので徐刺史の判断で対応されるでしょう」
権限の所在を明らかにする、文聘としても気にはなっているようだな。典偉は別にどうでもといったところか。
「一刻も早く敵を退けるべきです!」
「みだりに兵を動かすのはもってのほか。ここは命令を待つべきでしょう」
ほう、二人の意見が割れたか。どちらも間違っていない、性格による違いでしかないぞ。南新県から華容もここも等距離、今頃あちらにも伝令がついて対応を模索してるだろう。二人がこちらに顔を向ける、決めろってことだよな。
「最初に言っておく。俺は、俺を頼る者を見捨てはせん」
文聘が眉を寄せる、そういうながれだものな。
「だからと己が秩序を乱す元になるのはお粗末だ。ゆえにこのように行動する。荊州軍の長距離行軍演習を行うものとする、目的地は南新県だ。張遼は演習の準備を行え」
「御意!」
「文聘。華容へ早馬を出し、南新への援軍許可をとるんだ。同時に偶然南新への行軍訓練中だと伝えろ」
「軍の私物化だと幕僚に苦言を呈されるでしょう」
「そんなものは言わせておけ。俺は自分の正義を貫くまで。留守中の城の守りは例の備えを行い、住民から五百を動員させろ」
言っても最早変わらないだろうと、文聘も承知した。二人が手配の為に部屋を出ても典偉はその場に残る。
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