第187話 軍候守西陵県令

 そういうと文聘は笑った。


「断るつもりなどないでしょうに。それとも徐刺史とお会いするのは気が進みませんか?」


「ふむ、どうだろうな。お前も一緒だからな、実務についての問い合わせは文聘のほうが詳しく説明できる」


「同道させていただきます」


 一礼してこれから行くぞと出入り口への道をあける。練兵場の傍に降りて行き「おーい張遼、俺達はちょっと南郡に行って来る、後は任せたぞ!」声をかけて終わりにしてしまう。任せて一切の問題がないと信じてるよ。県丞ってのもいるが、出来るだけ地域を見て回るようにと言いつけてあるから、週に二日くらいしか街に居ないんだ。


 南郡の華容県というところに州治府がある、実は田舎だ。襄陽とか江陵とか都市はあるのに、わざわざそんな場所を選んで据えているんだから徐刺史はつつましいと言うかなんというか。荊州の地理上の中央に近いんだ、襄陽は北過ぎるけれど、江陵ならば華容と二十キロくらいだからよさそうだが、そこは郡の都だからと避けたらしいぞ。


 西陵から治府までは百五十キロ見当、出張の類だよ、馬で通常移動ってなら三日の距離だ。若干負担を強いてもその後休ませてやれるなら二日で充分行ける。伝令なら一日の距離だしな。別に急いでるわけじゃないが、出来ることをしないのもまた性格じゃない、結局二日でたどり着くことになる。


「西陵の島介が到着しました!」


 声をあげて殿に上がり込む、文官の姿が少しあったがこれといって咎められることは無かった。白髪混じりの徐刺史がこちらを向いて「おおやって来たか、こちらだ」手招きをする。


「無礼を働きますが、無学なのでご容赦を」


 上官に対する態度というか、儀礼的なことが本当に解らんのだよ。思えばそう言う点では楽に過ごしていたんだな前は。


「構いはせん。西陵四県の統治の程は聞いておる、良くやってくれている」


「実務はこの文聘が取り仕切っています、褒めるならこいつを褒めてやってください」


「ほほ、そうかそうか。若い者が治績をあげているのを老骨は嬉しく思うぞ」


 顎髭をしごいて目を細める。文聘は平伏してしまい恐れ入った感じだ。


「いつでも席を譲りますのでどうぞ」


「まあそういうでない、島介の働きぶりにも我は感謝をしているのだ」茶を用意して座るようにと勧められた「最近州内でこのようなものが流行っているのを知っておるかね」


 布の巻物を渡されると、そこには「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし。歳は甲子に在りて、天下大吉」という文言が記されていた。こいつは大イベントの序章か。


「黄巾賊の呼び声ですか」


「ほう、黄巾賊とは良くぞ言った。黄巾党が荊州で信者を募り、兵として集めているのを聞いておる。早晩なにかしらしでかすであろう」


 あいつらはここでも活動していたのか、もっと北東部分だと思っていたが俺の知識不足だな。メイン会場が……どこだったか、二カ所あったはずだ。それで二軍に分けたとかだったような。


「大きく地域をまたいで乱が起これば、朝廷が軍を興すでしょう。荊州からも兵を出すことに?」


「禁軍が出るならば、軍糧の補給に兵を出すこともあろう。叡山より賊が消え、四県の治安が保たれている。島介には統率の能があると判断しておる。そこでだ、荊州武猛従事として州の練兵を行って貰いたい」


 武猛従事……多分だが州軍の指揮官だよな。訓練するだけなら別に構わんか、統治するより遥かに俺にあってるだろうしな。


「軍兵の訓練は張遼と典偉が行っているので、やはり自分は特に力になれそうにありませんが、それでも良ければ」


「文治も武事も出来ぬと言うならば、島介の得意とするところとは?」


 爺さんはなんの意図があってそんな質問をしてくるのやら、滅多に話をするわけでもないから、人となりを知りたいってことなんだろうけど。


「平和な世ではあまり役に立てないでしょう」


 微笑してそれを答えとした。徐刺史は小さく何度も頷いて、湯飲みを口へ運ぶ。


「都に居る者の話では、全土で動きがあるかのような広がりを見せているというのだ。ただの道教集団ならば良いが、開祖が妖術を使うだのと聞いておる」


 妖術ね。科学的な情報が無ければ、日食も台風も地震も妖術ってことこになるんだろうな。時代だ、これは仕方ない。


「まやかしでしょう。ですが、そうだと信じる者が居る以上は真実など関係ありません」


「確かにそうだな。いずれはっきりとする、今は練兵を頼んだぞ」


「頼まれましょう」


 平然として言葉を交わす、その姿を見て文聘はどう思っているやら。その日は華容で休み、兵符を受け取ると西陵へと戻った。それから十日もすると軍兵が二千も姿を現した。これをここで養うのは厳しいぞ。


「文聘、江夏郡内を触れてまわり州軍の兵糧を徴発して来い。兵二百を預ける、行軍訓練を兼ねて集めてくれ」


「承知しました」


 来たばかりだと言うのに、一つのグループを率いて早速西陵を出て南へと行ってしまう。


「張遼、典偉、お前達は県兵と同じように州兵に訓練をつけろ。とはいえ舐められたら仕事がやりづらかろうから、最初は俺も出る。準備をしておけ」


 にやりとして何か企んでいるのを明らかにした。翌日、多くの兵が西陵城外東側に集合した。演台の上に立って兵を見渡す。栄養状態が悪い、装備が統一されていない、動きに至っては満足に出来ているはずがない、か。


「傾聴せよ!」


 大声を出す、後列の者にまで聞こえているかはわからん。


「これより序列を定める。ここは軍だ、力がある者が上に立つのが筋。我こそはと思う者は進み出よ!」


 演台の下に居て兵と対面している張遼がついこちらを見る。今回は私語を勘弁してやるよ。三十人位の体格が良い男達が前に出てくる、指揮官らしい五人も混ざっているが、これらは仕方なくだろうか。


「良い面構えの奴らだ。先に言った通りここは軍だ。命令系統を維持する為に指揮官が必要になる、正式に任官している五人は手足として必要になるので、参加はしてもしなくても自由だ」


 ここに進み出なければその時点で切り離すつもりだったが、最低限の根性は持っているようで良かったよ。二人の指揮官を残して他は退いた。うむ、結構だ。


「三つの集団に別れろ!」


 詳細を明らかにせず、そう命令した。首を傾げながら大雑把に三つに分かれるが、均等ではない。


「そっちの七人は張遼、十人は典偉、残りは俺と戦う。いいか、勝った奴の命令に従う、それだけだ!」


「おい大将、あんた一人でこっちは十……八、いや九か。それと戦うってのか?」


 兵士も怪訝な顔をしている、いくらなんでもそれは無いだろうと。黙っていたって頂点なのはかわらないのだから。


「いいか、俺は戦争は得意だが戦闘はそこまでではない。だからと簡単に勝てるとは思うなよ?」


 暗に肯定してやったが、直ぐに反応を見せる奴は少なかった。もしかすると理解出来なかったのかもしれない。末端の兵士は教育を受けていない、はっきりと言葉を示してやらなければ比喩とか暗喩を解釈できないのだ。


 刃物を使って死傷させるわけにはいかないので、長い鉄棍を手にする。張遼と典偉も左右に幅を持って同じように開始の合図を待つ。


「途中でやめてくれって言うならそれでもいいが、こんな面白いこと簡単にはやめられんぞ」

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